「犬は今を生きる」のか、そうではないのか? 毎年夏になるとおびえるのはなぜ
先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。
夏になるとおびえる大吉の謎
前回は「犬は今を生きるわけではない?」ということを書いた。よく犬は時間の概念がないといわれるが、経験上そんなことはないし、少なくとも過去は認識しており、彼らの行動から近い未来も予測しているに違いないと述べた。これは意外でも何でもなく、犬(や猫)と暮らしたことのある人なら実感していると思う。
さらに大吉は、どうも季節も認識しているようだ。今暮らしている腰越は、海を挟んで江の島がすぐ向かいに見える街で、うちから砂浜まで歩いて2分ほど。夏になると、夜な夜などこかから若者がやって来て砂浜で花火をする音が聞こえてくる。大吉はそれが嫌でたまらないらしい。
日が暮れる頃にソワソワして落ち着きがなくなるし、窓を開けていると「早く閉めろ」と目で訴えてくる。まだ花火の音は聞こえてもいないのに、だ。せめて聞こえてから怖がれよ、と思うが「もうすぐあの音が聞こえてくるかもしれない」と思っているのだろう。毎年夏にはこうなる。
興味深いのは、夏が終わり涼しくなって来ると、日が暮れてもオロオロしなくなくなることだ。花火の頻度かと思ったが、今年はコロナ禍の影響で例年に比べると花火の音が聞こえてくる夜は格段に少なかった。なのに、夕方になると毎日おびえたように落ち着きがなくなっていた。それが秋になると落ち着く。つまり、大吉は暑い時期には夜にパンパン聞こえて、涼しくなれば収まることを理解しているようなのだ。
しかも、日が暮れるとおびえるのは腰越にいるときだけで、夏に山の家に行けば何事もない顔をしている。どうやら大吉の中では「腰越・夏の夜・花火」というのが結びついているらしい。「場所」「季節」「時間帯」「現象」を関連付けて予測しているわけで、犬にはそれくらいの能力があるということになる。
だから「今を生きている」わけではない。きっと彼らは私たちとほとんど変わらない感覚で生きているのだ。
犬の本能と恐怖心
ただ、恐らく死の概念はないのではないかと思う。自分がいつか死ぬことや、少しでも長生きしたいとは考えていないように見える。もちろん危険は回避しようとする。しかしそれは「死にたくない」というより、生物の本能のようなものではないだろうか。しかも犬の場合、危機回避本能が頼りない。大吉も福助も車を避けようとしないから怖い。
そうかと思えば、意味不明な恐怖心もある。知らない犬や初対面の人を警戒する福助は理解出来るが、大吉はどちらも平気なのに(というより社交的で誰にでもフレンドリー)、花火以外にも、雷を極度に怖がる。子犬の頃は平気だったのに、あるときから突然怖がり出した。
このタイプの犬は多いそうだが、嫌な思いをしたことなんてないはずなのに、なぜ雷を怖がるのか。それが本能だとしたら、どんなメリット・デメリットがあるのか、なぜ怖がらない犬が一定数いるのか(福助も)、分からない。
少なくとも雷は確率で考えても死に直結することではない。だから死を避けるために雷を恐れるとは考えにくい。たぶん、ただ怖いのだろう。
ある意味では今を生きる
犬は自分が経験したことを覚えているし、それに基づいて予測もする。が、そんな日常がずっと続くと思っているのではないだろうか。今日と同じ一日が明日も続くと。そういう意味では、「犬は今を生きている」といえる。
いつか自分がいなくなることや、残された方がどれほど辛く悲しい思いをするのかなど想像もしていないはずだ。だけどそれを、彼らは知らなくていい。出来ることなら知って欲しくない。今を楽しく、少しでも快適に暮らしてくれれば、それでいい。
うれしそうに目を輝かせている彼らを眺めながら、ときどきふと、そんなことを思う。嫌な役目だなぁと思うが、こればっかりは仕方ない。彼らが来てくれたおかげで、どれだけ日々の暮らしが楽しくなったことか。
改めて、2年前に階段から落ちて大怪我したときに、死ななくて良かったと思う。大吉と福助には、「今」を少しでも長く生きてくれと願うだけだ。
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