たくさんのあたたかい手が繋いだいのち
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トラバサミで両前脚がちぎれた子猫 今では後ろ脚で歩き、トイレも食事も自分で

 TNRのために設置した捕獲器に入っていた生後半年くらいの子猫は、両前脚がちぎれていた。イノシシ駆除の違法トラバサミにかかったものと思われる。両前脚がなくては動けないだろうから、預かり主の負担は大変なことになると予想されたので、獣医師は安楽死を口にした。だが、「生かしてやりたい」とのみんなの強い思いが集まって、肩からの断脚手術をすることに。そして、子猫は前を見つめ、術後の身体機能をフルに使って、何でも自分でやってのける生活を始めた。

(末尾に写真特集があります)

ふつうの猫と変わらない

獣医師ら
(右から)発見者の山下さん、執刀医の満川先生、預かり主の成井さんに囲まれて

 窓から入ってくる風が心地よい5月のある日。ラブちゃんは、3人の女性の笑顔に囲まれていた。みな、口々に「ここまで自分で何でもできるようになるなんて」「安楽死させないでほんとうによかった」「ラブちゃん、がんばったね」と、ラブちゃんの今を祝福する。

 ここは、茨城県行方(なめがた)市。ラブちゃんの預かり主の成井さんの家だ。断脚手術の執刀医の一人である満川(みつかわ)映美子先生もいる。そして、最初に側溝にいるラブちゃんを見つけて、成井さんが所属する保護団体のインスタに連絡を入れてくれた山下さんもいる。

白黒の猫
マスカット色をした張りのある瞳

 みんなに囲まれてきょとんとしているラブちゃんは、推定10カ月の女の子。利発そうな意志ある瞳と、先が丸まったカギしっぽの持ち主である。一見、どこででも見かける平和な猫の香箱座り(猫が安心しているときの、前脚を胸元にしまい込んだ座りかた)の風景。ラブちゃんには、しまい込む前脚がもうないけれど、この上なく平和な風景に変わりない。

 みんなの胸には、初めてラブちゃんを目の前にしたときの、あの衝撃がまだ生々しく残る。でも、ラブちゃんはいたって明るく今の暮らしを楽しんでいる。ついさっきまで、お気に入りの出窓で、5月の空を眺めながらひなたぼっこをたっぷりとしたところだ。自分の脚で歩いて、段差をよいしょっと乗り越えて。

白黒の猫
「このくらいの段差、余裕で上れるわ」

側溝に子猫がいる!

 今年2月半ばのことだった。行方市で保護譲渡活動をしている「リン&ハーネスの会」のインスタグラムに、「湖岸の休憩所の側溝に子猫がいる」というダイレクトメールが入った。メンバーの中で現地にいちばん近く住む成井さんが行ってみたが、側溝の奥に隠れてしまい、ちゃんと確認することはできなかった。子猫と言っても生後半年くらいのようなので、毎日フードを置いて、手術の予約を入れておく。3日後、依頼者の山下さんから「ケガをしているようだ」との連絡。最初に見たときはケガはしていなかったので、この3日間に負ったケガのようだが、遠くに潜んでいるのでどの程度のケガか確認できない。

 さらに3日後。TNRのための手術予約当日の朝、子猫は捕獲器に入っていた。見ると、前脚の片方は半分ちぎれ、もう片方の半分は皮一枚でつながっているだけではないか。どれほどの痛みと恐怖を味わい、ひもじさに耐えかねて捕獲器に入ったのだろうか。その体で、いったいどうやって。

 子猫は、すぐにTNR専門の獣医師、満川先生のもとに運び込まれた。トラバサミにかかった両前脚を自ら必死で引き抜いたための欠損と思われた。農作物を食い荒らすイノシシなどの害獣指定動物を駆除するために仕掛ける「トラバサミ」は、現在では違法である。

 前脚を両方失ったこの子は、外では生きていけない。預かり手があったとしても、その介護負担は大変なものとなるだろう。後ろ両脚欠損なら前脚で這(は)って暮らせるだろうが、両前脚欠損のこの子は、歩くこともできず、食事も排泄(はいせつ)も自分でできないだろうから。

 そう考えた満川先生は「安楽死」という選択肢のあることを「リン&ハーネスの会」に告げた。会としても、手いっぱいの預かりボラの負担を考えると、安楽死やむなしと考えた。

「手術をやってみましょう!」

 満川先生の病院は、TNR専門なので、安楽死の薬剤はない。日頃から連携をとっている先輩獣医師たちにラインで相談をした。犬猫の殺処分ゼロという志を同じくする齊藤朋子先生や黒澤理紗先生たちと真剣に話し合っているうちに「安楽死はいつでもできる。せっかく救われた命。断脚手術をやってみては」という方向へみんなの思いは向かった。壊死(えし)した部分が細菌感染しないためには、肩からの断脚となる。

「齊藤先生のもとで断脚手術をやってみましょう」という話を満川先生から聞いた成井さんは、泣きそうになった。

「うれしくって、うれしくって。私の頭には、安楽死という考えが浮かんだことは一度もありませんでした。発見してくれた山下さんも同じですが、ただただ、この子に生きている幸せを少しでも感じてほしかった」

