気づかれにくい障害の目印に 聴覚障害者を支え、社会の多様性に貢献する聴導犬
元保護犬の聴導犬とともに社会の第一線で活躍している人がいる。音を知らせるだけではない、聴導犬のはたす役割とは――。
津田塾大学准教授の中條美和さん
7月の津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス。政治学を教える総合政策学部准教授の中條美和さんは、さわやかなレモンイエローのワンピースをまとい、さっそうと現れた。中條さんは生まれつき聴力が弱く、補聴器を外すとほとんど聞こえない。1対1でのコミュニケーションでは、相手の唇の動きを読み取る口話と、人の音声を文字に変換するUDトークという機器などを使い、大学の授業はスライドを多用しながら口頭でおこなう。学生からの質問はチャットやメールで受ける。
頼もしい相棒、聴導犬の「次郎」
大学教員として活躍する中條さんの頼もしい相棒は聴導犬の「次郎」だ。日本犬ミックスの次郎は公益社団法人「日本聴導犬推進協会」(埼玉県ふじみ野市)で訓練された元保護犬。飼い主のいない母犬に連れられて千葉県内の動物愛護センターの敷地に現れた七匹の子犬のうちの一匹だそうで、保護団体に引き出された後、適性を見込まれて協会に引き取られ、聴導犬となる訓練を受けた。
中條さんが聴導犬を知ったのはアメリカに留学していたときのこと。大学の先生が聴導犬を連れているのを見て、自分にも聴導犬がいたらいいんじゃないかと思ったのがきっかけだったという。アメリカではずっとその町に住むかどうか状況が読めず申請に踏み切れなかったが、帰国し、住居が定まったところで、日本聴導犬推進協会に申請。2016年に次郎と初対面し、医師、獣医師、言語聴覚士、ソーシャルワーカーなどの専門家から成る第三者機関での審査を経て、次郎との合同訓練に進んだ。
聴覚障害があると気づいてもらえる
中條さんの生活とニーズに合わせたカスタムメイドのトレーニングを約8か月おこない、聴導犬になって4年。次郎はアラームやインターフォン、冷蔵庫が開いたままになっているときの警告音、洗濯機が終わった音などを知らせるほか、道を歩いているとき背後から自転車や車が近づくと、後ろを振り向いて教えてくれる。たまに何か物音がしたような気がするときがあるが、次郎の様子を見て確認できるので安心できるそうだ。
聴導犬といることで、なにより助かるのは、聴覚障害があると周囲に気づいてもらえることだという。視覚障害や肢体不自由と違い、聴覚障害は見た目にはわからない。でも、聴導犬と大きく書かれた明るいオレンジ色のケープを着ている聴導犬が傍にいれば、それが目印となり、周囲が中條さんに伝わるコミュニケーションを工夫してくれる。たとえば、以前は病院の待合室では、いつ呼ばれるかと常に緊張していなければならなかったが、次郎がいる今では、順番が来たら呼びに来てくれるので、リラックスして待っていればいい。
テクノロジーの進歩により、いまでは煙・火災報知器やサイレン、赤ちゃんの泣き声などの音を検知すると、スマートフォンやスマートウォッチで振動やライトの点滅、メッセージ表示などによって知らせるアプリも登場している。聴覚障害のある人の生活をサポートする技術は今後もさらに発展していくにちがいない。だが、音を知らせるだけでなく、目印となることも、聞こえない人・聞こえにくい人が社会の中で安全に暮らすうえでの聴導犬の大きな役割だ。そして、目印になることによって、聴導犬は一般の人たちが聴覚障害者の存在に気づくきっかけになる。
聴導犬は社会の多様性への一助となる
2018年の厚生労働省の調査によると、日本にはおよそ34万人の聴覚・言語障害者(身体障害者手帳を持つ人)がいるが、障害が目に見えないため、社会の中で忘れられがちな存在だ。その他にも、身体障害、知的障害、精神障害など何らかの障害のある人は全国に約946万人いて、これはおおざっぱに言うと人口の7.6パーセントにあたる(令和3年版障害者白書)。
この社会には、自分が気づいていないだけで、じつはさまざまなチャレンジを抱えて生きている人々がたくさんいる。それを知ることは、誰もがより生きやすい社会をつくるための重要な一歩になるはずだ。
「なぜコミュニティの中に障害のある人がいないのか考えてほしい」と、中條さんも言う。たとえば、小学校の頃はいろんな子がいたのに、中学、高校と進むにつれて、似たような人たちばかりになっていく。障害のある人とない人は、進路の段階で道が分けられてしまうことが多い、と感じるそうだ。
「もっと多様性のある社会になってほしい」
聴覚障害のある人々が社会で活躍できるようサポートする聴導犬は、きっとその一助になるだろう。
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