かりん15歳のころ、共に暮らしていたパピヨンの蘭が亡くなりほえなくなった
かりん15歳のころ、共に暮らしていたパピヨンの蘭が亡くなりほえなくなった

ペットの死に向き合うとは、宿命を受け入れること 愛犬と過ごした22年を振り返る

 2024年12月8日、著者は19歳5カ月のトイプードル「かりん」をみとりました。先日、初めての月命日を迎えましたが、今も寂しくて仕方ありません。毎日遺骨の前にドッグフードとお線香をお供えし、寝る前にもお線香をあげて、トイプードルのぬいぐるみを抱きしめて眠りにつきます。

 sippoでは、これまで3年9カ月にわたり「ペットの死に向き合う」をテーマに、ペットを亡くされた飼い主さんを取材してきました。今回、この連載は最終回となります。連載の取材・執筆を行ってきた著者が、自身の経験を踏まえて考える「ペットの死に向き合う」を書かせていただきます。

(末尾に写真特集があります)

「多頭飼いがいい」と聞いて

 かりんが我が家に来たのは、2005年真夏のことでした。当時、新婚だった私たちの家には、私が独身のころから飼っていた先住犬、2歳6カ月のパピヨン「蘭(らん)」がいました。かりんも蘭も、同じブリーダーさんのもとから来た子です。

 フルタイムで働く私たちは、留守番が多かった蘭のために「多頭飼いだと寂しくないらしい」と聞き、もう1匹を迎えることに決めました。しかし、かりんが自宅に来た直後に蘭は拒食症になり、かりんも生後2カ月で我が家に来た直後から下痢が止まらず、体重が落ちてしまいました。

 それでも、2週間ほどで蘭は拒食症を乗り越え、かりんの体調も回復し、2匹ともすくすくと成長しました。しかし、なんでこんなにも仲が悪いのかと思うほど、2匹はよくケンカをしていました。「仲が悪くても多頭飼いが良いかどうか」――、その答えはいまだにわかりません。

 2007年に第1子が誕生したのですが、退院して生後10日の赤ちゃんを自宅で迎えた際には、蘭もかりんもすんなりと受け入れ、体調を崩すこともなく、とはいえ、子供に興味を示すこともなく、それまでと変わらない生活を送ることができました。

 私が産後1年で職場復帰したので、蘭もかりんも基本的に留守番が多く、彼女たちが一番若くてハツラツとしていたころは、朝晩のお散歩や週末のお出かけが日常でした。そんな「当たり前」の日々こそがどれだけ貴重だったかに気づけたのは、ずっと後のことでした。

姿勢反響なのか、同じ態勢で寝ていたかりんと蘭

感染症になり生死をさまよったかりん

 2012年、蘭9歳、かりん7歳ごろ、将来的な病気のリスクを考え、2匹とも避妊手術を行いました。ところが、かりんだけがその後、犬アデノウイルス1型という伝染症にかかってしまいました。この病気で2.5キロあった体重は1.8キロまで減少し、常に40度を超える発熱が続き、約半年もの間、生死の境をさまよいました。

 7歳と若かったこともあり、かりんは一命はとりとめることができたのですが、併発した皮膚炎の後遺症で後ろ左脚が使えなくなり、以降、3本脚で歩くようになりました。それでも病後の経過はよく、体重も元に戻り、やがて以前と同じように蘭とケンカをする日常が戻ってきました。

かりん8歳。病気を乗り越えて少し元気になったころ

2020年に蘭が他界、死に直面

 2017年、我が家に第2子が誕生しました。私は妊娠を機にフルタイム勤務をやめ、フリーランスとして働き始めていました。第2子が自宅に来た際も、第1子のときと同様に、2匹に変わった様子はありませんでした。娘のベビーカーと愛犬たちのリードを持ち、散歩をする毎日がとても幸せでした。

 しかし、翌年から蘭に認知症の症状が見られるようになりました。それは、トイレの場所がわからなくなったり、壁に突き当たってそのまま止まってしまったり、昼夜逆転、無駄ぼえ、徘徊(はいかい)といった典型的な症状でした。

 2年後、蘭は誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、17歳3カ月であっという間に旅立ってしまいました。あまりのショックに私は3カ月間、毎日泣き続け、「ペットの死に向き合うとは何なのか」と自問自答するようになりました。

 遺骨を胸に抱き、枯れることのない涙を流しながら答えを探す日々の中で、この連載をsippoで始めさせていただくこととなりました。それから3年9カ月で45人の飼い主さんに「ペットの死に向き合うとは?」を問い続けてきました。それは、自分自身で出せなかった答えを探すためでもありました。

蘭16歳のとき。認知症はあったものの毛はつやつや、見た目は以前と変わらないままだった

かりんがヘルニアに。歩けなくなった

 蘭が亡くなった当時、かりんは14歳10カ月でした。ケンカする相手がいなくなったからか、一切ほえることがなくなり、静かな日々が続いていました。年々、散歩もゆっくりとしたペースになり、歩く距離も徐々に短くなり、「老い」を確実に感じていました。

 17歳8カ月になったとき、かりんは排便時に悲鳴を上げ、後ろ脚が立たなくなりました。かかりつけ医や以前取材をさせていただいた獣医師、また整形の専門医にも診ていただき、ヘルニアだとわかりました。

