「弁慶です。このソファは僕の特等席なんだ」(小林写函撮影)
「弁慶です。このソファは僕の特等席なんだ」(小林写函撮影)

猫の多頭飼い 飼い主とのきずなを確認し、同居猫との付き合い方を学んだあの日

 弁慶が家に来て10カ月後の、ある初夏の日のことだった。啓恵(ひろえ)さんはお気に入りの一人がけのソファに座り、ひざに弁慶をのせてくつろいでいた。

 するとしばらくその様子を見ていたサラが飛び乗ってきて、弁慶と啓恵さんの間にぐいっと割り込んだ。

 サラのこのような行動ははじめてだった。啓恵さんは面食らい、弁慶はさっとひざから降りた。

(末尾に写真特集があります)

サラという猫

「サラ」(推定13歳、メス)は、啓恵さんにとって人生で3匹目の猫だ。夫と、19年間ともに暮らした先住猫を見送り、身辺が落ち着いてまた猫と暮らしたいと思ったときに、保護猫団体から迎えた。

 からだの毛は白く、頭と顔にかかる部分の毛が縞模様の三毛柄で、年齢の割にあどけない顔に引かれた。猫エイズキャリアで性格は臆病、譲渡会でもケージの隅にかたまり警戒心を丸出しにしていた。それでも、もともと成猫が希望で、少し難しい猫のほうが今の自分の生活には合うと思った啓恵さんに、躊躇(ちゅうちょ)はなかった。

 サラの警戒心の強さは想像を超えていた。家に迎えて半年が過ぎても、サラは台所のガス台の下にある棚の奥にいつも隠れており、水も食事もここでしかとらない。姿を現すのはトイレに行くときか、啓恵さんが2階に上がったときだけで、たまに鉢合わせると「しまった、見つかった!」とばかりに小走りで逃げていく。

 運動もせず陽にもあたらないこの「家庭内野良生活」が、果たして猫にとってよいことなのだろうかと、啓恵さん気を揉んだ。

「こんにちはサラです。旧約聖書に出てくる名前よ」(小林写函撮影)

 それで保護団体に相談したところ「仲間ができたら変わるかもしれないから、もう1匹猫を迎えては」と勧められた。そこで紹介されたのが「弁慶」(推定10歳、オス)だった。

弁慶をサラの仲間に

 弁慶という名は、保護されていた動物病院の院長先生がつけた。弁慶は、民家の庭に仕掛けられたトラバサミに前脚を挟まれたが、心ある人によって動物病院に担ぎ込まれ、幸いにして断脚をまぬがれた過去を持つ。

 目つきは鋭くいかつい顔をしているが、人が大好きで甘え上手のため、動物病院のスタッフの間でも人気だった。ただアトピー性皮膚炎やアレルギー持ちで、猫エイズキャリアのためか結膜炎にかかりやすいなど、健康上の問題を抱えていた。

 それでも、啓恵さんは弁慶をサラの仲間として迎えることに決めた。サラと同じく、からだの毛は白く、頭にちょこんと小さな黒いかつらをのせたような毛柄が、きょうだいのように見えたからだった。

人間への甘え方を弁慶から学ぶ

 弁慶はすぐに家になじみ、啓恵さんに甘えるようになった。足元にすり寄り、昼寝をしているといつのまにか添い寝をしてきた。自宅で仕事をしている啓恵さんのひざにのっては、いつも気持ちよさそうにしていた。

 するとサラに変化が訪れた。「天の岩戸」から出てきて弁慶と同じような行動をとるようになったのだ。

「弁慶という名前は、僕が外で戦ってきて、傷だらけだからなんだ」(小林写函撮影)

 弁慶から人間への甘え方を学習したらしいサラは、弁慶よりも要求が激しかった。ひざにのりたいときはしつこく鳴いてアピールし、のせてやるとゴロゴロと盛大に喉をならす。

 うれしい反面、弁慶のことも気になった。サラが啓恵さんのひざにのっていると、少し離れたところで不服そうに弁慶はたたずんでいる。啓恵さんは「弁ちゃんが一番可愛いよ」とサラのいないところで耳元でささやくようにした。

