連載の最後に言いたいのは「犬は○○」ということ 彼らの望みは「そばに居たい」
先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤 賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。
犬は何も悪くない
この連載はこれが最終回です。アーカイブは残るようですが、新たな記事が更新されることはありません。2020年6月から始まって、55回にわたりこれまで色々書いてきましたが、それは犬に対するあくまでも私の考えで、何かしら参考になればいいなと思っています。
ただひとつ、間違いないと思うのは「犬は悪くない」ということです。子犬のときにはトイレの失敗はするし、破壊活動もするけれど、犬を迎え入れたのは自分だし、そもそもトイレを決まった場所でする習慣もない犬を無理やり人間社会に適応してもらおうとしているのは私たちです。
それに人間だって、若い頃は多少やんちゃな時期はあるものでしょう。子どもの頃から礼儀正しく物わかりが良いなんて、逆にちょっと心配になります。
それでも犬は偉いもので、わりとすぐにトイレを覚え、なんとなく人間社会のルールを理解して、家族の一員になってくれます。これは断言しておきますが、どんなにやんちゃな犬もいつか必ず落ち着きます。
そのいっぽうで、ルールを覚えてくれたはずなのにトイレを失敗したり、何かを破壊したり、いたずらをすることがあります。それは、わざとです。不満があるけど、言葉で伝えられないからそうやって意思表示するしかないわけです。
そういうときは、自分の行いを振り返ってみましょう。散歩の時間は毎日だいたい同じか、運動量は足りているか、一緒に遊んでいるか、気遣っているか、犬の存在を忘れて自分のことばかり優先していないか。
たぶん、犬がわざと悪さをするときは、どれかに当てはまっているのではなかと思います。だから、犬が悪いわけではないのです。
すべては富士丸に教えてもらった
私が昔からこういう考え方だったかというと、全然違いました。先代犬の「富士丸」と狭い1DKのマンションで、「ひとりと一匹」で暮らしている頃は、仕事から帰る度にクッションや、ひどいときはソファベッドまで食い破られ、仕方ないので玄関にゲートを設置して、留守番させるときはそこに閉じ込めたりしていました。
それでも帰宅すると、毎回トイレシートをグチャグチャに食い破られ、「働かないと暮らせないから働いているのに、なんでこんなことばっかりするんだよ!」と叱ったものです。その度にシュンとした顔で反省するくせに、また帰宅するとトイレシートがグチャグチャ。「なんで分かってくれないんだよ」と思い悩んでいた時期もあります。
その頃のネットは今より情報量が少なかったのですが、掲示板などであれこれ調べている中で「犬は悪くない」という意見がありました。そのときは「そうか?」と思いましたが、よくよく考えてみると、大型犬なのに運動量が足りていないのではないか、当時は夜勤で朝帰ることもありましたが、散歩に行ってゴハンをあげると後は寝てしまう。夜になると、友達と飲みに行くこともありました。そんなとき、富士丸はどう思っていただろう。寂しかったに違いない。
そこで、間違っていたのは私だったと気が付きました。そう、富士丸は何も悪くはなかったわけです。
それからは心を入れ替えて、帰宅後はなるべく一緒に遊ぶ時間を意識して、運動もたくさんさせて、友達と飲むのは家飲みに変えました。車を借りて一緒に旅行もしました。すると、富士丸は何の問題行動もしなくなりました。彼が3歳半の頃です。
それからは、どんどん意思疎通が出来るようになり、お互い目を見るだけでだいたい相手が何を考えているのか分かるレベルになりました。
犬との接し方は、すべて富士丸から教わったのです。犬にも人にも超フレンドリーで、けんかを売られても買うことは一切なく、温厚で利口なやつでした。
5歳くらいになると精神年齢では追い越され、私が二日酔いで頭が痛いと倒れていると「何やってんだか」とあきれた目で見られたものです。彼は一番の理解者で、私も彼の一番の理解者で、濃密な時間が流れていました。そんな時間が永遠に続かないことは頭の片隅では意識して。
