雨の夜、路上に横たわる大けがした猫 救ったのは通りかかった男子高校生
雨の夜だった。用事があって、いつも通らない道を自転車で帰宅していた男子高校生は、舗道脇に何かを見つけ、目を凝らした。置物だと思ったが、スマホのライトで照らすと、それは横たわる猫で、舗道が黒光りして見えたのは血だった。車にはねられたのだろう。動かないが、死んではいない。何人もが通り過ぎていく。高校生は、部活で使うタオルでそっと猫を包み、さらに制服の上着を脱いでくるんだ。「助けてあげるからね、がんばるんだよ」
あの日から、500日
ピンクのじゅうたんが敷かれた部屋の窓辺で、三毛猫のこはるはのんびりと春の日差しを浴びている。ここは、彼女の一番のお気に入りの場所だ。光の加減で、その灰白色の目は銀色になったりきれいな緑色になったりする。こはるは目が見えない。
「こはる、おいで」
命の恩人の大好きなお兄ちゃんが、猫じゃらしを振って遊びに誘う。こはるは大喜びで飛んで行き、猫じゃらしにじゃれつく。見えない分、かすかな音にも気配にも敏感だ。部屋に置いてあるものの配置もすべて覚えている。お兄ちゃんは、こはるが自由に行き来できるよう、思春期というのに自室のドアを外してくれている。
ケイコ母さんは、「我が家の初めての女の子」であるこはるのために、自室にふかふかのピンクのじゅうたんを敷いた。ベッドに上るステップも置き、トイレも2つある。
この3月で、こはるがここにきて、500日が過ぎた。しばらく寝たきりだったのが、今は楽しそうに遊ぶし、要介助でも口からちゃんと食べられる。獣医さんも驚く回復ぶりだ。
「よくここまで回復したね」
ケイコさんは、小さな命のここまでのがんばりを思いきりほめてやりたい。血だらけのこはるがやってきたあの日が、昨日のようでもあり、遠い日のようでもある。
「事故に遭った猫がいる!」
2022年の11月4日。雨の夜だった。自宅にいたケイコさんのスマホが鳴る。陸上の部活動をしている次男からだ。その日は、用事があって、帰宅が遅くなっていた。
「お母さん、猫が事故に遭ったようなんだけど」
車で20分ほどのバス通りに急いだ。道ばたに次男が猫を抱いてしゃがみこんでいる。ぐんにゃりした猫をくるむ彼の制服の上着は血だらけだ。ケイコさんは猫を車の中へ入れ、近くの獣医を調べて電話を掛けた。
「お金、大丈夫?」「うちではなく、他の病院へ」「5万くらいかかりますよ」
どこも、「すぐ連れてきて」ではない。至近ではないが、実家の近くの顔なじみの獣医さんがすぐに診てくれることになった。向かう車内で、次男がぽつりと言う。「人間は救急車を呼べるのに」「何人も何人も通ったけど、誰も足を止めなかった」
猫は、あごが砕けてずれ、歯が折れ、目と口から出血していた。目は、光の反応のみ。交通事故で、顔を強打したと思われた。猫としての生体反応が乏しく、まさに死の淵にいた。
時間外の診察室で、獣医師、ケイコさん、次男、同行したケイコさんの母が瀕死(ひんし)の猫を取り囲んでいた。
「気がつくと、おとなたちみんなで、『この子、どうする』と、ずっとうつむいたままの次男に答えを求めていました。すると、次男は顔をあげて、言ったんです。『俺はこの子を助けたいだけなんだけど』って。ハッとしました。そうだ、『この子、どうする』ではない。助けることだけを考えよう、と」
手術は困難で、点滴と抗生剤投与をしてもらい、一日おきに通院することになった。推定年齢は5歳とのことだった。
こはる見守り隊ができた!
