盲導犬は、目の不自由な人だけでなく私たちみんなの希望
私には須貝守男さんという、視覚障害とともに生きる友人がいる。いま64歳の須貝さんは、36歳ごろから目の病気で見えにくくなり、40代に入ってからは白杖で歩くようになった。そして、46歳のときから盲導犬と歩く生活をしている。
(末尾に写真特集があります)
現在のパートナーはクロス。公益財団法人日本盲導犬協会から貸与された初代の盲導犬リンディが引退したあと、2代目の盲導犬として、8年ちょっと、ともに暮らしてきた。
須貝さんと出会ったのは、10年前、島根あさひ社会復帰促進センターで盲導犬パピー育成プログラムを立ち上げるにあたり、パネリストとしていっしょに登壇したシンポジウムの場だった。受刑者が盲導犬候補のパピーを育てるという構想に対して、会場にいた盲導犬ユーザーの人からこんな不安の声が出た。
「私は盲導犬に命を預けています。はたして刑務所のなかで、ほんとうに命を預けられるような犬が育つんでしょうか?」
それを聞いた須貝さんがすかさず口を開いた。
「私は盲導犬に命を預けてはいません。犬が伝えてくれる情報をもとに、どうするか考えるのは私自身であって、自分の命には自分で責任を持ってますから」
そうなのだ。私たちはつい、盲導犬が視覚障害の人の道案内をしているかのように錯覚してしまいがちだが、じつはそうではない。
盲導犬の仕事は、安全のために道の端っこを歩き、角や段差、障害物があったら止まり、よけられるならよけること。盲導犬がすごいのは、たとえ人間が「Go」と言っても、犬が危ないと思ったら動かずにいる、という判断ができることだ。が、犬の頭にナビが入っていて、どこでも行きたいところに連れていってくれるわけではない。あくまでも人間のほうが道順を頭に入れたうえで、犬が伝えてくれる「角に来ましたよ」「階段がありますよ」という情報をもとに、「じゃあ、右に曲がるよ」「階段を下りるよ」と人間が下した判断を犬に伝え、お互いに情報をやりとりしながら歩いているのだ。
須貝さんとクロスを見ていると、二人はたしかな信頼と愛情で結ばれていると感じる。社会的な動物である犬にとって、自分の飼い主といっしょにどこでも行けるというのは、どれほど幸せなことだろう。家族が出かけて誰もいない家で、ときには玄関先につながれて、何時間もひとりぼっちで過ごす犬より、どれだけ幸せかと思う。
残念なことに、世間一般の盲導犬に対するイメージは、「かわいそう」というものが多いようだ。盲導犬はストレスが多くて寿命が短いという誤解も根強い。だが、須貝さんの初代の盲導犬だったリンディは16歳と2か月で大往生。盲導犬の平均寿命は約13歳(2006年7月盲導犬情報第50号)で、一般のラブラドールより長生きであることもわかっている。大切なパートナーの健康管理に常に気を配っている須貝さんを見れば、そのことにも十分納得がいく。
「盲導犬は社会の宝」須貝さんはそう話す。
社会の多くの人々の寄付によって盲導犬育成が成り立っていることを考えれば、たしかに盲導犬は社会的財産と言えるかもしれない。だが、一番大きいのは、盲導犬とともに暮らす人々から、私たちみんなが希望を与えられる−− そのことではないだろうか。
フォトジャーナリストである私にとって、どんな障害より、視力を失うことほど怖いものはなかった。それが、クロスといっしょにどんどん外出し、コンサートや観劇も楽しむ須貝さんに出会ってからは、たとえ見えなくなっても、なんとかなるような気がしてきたのである。盲導犬は目の不自由な人ひとりを支えているのではなく、私たちみんなの支えでもあることを実感する。
じつはクロスはまもなく引退し、須貝さんのもとを離れてパピーウォーカーさん宅に引き取られることが決まっている。これまでいつもいっしょにいたパートナーがある日いなくなる……その喪失感はどれほどだろうと思う。
だが、須貝さんはこれからも盲導犬とともに歩き続けるつもりだ。三代目の盲導犬を迎え、変わらず颯爽と歩く彼の姿を見たい。
◆大塚敦子さんのHPや関連書籍はこちら
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。