どん底から今にいたるまで
そんな富士丸は、7歳半のある夜、突然いなくなりました。5時間ほど家を空けて帰宅すると息絶えていたのです。夕方までいつも通りだったし、少し前に受けた健康診断でも異常はなかったのに。想像出来る中で最悪の別れで、私はひとり残されました。
それから奈落の底へ、もう二度とはい上がることは出来ないだろうと思うほど深いところまで落ちました。「絶望」という本当の意味をこのとき初めて実感したのです。
それが2009年10月のことだから、もう16年も前のことですね。そんなに経っているのに、今でも富士丸の写真を見ると、どこへ行ったときなのか思い出せるし、一緒に過ごしたあの7年半は最高だったと思っています。だからきっと、富士丸は私にとって天使だったんだろうと。
富士丸との別れから2年半の空白期間を経て、大吉を迎え、福助が加わって今にいたるわけですが、彼らがいなければ復活することはなかったと思うので、やっぱり大福も私にとって天使なのです。
初台の1DKでどん底にいた私が、大吉を迎えると気力が戻り、福助が加わり腰越に引っ越し、さらに2023年には八ヶ岳に移住しました。そもそも山へ移住したのも大福がいたからで(腰越の夏が暑すぎたから)、いなかったら絶対しいなかったでしょう。
彼らには生き方すら変えられているわけですが、それで良かったと思っています。大吉は13歳で、福助は11歳、もう富士丸を越えて一緒に過ごしているわけで、再びかけがえのない時間の中にいるんだと思います。
だからもし、今ペットロスのどん底にいて、出口が見えないとしても、こうして復活した人間がいることを知っておいてください。私の場合、すべては大吉と福助のおかげではありますが。
どんな犬もあなたにとって天使になるはず
そして、これから犬を迎えたいと思っているなら、譲渡先募集の存在も選択肢として加えておいて欲しいと願います。昔と比べて譲渡条件が厳しくなったので、保護団体が高飛車に感じて腹立たしく思う人もいるかもしれませんが、以前書いたように、厳しくしないといけない理由が保護団体側にもあるのです。
ペットショップで何十万で売られている犬(猫)がいるいっぽう、誰も引き取り手がなく殺処分されている現実を私はずっとおかしいと思っています。
純血種でも雑種でも、迎えたのなら最後まで面倒を見る。それさえ守れば犬も飼い主も幸せで殺処分問題もかなり改善するはずなのに、と。
富士丸も、大吉と福助もいつでも里親募集中で出会って迎えましたが、みんな天使でした。だから純血種でも雑種でも、犬はみんな、その人にとって天使になるはず。
2015年、私はライター業をやりつつ「DeLoreans」という犬グッズブランドを立ち上げましたが、デロリアンズの名前の由来は富士丸です。ハスキーとコリーのミックスで、あまりにも頻繁に「何犬ですか?」と聞かれるので、面倒臭くなって「グレート・シルバー・デロリアン」というデタラメな犬種名を名乗っていたからです。
シンボルマークも富士丸にして、不幸な犬(猫)を減らしたいという思いから10年間、毎月収益の一部を動物保護団体に寄付して、どこにいくら寄付したのか報告してきました。犬種なんて関係なく幸せになってもらいたいという願いからDeLoreansにしました。
ちなみに大吉は、ホワイト・フォクシー・デロリアンで、福助はブラウン・フォクシー・デロリアンです。どちらも何が混ざっているか分からないくらいの雑種ですけど。福助は元々野犬ですし。
あなたのそばにいる犬も、あなたにとって天使なはずなので、彼らが望むことはなるべくかなえてあげましょう。たくさん遊びに行きたい、思い切り走りたい、とか色々思っているでしょうけれど、最終的に彼らが一番望んでいるのは「そばに居たい」のではなかと思います。たくさんなでてあげてくださいね。
長くなってしまいましたが、これでお別れです。これまで長らくお付き合いくださりありがとうございました。またいつか、どこかで。
穴澤 賢

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