生きる糧だった愛猫を亡くし面影を探す日々 「前を向けた」2匹の猫と出会ったあの日
別室から診察台の上に連れてこられたサビ猫は、まだ小さくあどけなかった。「かわいいな、にゃあ子にちょっと似ているな」とI子さんは思った。
そのとき、ふいに「もう1匹の黒い猫ちゃんも見たいのですが」という言葉が口をついて出た。
ふと思う
都内で営業の仕事をしているI子さんは、サビ猫の「あん子」と、黒猫の「のん吉」と暮らしている。2匹は姉弟猫で、2022年6月、犬猫の保護活動を行っている動物病院から引き取った。
名前は、安穏(あんのん)な日々が続くようにと願ってつけた。
2匹はともに甘えん坊だ。あん子はお姉さん気質で、状況を見ながらI子さんにすり寄ってくる。いっぽう、のん吉は、こちらの都合はおかまいなしにストレートに愛情をぶつけてくるうえ、活発だ。
2匹が遊んだり、眠りこけている様子をながめていると、ふと思う。
もしここに「にゃあ子」がいたら、どんなふうに2匹の相手をしてくれるだろうか、と。
にゃあ子は、2011年5月、営業先のお宅にあいさつに向かう途中に出会った猫だ。通りがかった民家に停まった車の下にいた。
ガリガリに痩せた長毛のサビ柄の子猫で、目ヤニがひどく目をしょぼしょぼさせていた。だがI子さんと目が合うと、力強い足取りで近づいてきた。
にゃあ子との出会い
ペットショップで犬を買おうかと考えていた矢先のできごとだった。それでも放ってはおけず子猫を抱え上げると、飼い猫かどうかたずねるため、その家のインターホンを押した。顔を出した高齢の男性からは、「2〜3日前から居着いて困っている」との返事。
保護する旨を伝え、子猫を抱いて数件先のお客さまの家に立ち寄った。事情を話すと、その家の婦人は紙袋をくれた。この日は早急に用事をすませ、紙袋に入れた子猫を抱え、I子さんは歩き始めた。子猫はもぞもぞとはい上がり、袋から顔を出す。
すると通りすがりの年配の女性が微笑みながら近づいてきて「子猫を保護したのね、家に使っていないキャリーバッグがあるから、持っていきない」と声をかけてくれた。譲ってもらったキャリーバッグに子猫を入れ、電車を乗り継いで帰路についた。
最寄駅から自宅途中にある動物病院に立ち寄り、診察してもらったところ、推定生後2カ月半、体重は700gのメスと判明。猫風邪をひいており、ノミダニの寄生もひどかった。処置をしてもらい、子猫の飼い方について指南を受けた。ケージも貸してもらえることになった。
帰宅してキャリーバッグを開けると、子猫はすみっこでキュッと丸まって眠っていた。
I子さんは「にゃあ子」と呼ぶことにした。まだ飼うと決めたわけでなかったし、情が移らないよう、仮の名前のつもりだった。だが、それはすぐに本名となり、にゃあ子は、I子さんの帰りを毎晩、玄関で待つ猫となった。
生きる糧に
それからしばらくして、I子さんは夫と暮らしていた家を出て、にゃあ子と「2人暮らし」を始めた。
にゃあ子は、子猫のときからいたずらもせず聞き分けもよく、おとなびた猫だった。I子さんの邪魔をすることは一切なく、例えば台所に立っているときはI子さんの足元にぴったりくっついて座るか、後ろの棚にのぼっておとなしくI子さんすることを見ていた。また、遊びに来た母親とI子さんがちょっとした言い合いをしていると間に入って場を和ませた。まるで仲裁をしているかのようだった。
にゃあ子の行動は、ひとり身となり、精神的にも物理的にも不安定だったI子さんをおもんばかっているようにも感じられた。それがI子さんにはいじらしく、にゃあ子は、I子さんにとっての生きる糧となった。
にゃあ子は約10年間、I子さんとともに過ごし、持病の悪化により、2021年11月に旅立った。
にゃあ子がいない家に帰るのがつらい。猫という生き物がいない空間に耐えられない。
そうして、I子さんは都内各地の保護猫カフェに頻繁に通い始めた。
面影を探す日々
どの猫もかわいいけれど、どうしても、にゃあ子の面影を求めてしまう。なでればなでるほど、ああ、にゃあ子じゃない、と落ち込むが、それでも猫カフェ通いは止められなかった。
たまに心を動かされる猫がいて、トライアルの申し込みが頭をよぎることもあった。だが自分よりも、猫を幸せにできる温かな家庭はほかにあるのではと思うと、気がひけた。
新しい猫を迎えることが、にゃあ子ロスを埋める特効薬になるのかもしれない。だが、どうしてもその一歩が踏み出せない。にゃあ子との出会いが運命的すぎたからかもしれず、どこかで、それを待っている自分がいた。
にゃあ子が亡くなって7カ月が過ぎたときだった。
出会いが訪れた
にゃあ子を保護した際、紙袋をくれた婦人とI子さんは久しぶりに会った。婦人とはにゃあ子がきっかけで親しくなり、プライベートでも交流が続いていた。
相変わらず、遠方の保護猫カフェにも足を運んでいるというI子さんの話を聞くと婦人は「近所の動物病院で、にゃあ子ちゃんに似た子猫の家族募集の張り紙を見たから、一緒に行きましょう」と言った。
連れ出されて到着した先は奇しくも、以前、にゃあ子がかかったことのある動物病院だった。コロナ禍で完全予約制になったことで、疎遠になっていた。
院長の女性獣医師は、動物保護センターに収容された猫を預かり、譲渡先を探す活動をしていた。募集がかかっていたのは、生後2カ月弱のサビ猫のメスと、黒猫のオスの姉弟だった。
その日は写真を見ただけで帰宅した。後日、実際に猫に会わせてもらおうと決め、動物病院を再訪した。場合によっては、サビ猫にトライアルの申し込みをしようと考えていた。
別室から診察台の上に連れてこられたサビ猫は、まだ小さくあどけなかった。「かわいいな、にゃあ子にちょっと似ているな」とI子さんは思った。
そのとき、ふいに「もう1匹の黒い猫ちゃんも見たいのですが」という言葉が口をついて出た。
弟の黒猫は診察台にのせられると、一目散にI子さんに向かってきて、おなかにぴたっとくっついた。
そっと、I子さんは黒猫をなでた。子猫の体温が手の平を通し、I子さんのからだ全体に伝わった。
「2匹一緒にトライアルさせてください」
I子さんは言った。前を向けた、と思えた瞬間だった。
(次回は2月10日公開予定です)
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