「何かあってもなんとかなる!」と思えるように 難病の女性の自立を支える介助犬

松山ゆかりさんと2代目の介助犬「サスケ」(日本介助犬協会提供)

 進行性の神経性難病を抱えながらも、介助犬とともに一歩一歩前に進み、自分の可能性を広げていく。その歩みはどんなものだったのだろうか。

自立に向け日本介助犬協会の門を叩いた

 松山ゆかりさん(40歳)は、現在2頭目の介助犬「サスケ」と暮らして4年目。その前は「ジョイ」という介助犬と7年半生活をともにした。

 松山さんには二分脊椎に加え、いまも診断がついていない進行性の神経性難病がある。10歳頃から手に力が入らなくなり、やがて鉛筆を持つこともできなくなった。23歳のときには歩行が困難になり、車椅子が必要に。だが、病院で検査をしても原因はわからず、何の病気かもわからないままに時が過ぎていった。

 福祉作業所に通いながら自宅で生活をしていた松山さんは、26歳のとき、ついに念願だった一人暮らしをスタート。ところが、入居した住宅は十分なバリアフリーではなかったため、人の手助けなしでは外に出ることもできず、自立とはほど遠い生活になってしまった。

 大学で社会福祉と心理学を学んだ松山さんは、幸い介助犬に関する知識を持っていた。そこで、「社会福祉法人日本介助犬協会」に介助犬を申請、2011年6月、ジョイと初対面した。

初代の介助犬ジョイと(日本介助犬協会提供)

 介助犬と介助犬使用者のペアとして認定されるには、合同訓練を終了し、認定試験をパスしなければならない。そのためには、犬に何をしてもらいたいのかを明確に指示する。つまり、自分の意志をしっかり持って相手に伝えることが求められるが、これが松山さんにとっては簡単ではなかったという。

「もっとがんばればできるはず」。

 もうこれ以上できないぐらいがんばっているのに、そう言われ続けてきた松山さんは、周囲の無理解に苦しみ、やがて自分のことも信じられなくなっていったそうだ。

自己不信を乗り越え、晴れて試験に合格

 日本介助犬協会の専務理事で医師の高柳友子さんによると、病気の症状や障害の内容、その人が感じている困難は一人一人違うため、なかなか周囲に理解されず、松山さんのように深い孤独感を味わう人が少なくないという。

 だが、まず犬とアイコンタクトをしてから指示を出す練習を繰り返すうちに、松山さんは次第に明確に自分の意図を伝えられるようになっていく。そして、2011年9月、見事認定試験に合格。晴れてジョイとペアになった。

ジョイとペアになり生活は一変

 合同訓練に入る前、高柳さんが「介助犬を持ったら一番にしたいことは?」と聞いたときの松山さんの答えは、「近所のコンビニに一人で買い物に行きたい」。着替えるにも、ドアを開けて外に出るにも、車椅子に乗るのも、すべて人の介助を必要としていた日々は、ジョイと暮らすようになって一変した。たとえば、以前はベッドから起き上がるのに1時間もかかっていたのが、ジョイの起き上がりサポートがあれば、わずか5分でできるようになった。

 一人だったときと違い、介助犬と外出するようになってからは、いろんな人が声をかけてくれるようになったことも安心につながったとのこと。近所のコンビニどころか、ジョイが来てから3カ月後には、新幹線に乗って岐阜から大分や東京まで旅行することができたそうだ。

ジョイはかけがえのないパートナーとなった(日本介助犬協会提供)

 介助犬を迎えたことで、松山さんの世界は大きく広がっていく。それまで通っていた福祉作業所は介助犬であっても犬は不可というので辞めることになり、それをきっかけに一般就労をめざすことにしたのだ。

 まずは運転免許を取得する必要があったが、当時の松山さんは車椅子から車の運転席への横の移乗ができなかったため、リハビリセンターに入所して本格的なリハビリを受けることに。そしてなんと、13回試験に落ちたにもかかわらず、14回目の挑戦で、見事運転免許を取得したのである。

