「このイスなかなか座り心地いいよ」(小林写函撮影)
「このイスなかなか座り心地いいよ」(小林写函撮影)

小さな頭をなでながら気持ちはふさぐ 野良猫時代「はち」はとても愛されていた

 人生ではじめて一緒に暮らした猫「ぽんた」を看取ってから2カ月半が過ぎた1月末、私はぽんたの野良仲間だった茶白猫の「にゃーにゃ」を保護して家に迎え、「はち」と改名した。

(末尾に写真特集があります)

少しずつ変化が見られるように

 家に来て1週間が経っても、はちの激しい夜鳴きと、昼ごろまで続く朝鳴きはおさまらなかった。ぽんたのときは、1週間もすると夜鳴きはだいぶ落ち着いた。猫によって環境に慣れるまでの期間に差はあるだろうし、いつかは終わると信じて待つと決めた。

 とはいえ「いつか」が見えないのはつらい。寝不足にもなる。なにより、「安住の地を」と思って保護したのに、逆にストレスをかけてしまっているのではないかと気がかりだった。

 それでも、鳴いているとき以外のはちの行動には少しずつ変化があった。私の部屋のクローゼットにこもっていることが減り、ベッドの上で丸くなったり、香箱を組んでくつろいだりする時間が増えた。外にいたときのように、足に擦り寄ってくるようにもなった。

 食欲は旺盛で、器に盛ったフードを夢中で平らげ、満足そうに顔を洗い、毛づくろいをする。

 亡くなる前の約5カ月間、ぽんたは自分ではいっさい食事がとれなくなり、痩せていった。日に日に毛艶がよくなる、健康な猫を見るのは久しぶりで、まぶしかった。

はちを慕うひとりの女性

 はちを家に迎えてはじめての週末、ツレアイと近所を散歩している途中に、Sさんの家の前を通った。

 Sさんは、野良時代のはちが餌をもらっていたお宅だ。ガレージにはダンボールの寝床も用意されていた。私は、はちを保護すると決めた際、引き取っても問題がないかをたずねに行った。

 そのとき対応してくれたのは、年配の女性だった。「うちには持病のある犬がいて、猫まで飼う余裕がないから」と喜んでくれた。その犬と、はちは相性がよくないとのことだった。

 はちを無事保護した翌日に報告に行くと、「買いだめていたものだけど」と、スーパーのレジ袋2袋分のキャットフードをくださった。

「たまにはトレーニングでもするか」(小林写函撮影)

 散歩をしていた日は、ちょうどSさんと30代前半ぐらいの娘さんが外出先から戻ったところだった。玄関先で挨拶をし、「猫ちゃん、元気にしていますよ」と伝えた。

 Sさんはにこやかに対応してくれた。だが娘さんは目を伏せ、無言で家に入ってしまった。

 聞けば、Sさんは、はちが引き取られることをきちんと娘さんに話していなかったそうだ。私から保護したという報告を受けた日にはじめて伝えたため、突然の別れにショックを受けている、とのことだった。

「どうぞ気にしないで、そのうち慣れますから」と申し訳なさそうなSさんの家をあとにし、帰宅した。するとツレアイは「はちは、Sさんに返したほうがいいんじゃないか」と言い出した。

 おそらく娘さんは、かわいがっていた猫がよそへもらわれることに納得がいってないのだとツレアイは言う。ガレージで餌を与え、段ボールの寝床を用意していたという状況は、猫を外飼いすることが一般的だったひと昔前なら「家の猫」と同じ、というのが彼の見解だった。

「だって、ちゃんと了解をもらっているし、お母さんは気にしないでっておっしゃったじゃない」

 と私は反論した。今さらはちを手放すなんてと、泣きそうな気持ちになった。

「僕はなぜここにいるんだろう」(小林写函撮影)

「でも、はちの世話をメインでしていたのは娘さんだったんでしょう。いくらお母さんが承諾したとしても、彼女の気持ちを無視して引き取るわけにはいかないだろう」

 とにかく、直接話をしたほうがいいということになり、私は、もしもの場合の覚悟も決め、Sさん宅に引き返してインターホンを押した。そして玄関先に現れた娘さんに告げた。

「猫ちゃん、お宅にお返ししたほうがいいのではないでしょうか」

「いえいえ、そんな必要はないです、違うんです!」

 と娘さんは慌てたように言った。

「あの子におうちができることは願ってもないことです。でも私が仕事に出かけている間にいなくなってしまったので、気持ちの整理がつかなくて」

 そして娘さんは、はちとの思い出を話してくれた。

はちはとても愛されていた

 もう亡くなった先代の柴犬を散歩させているとき、くっついて歩いてくる猫がいると思ったら、家のガレージに住み着くようになったこと。人懐こくてかわいいので、玄関先で食事を与えるようになったこと。ドアを開けていると、目を離したすきにときどき家の中に入ってしまったこと。気がついたら、コタツの中で暖をとっていて驚いたこと。

 ほかの猫と喧嘩でもしたのか、ある日、脚にけがをして現れたこともあった。消毒液を塗ろうとしたら、嫌がって逃げたという。

「ブロック塀の上より歩きやすいけど、眺めはいまひとつだな」(小林写函撮影)

「うちでは、動物病院に連れて行ったり、家の中で過ごさせてやることはできませんでした……。あの子は元気にしていますか」

 と聞かれ、私ははちの近況を話した。猫エイズキャリアではあるが、内臓疾患はなく、健康であること。まだ夜鳴きはするが、快食快便であること。

 すると娘さんは、やっと安心したような笑顔を見せた。

「うちの猫ではないですが、どうぞよろしくお願いします」

 本当にかわいい子なので、と続け、頭を下げた娘さんは涙声だった。私も涙をぬぐいながら、深くお辞儀をした。

 帰宅すると、どこからともなく玄関にはちが現れ「ニャー」と鳴いた。

 私は、娘さんから追加でいただいたレジ袋1袋分の猫缶をはちの横に置いた。

「本当は、Sさんちの子になりたかったのかな」

 そうつぶやきながら、はちみつ色の小さな頭をなでた。

(次回は9月2日公開予定です)

【関連記事】朝日に輝く毛色がはちみつみたい 元野良猫「にゃーにゃ」に授けた新しい名前

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
続・猫はニャーとは鳴かない
2018年から2年にわたり掲載された連載「猫はニャーとは鳴かない」の続編です。人生で初めて一緒に暮らした猫「ぽんた」を見送った著者は、その2カ月後に野良猫を保護し、家族に迎えます。再び始まった猫との日々をつづります。
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