獣医さんから借りたケージの隅で、猫は眠ることもできずにじっと痛みに耐えている。「助かれ、助かれ」と祈りながら、その体をひたすら温めることしかできない。次男は、ケージのそばでひと晩を明かした。
猫は、なんとか死の淵から脱した。左目が開かず、右目は充血しているが、少しずつ眠りにつくようにもなった。一日おきに、点滴と注射に通うのが怖くてケージの中で粗相をするが、それも生きてこそだった。警察と保健所にも届け出たが、飼い主は見つからなかった。
考えてみれば、ケイコさん一家は、猫と暮らしたことがなかった。何の知識もなく、無我夢中で重傷の猫のお世話を始めたのだった。ケイコさんは保護直後からX(当時はツイッター)で毎日発信を始めた。飼い猫だったのなら、どうか飼い主の目に届くようにと。
「飼い主さんが見つかったときには、この子はこんな風に事故後を過ごしていたということも伝えたくて毎日発信を続けました。たくさんの方が目にとめてくださり、いろいろなアドバイスと励ましをくださいました」
トイレのこと、投薬のこと、食事の取らせかた……寄せられた親身のアドバイスを、ケイコさんは、みなノートに記し、役立てた。同じような障害を持つ猫の飼い主さんからのアドバイスもあった。
「フォロワーさんたちのアドバイスや励ましがなければ、こはるの今はありません」
保護直後はとりあえず「ミケちゃん」と呼んでいたのだが、「来陽(こはる)」という名を提案してくれたのも、フォロワーのひとりだった。「みんな頑張っているから、春はお日様は必ずやってくると思って」と考えてくださったその名を、危機を脱したときにつけた。
こはるの扱いは夫も含め家族共通理解が大切なので、壁には注意書きを貼った。家族がみな不在の折は、結婚している長男が帰ってきて参加してくれた。
一歩ずつ、できることが増えていく
飼い主が現れないまま3カ月がたって、こはるは正式にここの家の子になった。ケイコさんは、連日の発信に代わり、折々の成長やエピソードをつづる「コハル通信」をXで始めた。寝てばかりだったのが、両目が開き、やがて、恐る恐る家の中を歩き回り、控えめに甘えるようになり、はじめての抱っこもさせてくれたときのうれしさ、いとおしさ。
ケイコさんがずっと心してきたことがある。
「お世話をするときはこはるの目が見えていないと思ってやり、話しかけるときは、少し見えていると思って話しかけています。でも、次男は、すべて見えていると思って接していると思います」
去年の7月には、避妊手術も無事終えた。あごの状態は稼働域はやや広がったものの、ふつうの猫の半分以下なので、スポイトでの給餌(きゅうじ)・給水となる。
一袋10粒ほどのカリカリをお皿に載せ、「あと6粒だよ」「これでおしまい」などと話しかけながら、口のわきから入れてやる。かまずとも猫はちゃんと消化でき、栄養になるのだ。
あごに開いている穴を塞ぐ手術は、あごの開かないこはるにはとても難しい。手術の選択は、飼い主の判断となる。今のところ、ケイコさんたちは、こはるの自然治癒力を信じて、一歩一歩の回復を見守る様子見の方法をとっている。
去年の夏以来、急に自分では水を飲まなくなったため、水場を2カ所にして促し続けていたのだが、つい最近、やっと自分で飲んでくれた。まだ、その1回だけだが、できることは一つずつ確実に増えていく。「コハル通信」で報告するたび、いつもわがことのように喜んでくれる見守り隊からあたたかなコメントがたくさん寄せられる。
ケイコさんは言う。
「大変だったかと問われれば、大変だったと答えるしかありません。でも、それ以上に、こはるはこんなにもしあわせな日々を私たちに運んできてくれました」
春から専門学校生のお兄ちゃんは、小さな可愛い妹の目を見つめてやさしく話しかける。
「こはる、これからも少しずつできることが増えていったらいいね。急がず、自分のペースで頑張ればいいよ」
こはるの周りは、春の陽光で満ちている。
きっとこはるには、家族の笑顔が見えている。
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