「青い瞳のネネよ。ステラじゃないの、よろしく」(小林写函撮影)
「青い瞳のネネよ。ステラじゃないの、よろしく」(小林写函撮影)

耳が聞こえずケガや迷子も 月日を重ねるほどに深まる、白猫「ネネ」への愛情

 2010年5月のある日、動物好きの会社員の潤さんが、会社の定期健診を受けに行く途中で出会い、保護した白い子猫。当時婚約者だった妻の美夏さんが動物が苦手だったことから家に迎えるのは諦め、引き取り先を探すまでの間だけ世話をするために家に連れてきた。

 透き通るような青い目を持つ子猫は無邪気だった。だが、掃除機をかけていても動じず、逃げるどころかホースにじゃれついてくる様子に違和感を覚え、聴覚障害を疑い動物病院に連れて行った。診断結果は、予想通りだった。(この記事の続きです)

(末尾に写真特集があります)

「音音(ネネ)」という名前を子猫に贈る

 子猫は生後1カ月未満の女の子で、身体検査と血液検査の結果に問題はなかった。

 すでに、美夏さんの信頼できる友人家族が引きとってくれることは決まっていた。両耳が聞こえないことを承知で、歓迎してくれるというのだった。

 ところが、美夏さんが引き渡す日を潤さんに相談しようとしたところ、潤さんは「まずは面談をしたい」と言い出した。

 家族構成や居住環境など、ちゃんと飼える家なのかどうかを確かめたいというのだ。

 家族全員でしっかり話し合い決断してくれた自分の友人が信用できないのかと、美夏さんは少し腹が立った。だがそれは「手放したくない」という潤さんの気持ちの裏返しなのだろうと理解した。

 こうして結局、白い子猫は潤さんと美夏さんの家の猫になった。名前は「ネネ」で、漢字で「音音」と書く。音のない世界に生きる子猫に、音をプレゼントするという意味を込めた。

ハンディを感じさせないやんちゃな幼少期

 ネネは、呼んでも気がつかない、大きな音に反応しない、ということ以外、ハンディを感じさせることはなかった。

 若いときはやんちゃで、棚の上に飛び乗って美夏さんが大切にしているガラスの置物を落として壊したり、電源コードにじゃれて噛む癖があり、噛み切ってしまったこともあった。

「私、上質なものはわかるから、ここで爪研いだりしないの」(小林写函撮影)

 潤さんと美夏さんが暮らす家は、2階建ての古い木造の1軒家だった。2人が勤めにでかけて留守の間にネネが怪我をしたり、万が一感電して命を落とすようなことになったりしたらと不安で、平日の日中は、扉を閉めた2階の1室の中だけで過ごすようにさせていた。

 今思えば、騒々しかったのは子猫時代だけで、成長したら落ち着いていた。だが耳が聞こえないため何かあったらという過保護な気持ちと、それをネネが拒否しなかったため、ある程度の年齢になるまで続けていた。

 その部屋にはスチールラックが置いてあり、ネネはその日によってくつろぐ棚の場所を変えていた。

ケガを負い、より注意を払うように

 ネネが家に来て数年経ったある日、潤さんと美夏さんが帰宅して2階の部屋のドアを開けた瞬間、スチールラックのてっぺんにいたネネがこちらに向かって飛び降りようとした。慌てたのかラックの隙間につまずいて前脚を挟み、そのまま宙返りをする態勢で落下した。

 グキッという嫌な音とネネの悲鳴に驚き、すぐに動物病院に連れて行った。

 レントゲンを撮った結果、右前脚の指を骨折していることが判明。骨がくっつくまでは安静にしなければならず、家で1カ月間ケージ生活を送ることになった。

「この昭和な階段が大好き。昭和って何か知らないけれど」(小林写函撮影)

 ネネは耳が聞こえない分、ほかのセンサーが敏感だ。嗅覚や触覚、人の気配や空気の流れに驚くほど繊細に反応する。骨折事件以来、できるだけ不用意に驚かせることのないよう、潤さんと美夏さんは以前にも増して行動に注意を払うようになった。

雨が降る中、探し回ったことも

 ネネは、2度ほど脱走したことがある。

 1回目は玄関のドアを開け放した際、そろりそろりと外に出てしまった。そのときは家の周りを1周して戻ってきただけだったので「ネネの大冒険だね」という笑い話で終わった。

 2回目は、裏庭に面した1階の網戸を、うっかり少しだけ開けていた間のできごとだった。美夏さんが家の中にネネの姿が見えないことに気がつき、家の周りを探してもどこにもいないため、泣きながら仕事に出ていた潤さんに電話をかけた。

 建築関係の仕事をしている潤さんは、そのとき自宅近くの現場にいた。仕事仲間たちに「猫が逃げちゃったから、ちょっと家に帰ってもいいかな」と話したところ、皆、自分のことのように心配してくれ、「あとは任せて」と快く送り出してくれた。幸い犬猫好きや、動物と暮らす人が多い現場だった。

「今日は台所の床がきれいなの。なぜかしら」(小林写函撮影)

 もし、交通量の多い大通りまで出てしまって、車に気が付かずに事故にでもあったら。耳が聞こえない分「もしも」への悪い想像ばかりがふくらむ。雨が降り出す中、2人で手分けして近所を探し回った。

 数時間後、見つけたのは潤さんだった。ネネは家の裏のガレージに張ってあるテントの後ろにうずくまり、顎をすりむいていた。振り返ってみればわずかな時間ではあったのだが、少しやつれたように見えた。

永遠にかわいいひとり娘

 ネネは今年で12歳になり、人間に換算すれば潤さんと美夏さんの年齢を超えた。年とともに性格は気むずかしくなり、人にも物に対しても、嫌なものは嫌とはっきりしている。決して自分から膝に乗ってきたりはしないが、それでもなでられるのは好きで、2人が家にいるときはいつもそばで過ごしている。

 運動量は少ないのによく食べるので体重は増え、貫禄も出てきた。端正な顔立ちの割には足は短く、エリンギのような形の短い尻尾がアンバランスだが、実は幸福を呼ぶ「かぎ尻尾」。そこがまたたまらなく愛らしい。

 子どもがいない2人にとって、ネネは永遠にかわいいひとり娘。青い目の白い猫は、やはり神様からのプレゼントだったのだ。

(次回は6月24日公開予定です)

【前の回】天から与えられたプレゼント 薄汚れた白猫は美しく、音のない世界を生きていた

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
動物病院の待合室から
犬や猫の飼い主にとって、身近な存在である動物病院。その動物病院の待合室を舞台に、そこに集う獣医師や動物看護師、ペットとその飼い主のストーリーをつづります。
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