今度は弁慶が…

 弁慶が家に来て10カ月後の、ある初夏の日のことだった。啓恵さんはお気に入りの一人がけのソファに座り、ひざに弁慶をのせてくつろいでいた。

 するとしばらくその様子を見ていたサラが飛び乗ってきて、弁慶と啓恵さんの間にぐいっと割り込んだ。

 サラのこのような行動ははじめてだった。啓恵さんは面食らい、弁慶はさっとひざから降りた。

 その日を境に、弁慶は啓恵さんに近づかなくなった。食事とトイレに行くとき以外は2階の押し入れの奥に閉じこもるようになってしまったのだ。

「サラは貴婦人のことなの。私はこの家にぴったりね」(小林写函撮影)

 最初は、すぐに甘ったれの弁慶にもどるだろうと考えていたが、1カ月たっても変わらなかった。季節は進んで盛夏となり、熱中症を心配した啓恵さんは、水や、タオルで包んだ凍らせたペットボトルを保冷剤がわりに運んだりした。

 なでることはできるのだが、以前のように頭を押しつけてくることはなく、プイッとそっぽを向いてしまう。昨日まで「お母さん、お母さん」とまとわりついていた思春期の子どもが、急に反抗期を迎えたかのようだった。

 弁慶が、そうしたいならしょうがない。そう割り切ろうと思う反面、自分に対して渋い態度のまま一生を終えてしまったらどうしようという悲しさと焦りがあった。弁慶は人間に換算すれば還暦間近の年齢だし、持病もある。

 一方のサラは、弁慶の異変にはおかまいなしに啓恵さん甘えてくる。弁慶が姿を現すと頭突きをしたりなめたりして親愛の情を示すが、弁慶はうっとうしそうだ。

穏やかな日々の到来

 このままでは、ますます弁慶との距離が広がる。そこで啓恵さんはこれまで以上に弁慶に積極的に声をかけ、なでるようにしてコミュニケーションの再構築をはかることに努めた。ストレスや恐怖を緩和させる植物由来のエッセンスも活用した。 

「サラが隠れているから、今日はお母さんのひざに乗り放題だ」(小林写函撮影)

 だが、さしたる進展もないまま、さらに1カ月が経ったときだった。

 弁慶のアトピーが悪化し、体調もすぐれないようだったのでかかりつけの動物病院で診てもらうことにした。病院へはキャリーバッグに入れて、自転車にのせて連れて行った。

 8月の暑い日だったが、道中も、診察中も弁慶はおとなしくしており、啓恵さんを拒否する様子は見せなかった。

 処方してもらった薬を自宅で飲ますと、弁慶の体調は回復した。

 その日から、弁慶は少しずつ2階の押し入れから出てきて、啓恵さんに近づいてくるようになった。再びふくらはぎに顔をこすりつけたり、しっぽを巻きつけたりするようになった。

 啓恵さんは考えた。一緒に動物病院に行ったことで安心したのではないかと。病院に行く間だけはサラに邪魔されることはなく、啓恵さんとの蜜月の時間だ。

 動物病院に行ってから1カ月後、弁慶は久しぶりに啓恵さんのひざにのった。

 その後弁慶は、サラが割り込んできても逃げることはなくなり、啓恵さんは愛猫2匹をひざに抱えながら、秋の夜長を堪能できるようになった。

 数カ月の反抗期を経て、飼い主とのきずなを確認し、同居猫との付き合い方を学んだ弁慶は、ひと皮むけた大人になったようだった。

(次回は12月13日公開予定です)

【前の回】あの日の出会い 長く猫と暮らしてきた老夫婦にとって最後で最愛の猫「ラム」

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
あぁ、猫よ! 忘れられないあの日のこと
猫と暮らす人なら誰しもが持っている愛猫とのとっておきのストーリー。その中から特に忘れられないエピソードを拾い上げ、そのできごとが起こった1日に焦点をあてながら、猫と、かかわる家族や周辺の人々とのドラマを描きます。
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