「僕らの先輩たちの話らしいよ」「ふーん、つまらないんじゃない」(小林写函撮影)
「僕らの先輩たちの話らしいよ」「ふーん、つまらないんじゃない」(小林写函撮影)

ケガした子猫を守る野良猫の家族、そして死 外の過酷さを知った初代猫たちのこと

 都心から1時間ほど離れた海の近くの町にある動物医療センターが、京子さんのかかりつけの動物病院だ。ここはいわば「動物の総合病院」。予防接種や定期健康診断、ちょっとした風邪などの症状を診てもらえることはもちろん、腫瘍科や皮膚科などの専門科も備えている。いざというときにも心強い存在で、待合室はいつもにぎわっている。

(末尾に写真特集があります)

大型犬に2匹と猫12匹の大家族

 京子さんがここに通い出して30年が経つ。きっかけは大型犬を2匹飼うようになったからだった。夫が、近所の動物病院にあちこち電話をかけてワクチン接種の料金をたずねたところ、もっとも的確かつ親切に教えてくれた病院だった。

 京子さんの家の犬たちは代替わりし、今はアラスカン・マラミュートの「サワ」とポインターとセターのミックス犬「アネラ」がいる。今日は、この愛犬2匹の診察のために来院したというが、聞けば、家ではほかに、12匹の猫が暮らしているという。

「夫は完全な犬派で、私もどちらかといえば犬寄り。猫を飼うつもりはまったくなかったんですけれど、いつの間にか増えてしまって」と京子さんはこともなげに朗らかに話す。

「お客さんだね」「手ぶらか」(小林写函撮影)

「あら、猫がいる」

 2002年の夏の終わりのことだった。気がつくと、京子さんの家の前の空き地に3匹の猫が住み着くようになっていた。

 3匹とも白黒猫で、母猫とその子どものようだった。母猫は常に警戒した様子で厳しい表情をしていたが、子猫たちはあどけなかった。そのうち1匹は、右前脚を引きずるようにして歩いていた。

 少しのケガであれば、放っておいても治るだろうと思っていた。だか、数週間が経ち、1カ月が過ぎても回復するきざしはなかった。

見守るうちに芽生えた思い

 当時高校生と中学生だった娘たちも、猫の親子を気にかけていた。母猫は「マザー」、子猫は、そのときどきで適当な名前をつけて呼んでいた。

 雨の日も風の日も、3匹は寄り添うようにして空き地で過ごしていた。

「私たちに何かご用かしら?」(小林写函撮影)

 季節は移り、朝晩は気温も下がり、冷たい風が吹くようになっていた。吹きさらしの空き地では暖をとれるような場所もない。それでもこの地に留まるのは、おそらく誰かに餌を与えてもらえるからだろう。加えて、脚の不自由な子猫がおり、遠くに移動できないことも理由ではと京子さんは推測した。

 子猫の様子を見ようと近寄ると、マザーは激しく威嚇をした。子猫に危害を加えようとする人間を追い払うかのように、ときに空き地の外まで追いかけてくることもあった。

 やがて京子さんは、この親子はこのまま放置するべきではないと思い始めた。

猫の捕獲へと動き出す

 当時、京子さんの住む地域では野良猫を保護したり、不妊去勢手術をすることは一般的ではなかった。野良猫を家に上げることになったとしても、放し飼いがあたりまえ。野良から生まれた子猫は成長し、また子猫を産んだ。

 京子さんも、猫の保護活動についてはなんとなく知っている程度で、必要性を感じることはなかった。だが、小さなからだで果敢に我が子を守ろうとするマザーと子猫たちの様子を見ているうちに、心が動いた。

「アネラ、君は今回の話に登場してるらしいよ」(小林写函撮影)

 まずは猫たちを馴らすため、家のドアを開け、キャットフードを置くようにした。子猫たちは無邪気で、すぐに家に入り、外にいても呼ぶと2階まで上がってくるようになった。

 娘たちは喜び、意外にも犬派の夫も、当時飼っていた2匹の大型犬も子猫を受け入れた。

 だが、マザーは決して家に近づこうとはしなかった。マザーは別の方法で保護することにし、先に子猫2匹を家の猫にすることにした。

肝の座ったペロと神経質なチャッピー

 脚を引きずっていたほうを「ペロ」、もう1匹を「チャッピー」と名付けた。動物病院で診てもらったところ、2匹はともに生後半年程度のオスだった。ペロの脚は太い針金のようなものによって傷を負い、そこから化膿した組織が皮膚の下にたまり、痛みをともなう炎症を起こしていたのだった。

 脚を治療してもらい、自由に歩けるようになったぺロは肝の座った性格だった。夜鳴きをしたのは最初の夜だけで、翌日からはまるで何年も前から家にいるようにくつろいで過ごした。一方、チャッピーは神経質で、外に出たがって毎日鳴き続けた。

 数日後、根負けした京子さんは、チャッピーを外に出した。せいぜい前にいた空き地に行くぐらいで、空腹になれば帰ってくるだろうと軽く考えていた。

外の過酷さを突き付けられたチャッピーの死

 だが翌日の夕方、戻ってきたチャッピーは息も絶え絶えの状態で、鼻血を出していた。

 慌てて動物病院に駆け込んだ。チャッピーは中毒をおこしていた。何か毒になるものを誤って食べた可能性が高いとのことだった。

 すでに手遅れで、チャッピーはそのまま息をひきとった。

 外で暮らす猫の生活は、人間が想像する以上に過酷だ。京子さんが「一度家に迎えた猫は、どんなに鳴かれても絶対に外に出さない」とかたく心に決めたのは、このときだった。

 マザーはその後も外で暮らし、1年間で3回出産した。季節が変わるたび、違う子猫を連れて歩いている様子を見ては、子猫たちの行く末を思って京子さんは気を揉んだ。

親猫マザーを保護しTNR

 京子さんが保護し、「ジジ」と名付けて3匹目として迎えたメス猫は、このマザーの子どもだった。

 マザーは3回目の出産のあとにやっと保護に成功した。家の軒下に大型犬用のキャリーケースを用意し、その中にキャットフードを置いて誘導し、時間をかけて慣らした結果だった。

 キャリーケースの扉は最初は全開にしていたが、毎日少しずつ閉めて入口の面積を狭くしていった。徐々にマザーが落ち着き、キャリーの中でゆっくり食事をするようになったある日、前もって扉に付けておいた紐を京子さんは隠れたところから引き、扉を閉めた。

 マザーは不妊手術を受けさせたのち、元いた場所に戻した。外暮らしが長く人間への警戒心が強いため、家猫にするよりはそのままの暮らしを続けさせたほうが幸せだと考えたからだ。

「僕の赤いボール知らない?」(小林写函撮影)

 その後もマザーは、京子さんの家に食事だけはしにやって来た。そして3年が経った頃、ぱったり姿を見せなくなった。

 その間、多くの子猫が京子さんの家に引き取られ、何匹かは空へ旅立っていった。

 ペロも、そしてジジも、今はこの世にはいない。

 外で暮らす猫たちとの関係をつなぐきっかけをくれた白黒猫の親子。彼らは、今も京子さんの中で鮮やかに生き続ける。

 次回に続きます。

(次回は7月8日公開予定です)

【前の回耳が聞こえずケガや迷子も 月日を重ねるほどに深まる、白猫「ネネ」への愛情

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
動物病院の待合室から
犬や猫の飼い主にとって、身近な存在である動物病院。その動物病院の待合室を舞台に、そこに集う獣医師や動物看護師、ペットとその飼い主のストーリーをつづります。
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