新しい自分のからだで

手術後の子猫
手術後のラブちゃん(成井さん提供)

 肩からの両前脚断脚手術は、手術経験豊富な齊藤先生の指示と協力の下、満川先生が行った。この月齢にしては痩せていて、筋肉はほとんどついていなかった。手術は無事終了。

術後は満川先生預かりとなり、翌日には食べて排便もした子猫だったが、その2日後に少し調子を崩した。通院のできる設備の整った病院へということで、近隣の「とがし動物病院」へ成井さんが連れていく。満川先生は、こと細やかに、手術内容や手術後に使った薬の種類や量など申し送り書面にしてくださった。

「一匹の保護猫に注ぐ先生方の思いと連携に、感激しました」と、成井さんは目を潤ませる。

 そして、体調が整って成井さん預かりとなった猫は「ラブ」と名付けられ、このままケージ・イン暮らしが続くものと思っていた成井さんをびっくり仰天させる。

 術後ほどなく、後ろ脚で立ち上がり、バランスを上手にとって前かがみでチョロチョロ歩き出したのだ。

後ろ脚で歩く猫
歩き出した日の感動をインスタ動画で公開

 少し手前に倒した食器を用意すると、ラブちゃんは、上体を前倒しにしてご飯を食べた。入りやすいトイレを用意したら、それも中腰で使いこなした。排泄した後は前脚で砂をかけているつもりらしく、肩の筋肉が動いている。そう、ラブちゃんは、今ある自分の体をバランスよく使って、元通りの暮らしを始めたのだ。

猫って、すごい!

 保護・手術から3カ月。今のラブちゃんの生活は「ふつうの猫と変わりません」と、成井さんは言う。「すごくお利口さんで甘えんぼでいい子なんです」とも。背中を後ろ脚で搔いてしまうので、予防で洋服を着せているが、両肩の手術痕にはきれいに毛も生えてきた。

 ラブちゃんは成井さんと一緒のベッドで寝るが、朝は自分でぴょんと床に飛び降り、後ろ脚で着地するという。出窓などの段差にあがるときは、まず上体を段上に預け、よいしょと後ろ脚を次々あげて上る。この調子で階段上りもすぐにクリアするだろう。

 そんなラブちゃんを見て、満川先生は「早まらなくてよかった」としみじみ思う。あの時は前両脚を失った猫の生活は「できないことだらけ」としか想像できず、猫の「底力」がここまでとは思っていなかった。

 手術を指導してくださった齊藤先生も、術後に先輩医師にラブちゃんの話をしたら、こんなことを言われたそうだ。

「そうさ、簡単にあきらめて猫様の可能性を閉じてはいけないよ」

 齊藤先生は心から思う。「私たちの想像をはるかに超えた能力を見せつけてくれたラブ様には、こちらから、ありがとうございますと言いたい」と。

 ラブちゃんの保護後、警察と市役所環境課では、付近の草むらに違法トラバサミの設置はないか見回ってくれ、口頭で注意喚起もしてくれたが、見つかってはいない。このままでは、外猫はもちろん、子供や散歩する飼い犬にとってもたいへん危険なので、市の広報紙でも「トラバサミは違法。見つけたら一報を」と広報してくれる約束だ。

抱っこされる白黒猫
成井さんに抱かれるラブちゃん

 成井さんのラブちゃんへのいとしさはいや増すばかりだが、腎臓の数値など体調がもう少し整って、避妊手術を終えたら、譲渡会に参加させる予定だという。

「うちには、この後も保護待ったなしの預かりっ子たちが次々とやってくるでしょう。ラブには、ラブだけをしっかり見守って、愛し育ててくれる家族を見つけてやりたいんです」

 手術後のケージや術後服を貸してくれたのは、市内で保護活動をするもう一つの団体だった。発見者の山下さんも、ラブちゃんのことがきっかけで保護活動のお手伝いをしてくれるようになった。携わった先生方も、その後のラブちゃんをいつも気にかけてくださっている。捨てられたのかノラ生まれだったのか、1匹の小さな猫は、その生きる姿でたくさんのことを人間に気づかせ、つなぎ合う手を増やしてくれている。

 成井さんはラブちゃんを胸に、しみじみと言った。「周りから愛されるようにと、ラブという名をつけたのですが、それ以上に人を信じ愛してくれる子でした。猫って、ほんとうにすごいなあ」

【前の回】雨の夜、路上に横たわる大けがした猫 救ったのは通りかかった男子高校生

佐竹 茉莉子
人物ドキュメントを得意とするフリーランスのライター。幼児期から猫はいつもそばに。2007年より、町々で出会った猫を、寄り添う人々や町の情景と共に自己流で撮り始める。著書に「猫との約束」「里山の子、さっちゃん」など。Webサイト「フェリシモ猫部」にて「道ばた猫日記」を、辰巳出版Webマガジン「コレカラ」にて「保護犬たちの物語」を連載中。

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この連載について
猫のいる風景
猫の物語を描き続ける佐竹茉莉子さんの書き下ろし連載です。各地で出会った猫と、寄り添って生きる人々の情景をつづります。
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