また会いたいといつも思う 20歳の愛猫と家族を立て続けに亡くした飼い主の思い
いつか来るペットとのお別れの日――。経験された飼い主さんたちはどのような心境だったのでしょうか。
2018年に雑種の愛猫のちび(享年20歳)お見送りした飼い主の祐子さん。ちびちゃんが亡くなって数年は、ちびちゃんが食べていた鶏肉を見ると息が詰まるような感覚が続いたそうです。ちびちゃんと同時期にお母さまも亡くされた祐子さんに、「死に向き合う」ということはどういうことなのかをお聞きしました。
縁側から入りストーブの前から動かなかった子猫
――愛猫ちゃんのお名前を教えてください。
「ちび」です。1998年12月に生後3カ月くらいのころに庭に来て、家の庭に住み着きました。その時自宅にはすでに猫がいたので、ちびには庭でご飯をあげていました。ある時、そのころまだ存命だった弟が縁側を開けたら、ちびはパっと家の中に入り込んで、「ストーブの前から動く気はない」という態度で座り込んでしまって。寒かったんでしょうね。じゃあ家で飼おうということになりました。
もともと自宅にいた猫はなんとなく私が担当、ちびは弟が担当だったのですが、間もなく弟が若くして亡くなって……。その後、私が面倒を見ていた猫が亡くなり、それから残された私とちびが寄り添って生きてきた感じです。
18歳でがんを発症、20歳で虹の橋を渡った
――ちびちゃんはなぜ亡くなったのでしょうか?
2016年18歳のときに、後ろ足の肉球がなんとなく割れたみたいになって、その裂け目が広がっていきました。検査をしたところ上皮性悪性腫瘍(しゅよう)と判断されました。
その時にすでに腎不全と甲状腺機能亢進症もわずらっていたので、麻酔をしてがんを取ることを悩みましたが、獣医さんに「この子は大丈夫だと思います」と言われ、手術をして肉球のがんをとりました。
その後しばらくは調子が良かったのですが、半年くらいしたころに、足のリンパにコロッとしこりが何か所かあったので、また病院へ連れて行ったところ、がんが転移していました。もう選択肢は足の切断しかないという状態だったので、年齢も考え足の切除はしませんでした。その後、肺に転移し、呼吸困難で最後は亡くなりました。
――がんを発症し手術もしてから2年、ちびちゃんは頑張りましたね。
そうですね。でも転移してからは、食事の量が徐々に減っていきました。腎不全のため、1日3回、自宅で輸液もしていました。輸液を始めたころは、母にちびを押さえてもらいながらしていました。でもその母の調子が悪くなり、母の看病とちびの看病を同時にすることになりました。母が亡くなり、わずかその10日後にちびも亡くなりました。
スーパーの鶏肉売り場に行くと悲しさがよみがえる
――ちびちゃんを亡くされたとき、どのようなお気持ちでしたか?
最後のほうは食事ができなくなったので、鶏肉を買ってきてレンジでチンしてあげていました。でもお肉は食べず、肉汁と油をなめていた感じでしたね。
ちびが亡くなったあと、スーパーの精肉コーナーへ行くと、ちびの事を思い出して「うっ」と息ができなきなるような感覚がしばらく続きました。最近は少し良くなってきましたが、亡くなった2、3年はだめでしたね。
人間の死もペットの死もただただ悲しい、解決は時間だけ
――祐子さんにとって「死と向き合う」ということはどういうことでしょうか?
向き合うというより、どういえばいいかしら……ただ悲しいです。べつに悲しいのを無理に押さえる気もないですし、事実を受け止めて、時間で解決するしかないのかなと思います。時間が経ってもつらい気もちはかわらないけれど、なんとなく和らいでいく感じはあります。
――弟さん、お母さまの死と、ちびちゃんの死に違いはありますか。
人間の死もペットの死も一緒です。何回経験しても変わらないです。ただただ悲しいということしかないと思います。まぎらわすことはできないと思いますね。
悲しみを癒やすのは時間しかないと語ってくださった祐子さん。祐子さんに取材した2日後に筆者は父を亡くしました。今、祐子さんの言葉が心に強く響いています。
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