愛犬の死... 悲しみは癒えない、でも受け入れることができるようになった
いつか来るペットとのお別れの日――。経験された飼い主さんたちはどんな心境だったのでしょうか。
2018年に愛犬であるポメラニアンの「シュクレ」(享年13歳)を亡くした朝子さん。3年経った今、愛犬の死とどう向き合い、現在はどのような気持ちでいるのか、お話をお聞きしました。
ニューヨークでの出会い、そして別離
――亡くなった愛犬との出会いは?
夫の駐在先のニューヨークのペットショップでひとめぼれしたのが、シュクレとの出会いです。他のわんちゃん達が元気に動き回っている中、シュクレは生まれつき体が弱かったようで、いつもまわりに背を向けて寝ていて、お尻しか見せないような子でしたが、なぜか私はその子に惹かれてお迎えすることにしました。
子どもがいなかった私にとって、彼女は長女のような存在で、本当にいとおしく、共に過ごす日々がとても幸せでした。
シュクレが9歳のときに私に息子が生まれたのですが、私とシュクレのそれまでの時間が濃密過ぎたのか、彼女が子どもに嫉妬して噛みついたり、息子も小さくてシュクレの毛を引っ張ったり、シュクレにとっても息子にとってもいい環境を保つことができませんでした。
環境が変わったせいかシュクレは吠え続けて。周りから苦情がきたり、いろいろとトレーニングは受けさせて、みんなで暮らせる方法を模索したのですが……。さんざん悩んで考えて、私たちが日本へ帰国するまでのほんの少しの間、シュクレを日本の実家に一時的に預けることにしました。
――離れて暮らした時期があったのですね?
夫の駐在が何年か延び、結果的にシュクレが亡くなった2018年までの数年間、日本とアメリカで離れていました。駐在が延びると決まったときにニューヨークに連れ戻したかったのですが、シュクレは生まれつき体が弱く、獣医師から「長時間の飛行機の移動は寿命を縮める可能性がある」と言われてしまい、片道14時間かかるニューヨークに連れ戻すことができませんでした。
腕の中で静かに息を引き取った愛犬
――シュクレは日本で亡くなったのですね。
シュクレと離れて暮らしているときは毎日、テレビ電話で話しかけ、様子を見ていました。亡くなる1カ月くらい前に持病のヘルニアが悪化して突然歩けなくなり、預けていた実家の母からシュクレがかなり危険な状態だということを聞き、急いで帰国しました。
――「死」には立ち合えたのですか?
空港からまっすぐ実家に帰り、なるべく明るく再会しようと、実家に着いて「シュクレ!シュクレ!」と明るく呼びかけたら、見えていないはずの目をガッと見開いて、一生けん命に体を動かして喜んでくれました。
歩けなくなってから食べないと聞いていたのですが、好きだったおやつをその時は食べてくれて。「食べられてよかったね。明日はお散歩行って、一緒にたくさん遊ぼうね」とその後もずっと、何時間も抱っこしていました。
でも、寝る時間になったのでケージに入れようとしたら、その瞬間に私の手に思いっきり噛みついたんです。「ずっと抱っこしていてほしかった、降ろされたくなかった」と言いたかったのかもしれません。
私はケージの隣でシュクレの様子を見ていたのですが、夜中にあからさまに調子が悪いのがわかったので、抱き上げ「ずっと大好きだよ」と話しかけ続けました。そしてそのまま腕の中で亡くなりました。
愛犬の死との向き合い方は人それぞれ
――亡くなって3年経ちますが、今は悲しみは癒えたのでしょうか?
いえ、一生悲しみは癒えないと思います。大好きだったシュクレの毛と爪を思い出に大切に持っていて、思い出すといまだに泣くこともしょっちゅうです。
写真に写る彼女の瞳の中に、私の姿が映っていて「この子はずっと私を見てくれていたのだな」と、けなげな彼女の姿を思い出すと、一生忘れることはできないと感じています。
悲しみは癒えないし、過ごした時間も亡くなった事実も乗り越えられないけれど、すべて受け入れることができるようになったのかもしれません。私にとってシュクレの死と向き合うということは、乗り越えることではなく、受け入れることなのだと思います。
――シュクレとの別れは一生乗り越えられないと語った朝子さん。乗り越えられないものの、受け入れたことで、毎日泣き続ける日々から抜け出すことができたそうです。虹の橋を渡ったシュクレが幸せで在りますように。
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