犬の「世話」を苦に感じなくなる考え方と、今のうちにやっておくべきこと
先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤 賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。
楽しいばかりではない犬との暮らし
犬がそばにいる暮らしは楽しいものだ。何げない仕草に笑うことも増えるし、日々の暮らしに彩りが増え、心が豊かになる。しかしそればかりではない。彼らのためにやらなければならないこともあるし、それなりに苦労もある。自分ひとりならそんなことしなくて済むのに、とストレスに感じることもあるかもしれない。それらをあえて「世話」というとして、私はまったく苦労とは思っていない。その根拠や考えを書いてみるので、ちょっと愛犬の世話に疲れている人は参考にしてみて欲しい。
どんな日でも必ず行かなければならない散歩
まず毎日の散歩について。多くの犬は外でしか排泄(はいせつ)しなくなるから、どうしても毎朝毎晩2回くらいは散歩に行くことになる。彼らはそれが当然になっているから、寒い日だろうが大雨だろうが「そろそろ散歩行こうよ」と催促される。「いやいや、こんな大雨の中なんでわざわざ外に出なくちゃならないんだよ」と言ったところで通じない。
それについては、いい運動だと思っている。私は昔からスポーツにまったく興味がない。見るのはいいが、自らやることはない。どうやら、体を動かして汗をかくことに喜びを感じない脳の構造になっているらしく、放っておくと出来るだけ動かずに済ませようとする。それではいかん。年齢的にも多少は運動した方がいい。
私ほどでないにしても、自分が一日に歩いた距離を考えてみれば、移動は車や電車で、驚くほど歩いていないことに気づく人も多いはすだ。そういう意味で、問答無用で必ず行く犬との散歩はとてもいい運動になっている。
同時に犬も外を歩くことでストレス発散している。たしかに冬の凍える朝や大雨の中歩くのは嫌だが、厚着すればいいし、ぬれたら着替えればいいだけだ。むしろ彼らがいないと絶対やらないことだから、感謝している。散歩に行く前「雨、やんでくれないかなぁ」とは思ったりはするけども。
抜け毛地獄
他には抜け毛問題がある。一部の犬種を除いて、犬の抜け毛はすごいし、室内で暮らしていると換毛期もダラダラ続き、年中抜け毛をそこら中にまき散らしてくれる。私も毎朝フローリングに落ちた毛をモップで集めているが「なんで一日でこんなに落ちてるんだ」と思うほどの量だ。床だけでなく服にも毛が付くので大変である。
ただ、服については次第に毛が目立たない色を選ぶようになったり、付きにくい素材を好むようになるが、最終的にはどうでもよくなる。友人の服に抜け毛が付いていることを指摘してあげたとき、「あ、はいはい」とササッと手ではたいて終わった場合、その人はこの領域に達していると思ってそっとしてあげた方がいい。
日々の掃除については、私もストレスに感じていたことがある。富士丸と暮らしている頃、彼のふわふわしたアンダーコートがテキサスの荒野の枯れ草のごとくゴロゴロと丸い塊になっており、驚異の吸引力を誇る掃除機さえ詰まらせるほどだった。だから常々どうにかならんものかと思っていた。
その悩みが彼がいなくなった後、落胆に変わった。あれだけ毎日掃除機をかけても湧いてきた抜け毛が、どこにもない。以前は数日掃除しないとえらいことになったが、なんともない。そのことがとても悲しかった。
そしてしばらくした頃、家具の下からひょこり出てきた抜け毛を見たときの、あの寂しさ。唐突に「あぁそうか、もういないんだ」と実感し、ぎゅうっと胸が締め付けられる。その言いようのない空虚感は、たぶん経験した人は知っていると思う。だから今はいくら抜け毛をまき散られていても「この抜け毛製造機め」と文句を言いながら、ありがたいとさえ思っている。
10年後に思うこと
それから、犬が元気に暮らしているうちにやっておくべきこともあると思う。頭の片隅では分かっていてもあまり考えないようにしているが、彼らはいつかいなくなる。最期まで看取ってやれれば悲しい思いをするのは自分だけで済むが、自分が先に死んでしまう可能性もゼロではない。健康状態や年齢に関係なく、予期せぬことはある。そのときに愛犬をどうしてやれるか。
現在は結婚しているからまだいいが、富士丸と暮らしている頃は独身だったので、財布にはあるカードを入れていた。そこには信頼出来る人の名前と連絡先が書かれていた。不慮の事故で自分にもしものことがあったときは富士丸を頼む、と頼んでおいた友人だ。
外出中に突然私が死んだら、富士丸は誰も帰ってこない部屋でひとり飢え死ぬしかないからだ。結局そのカードは使わずに済んだが、犬と暮らすということは、自分に何があったとしても必ず最期まで面倒を見るという覚悟と備えが必要だと思っている。
あと、もうひとつ今のうちにやっておくべきなのは、写真を多く撮っておくことだと思う。ついつい忘れがちになってしまうが、愛犬の写真はなるべくたくさん残しておいた方がいい。いなくなると底が見えないほど悲しく辛いが、写真を見れば、それがいつ頃どんなときにどこで撮ったのか、何年経ってもなぜか忘れず覚えていたりする。
自分にしか分からないことで他の人にとって価値はなくても、後々それがとても大切なものになる。そこには目に見えるかたちで彼らとの思い出が詰まっているからだ。
ちょっと説教臭くなってしまったが、これが富士丸と暮らし、別れを経験して10年が経ち、今は大吉と福助と暮らしている私の素直な気持ちだ。だから愛犬の世話にちょっと疲れたりしていても、そんなに悩むことはないと思う。
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