 自分が心から笑っていることに気づいたのはこの頃だという。
「ジョイと出会って、元の自分に戻れた気がしました」と松山さんは言う。

 介助犬の仕事は肢体不自由の人の「自立」をサポートすること。さらっと言ってしまいがちな「自立」という言葉だが、そこにはとても深い意味があると感じる。ただ単に一人暮らしや一人での外出ができるようになるというだけではなく、その人らしさを取り戻し、さらに新たな潜在能力を引き出していく。そこまで含んだ奥深い言葉なのだということを、松山さんの言葉から気づかされた。

ジョイが引退し、決意を新たに

 かけがえのないパートナーだったジョイは、2018年の末、10歳半で引退した。ほんとうは最後までいっしょに暮らし、看取りたい。でも、そうすると2頭目の介助犬は持てない……。

 だが、「もし私がまた以前のような状態に戻ってしまったら、ジョイが悲しむ。ジョイがくれた7年半という時間が無駄になってしまう」と、葛藤のあげく、松山さんはジョイを手放し、新たな介助犬を迎える決心をする。 

 それから3年半ちょっと。ジョイは14歳になるいまも引退犬ボランティアの元で幸せに暮らしているそうだ。そして、松山さんのほうは2頭目の介助犬サスケとともに、ついに一般就労という長年の夢を叶えた。現在は在宅でホームページの制作や事務作業などをしている。

守るべき存在が大きな活力に

 パソコンの前に長時間座り続けると身体に大きな負担がかかるが、決まった時間に散歩に連れていったり、ご飯をあげたり、排泄させたりと、サスケの世話をすることが生活にリズムを生み出しているそうだ。「自分だけのことだとおろそかになりがちだけど、守るべき存在がいるというのはほんとうに大きいです」と松山さんは言う。

サスケと街を行く松山さん(日本介助犬協会提供)
  

「介助犬がいることで、一番助かるのはどんなことですか?」と松山さんに聞くと、「何かあってもなんとかなると思えること」という答えが返ってきた。

 松山さんの病気は進行性だ。最近は肺活量が低下し、夜横になると苦しくて眠れなくなったため、現在は呼吸器をつけて寝ているという。その松山さんの「なんとかなると思えるようになった」という言葉の重みは計り知れない。それを支える介助犬との絆の深さを思う。

 じつは松山さんは「椎名ひびき」というペンネームで詩作をしている詩人でもある。「足跡」と題された松山さんの詩で、このコラムを締めくくりたい。

君と歩いてきた日々
この道にしっかりと
足跡を残して……
この足跡を振り返り
見つめるたびに……
ありがとうと
君の瞳を見つめながら思う
頑張ったよねと語りかける……
また明日も
しっかりと地に足を付けて
足跡を残して
未来の
まだ見ぬ涙するあなたへ
大丈夫よ……と
前へ進めるよ……と
伝えるために

【前の回】気づかれにくい障害の目印に 聴覚障害者を支え、社会の多様性に貢献する聴導犬

大塚敦子
フォトジャーナリスト、写真絵本・ノンフィクション作家。 上智大学文学部英文学学科卒業。紛争地取材を経て、死と向きあう人びとの生き方、人がよりよく生きることを助ける動物たちについて執筆。近著に「〈刑務所〉で盲導犬を育てる」「犬が来る病院 命に向き合う子どもたちが教えてくれたこと」「いつか帰りたい ぼくのふるさと 福島第一原発20キロ圏内から来たねこ」「ギヴ・ミー・ア・チャンス 犬と少年の再出発」など。

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この連載について
人と生きる動物たち
セラピーアニマルや動物介在教育の現場などを取材するフォトジャーナリスト・大塚敦子さんが、人と生きる犬や猫の姿を描きます。
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