玄関で待ち伏せし、必死で部屋に入りたがる野良猫 その理由とは

目次
  1. ある晩、野良猫が
  2. 猫が部屋の中に
  3. また現れた猫
  4. ミーと名付けた
  5. 希望と現実の間で

 東京湾に注ぐ運河に囲まれた街の一角にA動物病院はある。一恵さんがここに来るのは、今日がはじめてだ。連れてきた猫は、彼女の猫ではない。1週間ほど前に自宅の前で出会い、3日間一緒に暮らし、名前もつけた。でも、飼えない事情がある。

(末尾に写真特集があります)

 待合室で診察を待つ間、一恵さんは何度もキャリーバッグをのぞきこみ、中にいる猫に話しかける。
「せっかくうちを選んでくれたのに、ごめんね……」

 6月のある晩のことだった。仕事のあと、友人と家の近所で食事を終えた一恵さんは、友人を連れて一人暮らしのアパートに帰宅した。すると、ドアの前に猫が座っていた。

 この町には、飼い主のいない猫が多く暮らしていた。その中の1匹に違いない。

 一恵さんは動物は大好きだったが、これまで動物を飼った経験はなく、野良猫は苦手だった。

 理由は、かわいいと思って手を差し伸べても、きっと懐いてはくれないから。野良猫を家猫にするのは不可能、そう思っていた。家で飼えないのに、かわいそうだからと無責任に餌を与えるわけにはいかない。それに餌など与えてしまったら最後、その猫の行動が気になって頭から離れなくなるのは目に見えている。

 「永遠の片思い」に振り回されるのは、ごめんだ。だから気になる猫を見かけても無視することにしていた。住んでいるアパートは、ペット飼育禁止でもあった。

 今、目の前にいるのは、茶色の毛に黒いしまの入ったキジトラ柄で、子猫ではないが顔つきはどこかあどけない。雌猫のようだった。

「今回主演を務めさせていただくミーです。よろしく」(小林写函撮影)
「今回主演を務めさせていただくミーです。よろしく」(小林写函撮影)

「きゃー、かわいいね」。一緒にいた友人は声を上げたが、一恵さんは見て見ぬふりでドアを開け、部屋に入ろうとした。

 そのとき、猫はドアの隙間から部屋の中に向かって疾走した。

 一恵さんは啞然とした。友人は大喜びで、2人でお酒のつまみにしようと買ってきたかにかまぼこの封を開け、与えた。

 猫はあっというまに食べ終わると、顔をあげて2人の顔をじっと見る。

 結局、猫はかにかまぼこ1パックを平らげた。満足そうに顔を洗うとベッドに飛び乗り、丸くなった。今まさに眠りに入ろうとするその無防備な様子を見て、一恵さんは胸にじんわりと温かいものがわくのを感じた。

 だが、飼えない猫を泊まらせるわけにはいかない。心を鬼にし、友人と一緒にその晩は外に追い出した。

 その2日後、帰宅すると部屋の前にまた同じ猫がいた。行儀よく脚をそろえてすわり、待っていましたと言わんばかりにニャーと鳴く。ふっと気がゆるんだ隙をつき、猫は開いたドアからまた部屋に入ってしまった。

 しかたなく、冷蔵庫に残っていたかにかまぼこを与えた。食べ終わると、こちらのひざに乗ったり、床に転がっておなかを見せたりする。

 胸に、再び温かいものがわいてきた。だがこの晩も、一恵さんは猫を外に出した。

「今日はこの部屋でお昼寝かな」(小林写函撮影)
「今日はこの部屋でお昼寝かな」(小林写函撮影)

 それから2日間は、猫に待ち伏せをされても、頑として部屋に入れなかった。

 すると朝鳴き、夜鳴きに悩まされることになった。夜中と早朝、ナオーンナオーンと、ベランダの向こうで鳴いているのは、間違いなくあの猫だ。それは「おうちに入れて」と懇願しているかのように聞こえた。

 これでは近所迷惑になる。餌付けをしてしまったのは、自分の責任だ。せつない鳴き声は一恵さんを苦しめ、無視できないほど大きくなる。

 悩み抜いた末、一恵さんは猫を一時的に保護し、譲渡先を探すことに決めた。

 猫は「ミー」と名付けた。アパートの大家さんには事情を話し、特別に猫飼育の許可を得た。

 猫を飼ったことのある友人のアドバイスに従い、キャリーバッグを買った。なんとかミーをその中に入れることに成功すると近所の動物病院に連れて行き、ノミダニと寄生虫駆除の薬の投与をしてもらった。

「初夏なのに、こたつに入っている夢見そう」(小林写函撮影)
「初夏なのに、こたつに入っている夢見そう」(小林写函撮影)

 人に慣れているミーは、飼い猫だった可能性もある。近所の警察や区の動物愛護センターに迷い猫の届け出はないかを問い合わせたが、該当する猫はいなかった。

 猫トイレで用を足せるようになり、ベッドで一緒に寝るほどまでにミーは一恵さんのもとでくつろいでいた。なでると、ゴロゴロと気持ちよさそうにのどを鳴らす。

 しかし、3日目に様子が変わった。部屋の中を落ち着きなく歩き回り、窓ガラスをかいて外に出たそうなしぐさを見せる。ナオーンと遠ぼえのように鳴く。

 心配になり、譲渡先探しの相談をしていた近所のNPO団体に電話をした。すると、驚く答えが返ってきた。

「ミーちゃん、おなかが大きくないですか?もしかしたら、妊娠しているかもしれません」

 言われてみれば、確かに腹部がふくらんでいる。そして理解した。野良猫のミーが、必死に部屋に入りたがった理由を。安心して子猫を産める場所をさがしていたのだ。

「気がつかなくて、ごめんね」

 一恵さんの目から涙がこぼれた。

 ミーの望みをかなえてあげたい。

 しかし、産ませたあと、どうするのか。外に放したら危険だし、繁殖して野良猫はどんどん増える。子猫ごとミーを引き取ってくれる譲渡先をみつけるのは不可能に近いだろう。第一譲渡先が見つかるまで、ミーと子猫の面倒を誰がみるのか。自分には、荷が重すぎる。

 希望と現実との間で悩み、一恵さんは決意した。そうして、前回行った病院とは違うA動物病院に電話をかけた。

【前の回】「猫語」で猫にあいさつする獣医師 動物の負担を減らす気づかい
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宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
動物病院の待合室から
犬や猫の飼い主にとって、身近な存在である動物病院。その動物病院の待合室を舞台に、そこに集う獣医師や動物看護師、ペットとその飼い主のストーリーをつづります。
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