「言うことを聞かない犬が好き」 犬との関係は人それぞれでいいと思う

聞こえないふりをするヤマト

 先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤 賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。

(末尾に写真特集があります)

聞こえないふりをする犬

 先日、八ヶ岳の犬OK居酒屋兼ペンションMIC HOUSEで、犬連れ同士である家族と飲んでいたときのこと。その家のヤマト(コーギー)は私たちの近くにいたのだが、飼い主の女性から「ヤマト、こっちおいで」と言われても素知らぬ顔で動こうとしなかった。「ヤマト、おいでって」と何度言われても動かない。聞こえているけど知らん顔という感じだった。

 そんな姿を見て「ヤマトのそういうところ、好きだなぁ」と私は言った。以前にも書いたように、犬は従順なものというのはある意味幻想だと思っている。犬にだって好き嫌いはあるし、そのときの気分もある。

この日彼らがお疲れなのには理由がある

 呼んだらいつでも来い、なんて傲慢(ごうまん)すぎるだろと思う。必要があって呼ぶのならまだ分かるが、どうでもいいことで呼ばれるのを繰り返すと、犬だって「何なんだよ」とアホらしくなるのは当たり前である。

 そんなとき、聞こえないふりをする犬がいる。長年暮らした経験から、今はたいした用事はないなと判断しているのだろう。そういう犬が好きだし、それくらいの距離感がいいと思っている。

今それをやる意味は?

「眠いんだけど、何の用?」の富士丸

 そういう私もかつて、先代犬の富士丸と暮らし始めた頃は、呼んだらいつでも来い派だった。座れと言われたら座り、お手、おかわり、伏せ。犬はそれに従うべきだと思ったし、飼い主とはそうあるべきだと勘違いしていた時期がある。

 子犬の頃は、富士丸が出来たら「えらいな!」と褒めてなでたりすると、彼も「えへ」とうれしそうな顔をしていた。でも少し成長してくると、そんなのいつでも出来るけど、今それをやるのに何の意味があるの? という顔をするようになった。

 そう言われても困る。なんとなく、としか答えられない。私は昔から、何かをしたらご褒美にオヤツをあげる、ということをしなかった。なんだか餌で釣っているようで、犬は犬で餌に釣られているだけのようで、表面的で嫌だなと思ったからだ。その代わり、褒める、なでるはやったが「これをする意味は?」を問われると困った。たしかに意味はない。

遊びに行くとこの表情、同じ犬とは思えない

 富士丸はとても「出来るやつ」で、私が教えたわけではないが、鼻の上のオヤツを乗せて「よし!」というと、チョンとあげてパクっと食べる芸当をいとも簡単にこなせた(元妻の知り合いがごく短時間で教えたらしい)。

 私はそれを面白がって、ちょくちょくやっては「すげーなお前」なんて笑っていたが、次第にお手、おかわり、伏せなどはしなくなった。その代わり、掃除機をかけているときに「そこ、ちょっとどいて」とかは言ったし、彼も「はいはい」と面倒臭そうにそれに従ってはくれた。だからそんな「芸」はしなくても意思疎通は十分出来ていたのだ。

 呼んだら来ることは来るが、来ないこともあったし、意図的に無視されているなと感じることもあった。

なんでも自由にさせるわけではなく

この日はみんなで登山したのだった

 ここで誤解のないように書いておくが、私は何でも犬の自由にさせればいいと思っているわけではない。人や犬に攻撃的になってはいけないし、やたら無駄ぼえしても困る。人間社会のルールにある程度合わせてもらう必要がある。何より、もしリードを落としたときに勝手にどこかに行ったりしないよう、動きを止めたりすることは重要だ(交通事故を避けるため)。それらは子犬の時期に覚えてもらう。

 ただ、それが出来ればあとはわりとどうでもいいというのが今の私の考えで、変に厳しく接することはない。以前は厳しくする方がいいと思っていたが、いつのまにか「軍隊じゃないんだから」と真逆になった。それは富士丸から教えてもらったといってもいい。

 富士丸は私の声のトーンや表情から重要なのかそうでないのかを判断して、従うか従わないか判断していたようだった。それはだいたい正解で、たいした用事もないときは無視された。そういうところに、富士丸らしさを感じていた。

だから夜は眠くて仕方なかった

犬の要求はだいたい正しい

 その教えは、大吉と福助に引き継がれ、彼らにはお手もおかわりも伏せも教えなかった。

 富士丸と同じように呼んでも来ないことはよくあるし、出迎えにも来ない。そんなゆるい関係だけれど、決して攻撃的にはならないし、リードを落としたとしてもどこへも行かないから、特に困ることはない。

最近つまんねー状態

 そして、楽しいことがない日々が続くと「つまんねーオーラ」を出して圧をかけてくる。「最近、仕事ばかりですまんな」とどこかへ遊びに行く。私はそれくらいがちょうどいいし、それが心地いい。

つまんねーオーラマックス状態

犬が満たされてさえいれば

それが出かけるとなるとこの表情

 これは別に、犬とはこう接した方がいいという話ではなく、わが家のケースに過ぎない。ただ、初めて犬と暮らす人にありがちだが、飼い主とは、犬とは、こうあるべきだ、という思い込みがある。何度も言うが、そんなものはない。

 家族との距離感も温度も人それぞれ違うように、犬との関係も人それぞれでいいと思っている。犬にも個性はあるし、それを尊重しつつ、お互い快適な距離感や温度であればそれでいいじゃんと思う。犬が満たされている顔をしていればそれでいい。

霧で景色は見えないけれど入笠山のゴンドラにて

【前の回】私は犬のために生きる、もうそれでいい 海から山へ移住を決意

穴澤 賢
1971年大阪生まれ。フリーランス編集兼ライター。ブログ「富士丸な日々」が話題となり、犬関連の書籍や連載を執筆。2015年からは長年犬と暮らした経験から「デロリアンズ」というブランドを立ち上げる。2020年2月には「犬の笑顔を見たいから(世界文化社)」を出版。株式会社デロリアンズ(http://deloreans-shop.com)、インスタグラム @anazawa_masaru ツイッター@Anazawa_Masaru

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この連載について
悩んで学んだ犬のこと
先代犬は富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らす穴澤賢さんが、犬との暮らしで実際に経験した悩みから学んできた“教訓”をお届けしていきます。
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