我が家の庭に突然、現れて家族の一員になった「まる」
我が家の庭に突然、現れて家族の一員になった「まる」

「家を出る」と言った日に来た猫 親子げんかを仲裁、猫と暮らす楽しさを教えてくれた

 新年を迎えても、我が家の猫たちにとってはどこ吹く風、ストーブの前が定位置である。そんな猫たちに私も便乗してぬくぬくと過ごそうと考えている。今ではすっかり猫派の私だが、思い起こすと猫との生活は四半世紀になる。

 初めて生活をともにした初代の猫「まる(メス)」は、私が20代の後半だったころに突然現れ、13年間を一緒に過ごした。“迷い猫”だったが、我が家に迷わず来た気がする。出会ってすぐ私の肩に飛び乗り、「まるちゃん」という呼び名が頭に浮かんだ。猫と暮らす楽しさを教えてくれた、亡き初代猫との思い出は、今も家族の会話に登場する。

(末尾に写真特集があります)

「家を出る」と言った日にやって来た「まる」

 20代の終わりごろ、父親と言い合いになることが多かった。理由は覚えていないが、小言にいちいち腹を立てていた。遅れてきた反抗期のようだった。当時の私は仕事が忙しく、休日は疲れて寝てばかり。せっかくの連休初日に小言を言われ、売り言葉に買い言葉で「じゃぁ家、出て行く」と言ってしまった。

 不動産屋に駆け込み、職場の近くの物件を見て歩いて二つの物件に絞った。一方は通勤に便利だが狭く、もう一方は遠いが広くて、前に住んでいた人がこっそり猫を飼っていたのか、柱の1つに爪の研ぎ跡があった。

「どちらにするか1日考えます」と担当者に告げて家に帰ってきたところ、母が「隣の家の物置の陰から猫の鳴き声がする」と言う。2、3日前から気になっていたようだ。母は猫の鳴きまねをし、「おいで、おいで」と言うと、グレーの毛糸玉のような子猫が飛び出してきて、私の肩に上がった。

 鍵しっぽを揺らし、盛んに母に甘えている。「名前は、まるちゃんにしよう。うちで飼おう」と言うと両親は反対した。しかし、私は子猫を抱き上げて家の中に入れた。母はなし崩し的にまるちゃんを受け入れ、父もひざの上でスヤスヤと眠る姿にメロメロになって反対するのをあっさりやめた。

今は亡き父のひざの上で眠るまる

 翌日、動物病院に連れて行って健康状態をチェックしてもらった。まるは生まれて数週間で、健康状態はよかったが、ノミがいたので駆除する薬をもらって帰ってきた。我が家の一員になることが、ずっと前から決まっていたようなスムーズな展開だった。一連の流れの中で、私が家を出る計画はうやむやになってしまった。

黒猫の弟、妹は成長する前に他界

 まるが来てから父との言い争いは、明らかに減った。テレビでサッカー日本代表の試合を観戦し、ゴールシーンに家族全員で「やったー」と大喜びしていたら、まるが「にゃーん」と声高らかに叫んだ。その姿に親子3人で大笑い……と、猫は我が家のコミュニケーションの潤滑油となった。「あの日、家を飛び出して行った私を引き留めるためにまるちゃんは、うちに来たのではないか」と今も思う。

 まるが来た後、2、3年の間に2匹の黒猫(チビ、さち)と縁があったが、原因不明の病気や交通事故で成長する前に亡くなってしまった。どちらの猫が来た時も、まるは姉らしく優しく振る舞った。あっという間に弟や妹が亡くなり、どんな心境だったのだろうか。それから10年以上、まるは“一人っ子”として過ごした。私と姉妹のようだった気もする。

子猫との遭遇に驚く

 まるが避妊手術をしてきた日、傷口が痛んだのだろう。横にならず、ずっとおすわりの体勢でいた。その姿に「何だか、かわいそう」と思った。幼いころに飼っていた犬は残飯をやり、去勢手術もせず、屋外の小屋で過ごしていた。そんな「昭和のペットの飼い方」はすでに時代遅れで、「平成スタイル」にバージョンアップすべく本を読んだり、獣医師に聞いたりしてまるを育てた。まるとの生活によって「猫との付き合い方」を学んだ。

 まるは、来客の足下をすり抜けて時々脱走し、売られたけんかは、必ず買って帰って来た。小鳥を捕まえて、玄関前に置き、自慢することもしばしばだった。2階の窓から脱走し、木をつたって庭に降りるような活発な猫だった。

ワイルドで木登りが得意、アユが大好き

 ある日の朝、母が外出する時に飛び出し、夕方に帰ってきたところ、「どこかから家の中に入ることはできないか」と屋根の上を闊歩(かっぽ)するまるの姿があった。母の姿を見つけると、まるは慌てて木を滑り降りて玄関から家に入り、かなり長い間、母の前で「うなーん、うなーん」と鳴き続けた。母は「何で早く帰ってこなかったの。私待っていたのよ」と説教されている気分になったという。

 まるを筆頭に四半世紀で6匹の猫と出会い、そのうち2匹は今も健在である。母は「まるちゃんは今まで暮らした子の中で一番ワイルド」と懐かしがる。ある日、アユの塩焼きをやったところ前脚で尻尾を抑え、「ウゴウ、ウゴウ」と喜びながら食べた。サケを捕獲する北海道土産の木彫りの熊のような、野性味あふれる姿が忘れられない。ちなみに、とうもろこしも好きだった。

アユをほおばる

 気が強いくせに病院は苦手だった。通院のためにキャリーバッグに入れ、車に乗っている間、あずき色の肉球はじっとりと汗をかいていた。

 まるは5、6歳のころ、パンパンに太っていたが、10歳を過ぎて少しほっそりした。13歳の時、急に動きが鈍くなって病院に連れて行くと、肝臓や心臓の機能が弱っていた。治療方針を決めるにあたり、手術をするかどうかで悩んだ。

 13歳はもちろん若くはないが、超高齢でもない。思い切って手術を選び、回復を期待したが、術後10日ほどで亡くなった。「手術はエゴだったかもしれない」と後悔はしたが、何もしないで死を待つ勇気はなかった。

最期の闘病期間中のまる

 亡くなる3日前には、通常のえさをほとんど食べなくなった。アユを食べた時の姿を思い出し、買ってきて焼いて出したが、匂いを嗅いでそっぽを向いた。「柔らかい白身なら食べるかも」と加熱したカワハギをやると一口食べたが、それが最後の食事になった。

 突然、我が家に現れて家族のギスギスした雰囲気を消し、末娘として我が物顔で振る舞ったまる。よく食べ、よく怒り、よく遊んだ。

「我が家に猫は不可欠」と思わせた初代猫

 まるが亡くなった後、母はペットロスになり、すぐに新たな猫を迎えた。「我が家に猫は不可欠」という状況を作り出したのがまるだったと思う。多くの猫と楽しい時間を過ごしてきたが、初代の猫「まるちゃん」の思い出は格別である。亡くなってから13年経ったが、ブラッシングした毛を集めたグレーの玉が今も捨てられない。

まるの毛玉。いまだに捨てられない

若林朋子
1971年富山市生まれ、同市在住。93年北陸に拠点を置く新聞社へ入社、90年代はスポーツ、2000年代以降は教育・医療を担当、12年退社。現在はフリーランスの記者として雑誌・書籍・広報誌、ネット媒体の「telling,」「AERA dot.」「Yahoo!個人」などに執筆。「猫の不妊手術推進の会」(富山市)から受託した保護猫3匹(とら、さくら、くま)と暮らす。

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