 しかし、年齢的に全身麻酔のリスクが高く、MRIなどの精密検査をしても手術には耐えられないという判断で、すべての獣医師の意見が一致したため、精密検査はせず、投薬治療で緩和させることにしました。その後、かりんは1年9カ月にわたる介護生活に入りました。

自力で動けなくなったのでおむつ生活になった17歳8カ月のかりん

リモート以外の仕事をやめ、介護に専念

 かりんが自力で歩けなくなってから3カ月ほど、夫婦でリモートワークをする時間を調整したり、どうしても調整が難しいときは、かりんを動物病院へ預けたりと、何とかかりんを一人にしない方法を模索し続けました。

 しかし次第に心身共に「もう限界」というぎりぎりのラインに達し、私はかりんの介護に専念するために、リモートでできる仕事以外はすべてやめることにしました。それがその時、ベストの選択だと感じたからです。

 そこから亡くなるまでの1年6カ月、私はひたすらかりんと向き合いました。介護初期には、「また歩けるようになるのでは」という希望を持ち、犬用の歩行器を購入し、筋肉が衰えないようにマッサージしたり、超音波機器で痛みを和らげたり、脳に刺激を与えるために毎日抱っこして外へ連れ出していました。

 介護後半には、脱水症状を防ぐために、毎日、自宅で皮下注射の輸液をし、床ずれ防止のために体勢をこまめに変え、少しでも不快や痛みを訴えることがあれば獣医師に相談して薬の量や回数を調整し、屋上での日なたぼっこが日課となっていました。ひとときも目が離せなかったので、毎晩、夫がかりんとリビングで寝る生活を送っていました。

 かりんは次第に1.3キロまで体重が落ちていましたが、私はその現実から目を背け、「歩けないし、寝たきりだけれど、きっとこんな生活がこれからもずっと続いていくのだな」とぼんやりと考え、願っていました。しかし、別れはやってきました。

介護を始めたころ、歩行器に乗せて四肢の筋肉を維持するトレーニングをしていた

年齢は関係ない、死は宿命

 19歳5カ月と聞くと、たいていの方は「大往生でしたね」とおっしゃってくださいます。たしかに、死因は老衰で大往生、でも私は生きていてほしかったのです。では、何歳まで生きてくれたら納得できたのでしょうか?20歳?21歳? おそらく年齢は関係なかったのだと思います。何歳であっても「もっと生きていてほしかった」と私は望んでしまうと思うのです。

 全45回の連載を通して、取材をしながら「ペットの死に向き合う」ということの答えを探してきました。そして今、2匹目の愛犬をみとった私の答えは、「その子の宿命を受け入れる」ことだと考えています。

 持病もなく健康そのものだった蘭が認知症になり、17歳3カ月であっさり旅立ったのも宿命。大病をして3本脚で生活していたかりんが、19歳5カ月で旅立ったのも宿命。それは、きっと変えられなかったものです。一方で、「ペットの死に向き合う」ということの答えは、一つではありません。愛するペットを亡くした人の数だけ、向き合い方や答えがあり、それぞれ異なって当然だと思います。

 かりんが亡くなってから、「ありがとう」「ごめんね」をもう何百回も口にしました。「うちに来てくれてありがとう。幸せな時間を共に過ごしてくれてありがとう。長生きしてくれてありがとう。そして、亡くなる前に長く看病する時間を与えてくれてありがとう」。同時に「手術からの伝染病でつらい思いをさせてしまってごめんね。留守番をたくさんさせて寂しい思いをさせてしまってごめんね。ヘルニアの痛みを取ってあげられなくてごめんね」と。

 蘭を飼い始めた2003年1月から、かりんをみとった2024年12月までの22年間、私はペットオーナーとしてとても幸せでした。そして、2匹を失った今、ただ寂しいです。

 先日、かりんの四十九日に、ペットの譲渡会ボランティアに行ってきました。寒空のもと、迎えてくれる人を探す8匹の犬たちと時間を共に過ごしました。そのとき「私たちの残りの人生で、犬を飼うことは二度とない」と感じました。

 私たち夫婦は、わずか数時間一緒に過ごした犬たちでさえも、情が移ってしまうほど犬が好きなのです。だからこそ、蘭とかりんを失った悲しみと同じ悲しみに、また耐えられるとは思えません。これからはペットオーナーとしてではなく、世の中にいる、まだオーナーに巡り合えていない犬のサポートを通して、犬と関わっていきたいと考えています。

譲渡会にいた生後3カ月のパピーたち。寒い中で頑張っていました

 最後に……
 sippoという媒体があったからこそ、「ペットの死と向き合う」というテーマで連載を続けることができました。取材させていただいたわんちゃん、猫ちゃん、飼い主さんのことはこれからも忘れません。

 この連載の執筆機会を与えてくださった朝日新聞sippo編集部の皆様、ありがとうございました。そして、かりんを診てくださった獣医師や動物病院の関係者の皆様、いつも連載を読んでくださった皆様に、この場をお借りして心より御礼を申し上げます。

連載「ペットの死に向き合う」の一覧はこちら

岡山由紀子
某雑誌編集者を経て、2016年からフリーのエディター・ライターとして活動。老犬と共に暮らす愛犬家。『人とメディアを繋ぎ、読者の生活を豊かに』をモットーに、新聞、雑誌などで執筆中。公式サイト: okayamayukiko.com

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この連載について
ペットの死に向き合う
いつか来るペットとのお別れの日。経験された飼い主さんたちはどのような心境だったのでしょうか。みなさんの思いを伺います。
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