「このおもちゃ、僕のかみ跡でだいぶ汚れてきてるね」(小林写函撮影)
「このおもちゃ、僕のかみ跡でだいぶ汚れてきてるね」(小林写函撮影)

元野良猫「はち」の、続く夜鳴きと朝鳴き 変化のきっかけは脱走未遂事件だった

 人生ではじめて一緒に暮らした猫「ぽんた」を看取ってから2カ月半が過ぎた1月末、私はぽんたの野良仲間だった茶白猫を保護して家に迎え、「はち」と名付けた。

(末尾に写真特集があります)

続く夜鳴きと朝鳴き

 はちの夜鳴きと朝鳴きは、家に迎えて2週間近く経ってもおさまらなかった。

 インターネットで猫の夜鳴きについて検索すると「外の猫を家に迎えたときはケージを用意し、最初はその中で過ごさせたほうがよい」という意見が散見される。たとえ先住猫がいなくても、そのほうが自分の居場所ができて安心し、早く室内環境に慣れ、夜鳴きもしなくなるという。

 今更ケージなど用意しても、はちは入りそうもないし、入れる自信もない。それに、からだも大きく活発なはちを狭い場所に閉じ込めたら、よけい大騒ぎをしてストレスをかけそうだ。

 それでも、はちが鳴いている時間は徐々に短くなってきていた。というより、こちらが状況に慣れてきたのかもしれない。

「おばちゃん、なかなか動かし方いいよ」(小林写函撮影)

 夜中は、興奮して部屋中を飛び回っていようが、激しく鳴いていようが、私は布団をかぶって熟睡できるようになっていた。「にゃーお、にゃーお」という声や、ドアをガリガリ掻く音を聞いているうちに意識が遠のき、朝、目覚ましが鳴って起きると、はちはクローゼットの中、ということが日常になった。

 朝は、よく観察していると、ずっと鳴きっぱなしというわけではなかった。

 リビングに置いてある物見台やソファの上で香箱を組み、くつろいでいる時間もある。それが急に、何の前触れもなく衝動的に立ち上がり、床に飛び降り、ウロウロしはじめるのだ。

 窓に向かって鳴いたり、出口を探すように前脚でサッシの縁を掻き、臭いをかぐ。リビングのドアを開けると、ツレアイの部屋、お風呂場、私の部屋、廊下を鳴きながら徘徊する。

 そうして、しばらくすると気がすむのか、またソファの上に座り込むのだった。

「まるで、外に置いてきた忘れ物を急に思い出すみたいだな。『まずい、僕こんなところでボーッとしている場合じゃなかった、野に戻んなきゃ』というような」

 はちの様子を見て、笑いながらツレアイは言った。

 しかし、笑いごとではすまないできごとが、数日後に起こった。

肝を冷やした脱走未遂事件

 ある日の午前中のことだった。

 私はリビングのダイニングテーブルに置いたノートパソコンで仕事をしており、ハチは向かいのソファで丸くなって居眠りをしていた。

 リビングの隣にはキッチンがあり、そこに面したベランダで、ツレアイは洗濯物を干そうとしていた。

 うちはマンションの2階だが、はちが脱走する危険があることは2人も承知していた。

 リビングからキッチンのベランダの様子は見えない。

 ガラガラとサッシを開ける音がし、冬の朝の冷たい空気が部屋の中に入ってきた。

 その途端、寝ていたはずのはちがすっくと起き上がり、床に飛び降り、キッチンに向かった。

 まずい、と思ったが制止できず、慌てて立ち上がり「はちが!」とベランダのツレアイに向かって大声を上げた。と同時に、はちはキッチンから一目散にベランダを目指し、私の視界から消えた。

「目にもとまらぬ速さだろ」(小林写函撮影)

 からだが硬直し、血の気が引いた。

 すぐに「わっ!」と言うツレアイの声が聞こえ、ほどなくバンとキッチンの床に何かが叩きつけられる音がした。見ると、ツレアイから放り投げられたはちだった。はちは即座に立ち上がると、床を転がるようにして私の部屋へと走り去り、クローゼットにもぐってしまった。

 聞けば、はちは、ベランダの手すりに飛び乗り、そのまま外に降りようとしたらしい。しかし、飛び降りる足場がないことで一瞬躊躇したため、ツレアイははちのからだを掴むことができたという。手すりから引きはがそうとしたが、はちが踏ん張ったので自然と力が入り、はちの脚が手すりからはずれたときは、反動で室内に放り投げる形になったのだった。

「そのうちきっと逃げてやる」(小林写函撮影)

「はちのジャンプ力はすごいな。キッチンの床から一気にベランダの手すりに飛び乗るんだから。まるで三段跳びの選手のようだ。もし、手すりの上で躊躇しなかったら、向かいの家の塀まで飛び越えて行っただろうな」

 とツレアイは自分の不注意を棚に上げ、無責任に感心していた。私は、その光景を想像するだけで背筋がぞっとした。

 その日、はちは夜になるまでクローゼットから出てこなかった。けがをしていないか心配だったが、リビングに現れたときは、昼間のできごとはすっかり忘れたかのように近づいてきた。フードを与えるとぺろりと平らげ、ゴロゴロと喉を鳴らした。

はちに訪れた心境の変化

 この日を境に、はちの夜鳴き朝鳴きはぐっと減った。

 鳴きながら家中を徘徊しても、窓に向かって伸び上がったり、サッシの隙間を掻いて出口を探すような行動はしなくなった。

 換気のためにベランダに面した窓を網戸にし、外気を感じると、びっくりした様子で逃げる。外に出ようとして捕らえられ、放り投げられた経験がよほどこたえたのかもしれない。

「あのときは、怖い思いをさせちゃって悪かったね」とツレアイははちをなでながら言う。

「でも野に戻ったって、遊んでくれる人が来るのをボーッと座って待つか、ほかの猫に追いかけられて逃げるぐらいしか、することはないでしょう。だったら、この家にいなよ」

 この言葉に、はちが納得したのかどうかはわからない。

(次回は9月16日公開予定です)

【前の回】小さな頭をなでながら気持ちはふさぐ 野良猫時代「はち」はとても愛されていた

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
続・猫はニャーとは鳴かない
2018年から2年にわたり掲載された連載「猫はニャーとは鳴かない」の続編です。人生で初めて一緒に暮らした猫「ぽんた」を見送った著者は、その2カ月後に野良猫を保護し、家族に迎えます。再び始まった猫との日々をつづります。
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