「こんな幸せな猫はいないぞ」 動物嫌いの父のひと言で悲しみから抜け出せた
いつか来るペットとのお別れの日――。経験された飼い主さんたちはどのような心境だったのでしょうか。
2021年5月のGW明けに愛猫「みいちゃん」(享年推定年齢15歳)を亡くした千鶴さん。保護猫だったみいちゃんと共に暮らして10年、悲しい別れを迎えましたが、周囲の温かい言葉や気づかいによって心が救われたとのこと。千鶴さんにみいちゃんの亡くなった経緯や、今のお気持ちなどをお聞きしました。
軽度の腎臓病だと思っていた
――みいちゃんは、なぜ亡くなったのでしょうか?
2020年の8月、みいの具合が少し悪そうだったので動物病院に連れて行ったら「軽度の腎臓病」と言われました。投薬をしたら元気になって食欲も戻ったので、「もう大丈夫」と思っていたのですが、今年4月にまた食欲がなくなり、それから1カ月で亡くなりました。その時は重度の腎臓病との診断でした。
――今振り返って、どうしたらよかったと思いますか?
軽度の腎臓病だと言われたときに、もっとちゃんと腎臓病と向き合うべきだった、と後悔だけです。4月に腎臓の値が悪化したときにはもう手遅れで、投薬、点滴をしても食欲は戻らず……。強制給餌(きゅうじ)で栄養を、また、亡くなる前は自宅で2日に一度点滴をしていましたが、回復することはありませんでした。
甘えん坊のみいをひとりで逝かせたくない
――千鶴さんはフルタイムでお仕事をされているそうですが、看取ることはできましたか?
私は月曜日から金曜日までフルタイムで働いているのですが、みいは金曜日の朝、スポイトの水すら飲まなくなって、「もう、1日2日もたないかもしれない」と思ったので、実家に連れて行って両親に見ていてもらいました。
甘えん坊だったみいを、絶対にひとりで逝かせたくなくて。みいは、土曜日の朝まで頑張ってくれて、おかげで家族みんなでみいを看取ることができました。
――GW明けに亡くなったということは、GWの長いお休みは一緒に過ごせたのですね。
GW中のみいは寝たきりでしたが苦しむ様子はなく、とても穏やかに過ごしてくれて、一緒にいることができました。
5月4日、みいがとても元気になって久しぶりに私のお布団にもぐりこんできて、一緒に寝ることができました。「このまま良くなるのではないか」と思うくらい元気な様子で……。今思えば、あの日、みいは最後の力を振り絞って、甘えてきてくれたのだなあと。
悲しみから救ってくれた、父のひと言と花束
――みいちゃんを亡くして1カ月半、今のお気持ちをお聞かせください。
みいが亡くなる前は、とても怖くて、寝込んでいるみいを見て毎日泣いていました。そして家族で看取ったあと、悲しくてずっと泣いていた私に、動物があまり好きではない父が「こんな幸せな猫はいないぞ」と言ったんです。それを聞いて、「あ、そうだった、一緒にいられて私たちは幸せだった」とあらためて思いました。
また、みいが亡くなった後に動物病院から花束が届いて「ひょんな縁から一緒に暮らし始めたけれど、みんなに看取られて、花束もいただいて、みいちゃん本当に良かったね」と感じました。
みいの写真などを見ながら、一緒にいた時間を思い出しますが、泣くことはありません。今は、きちんと看取れた、お互いに幸せだったと思えます。
――みいちゃんは、千鶴さんにとってどのような存在でしたか?
動物保護団体からみいを引き取って1年後に私の息子が生まれて、その息子が1歳の時に私は離婚をして、今の家に引っ越してきました。引っ越してきた初めての夜のベッドの中で、右側に息子、左側にみいがいて、「今日から頑張るぞ!」と思ったことを強く覚えています。2人+1匹で初めて迎えた夜から亡くなったその日まで、みいはずっと私を支えてくれた大切な家族でした。
――今後、また動物を飼うことはあると思いますか?
亡くなった直後は「こんなに悲しい思いをするなら、二度とペットは飼わない」と思っていました。でも今は「飼い主も飼われた猫も幸せだった」と思えるようになったので、そういう関係を築けるのであれば、また飼ってもいいなと思っています。
――花束を送ってくださった病院に、お礼のお手紙を書いたという千鶴さん。その手紙の下書きを読ませていただきました。手紙には、みいちゃんへの思い、先生方への感謝の気持ち、そして、今後も少しでも多くの保護猫を救ってあげたいという気持ちが書かれていました。
みんなに看取られて静かに旅立ったみいちゃんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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