バス停で出会った小柄な茶色い猫 そばを離れず甘えてくる様子に、引き取ろうと決めた

 フリーランスのウェブプロデューサーとして活動する奈美さんの周囲では、ここ数年、犬や猫と暮らしはじめる友人や仕事仲間が増えていた。

(末尾に写真特集があります)

3日間だけ飼い主に

 子育てが一段落ついたり、夫婦間に子どもがいなかったり、一人暮らしをしていたりと生活環境はさまざまだ。だが、ペットに会いたいがために飲み会を早々に切り上げたり、スマートフォンに収められた愛犬愛猫の膨大な写真を見せ合う様子は同じで、それを奈美さんはどこか醒めた目で眺めていた。

 動物と暮らすことには、全く興味がなかったからだ。夫と2人暮らしの自分の横に、犬や猫が寄り添う姿は想像できなかった。

木の近くにいる猫
「ちょっと雨が降ってきたよ。そんなところに立ってると濡れちゃうよ」(小林写函撮影)

 子どもの頃、実家で柴犬の雑種を飼っていたことはあったので、犬には多少は愛着があった。だが猫は、「勝手気ままで愛想がない生き物」と思っていたので、苦手だった。

 そんな奈美さんが今から約3年前、3日間だけ、保護猫の飼い主になったことがある。

川沿いの風景にひかれて

 少し湿った風が心地よい初夏の夕暮れ、奈美さんは、東京と神奈川を挟んで流れる多摩川沿いの土手で、女友達と2人で「飲み会」をしていた。

 本当はどこかの店に入る予定だった。だが電車に乗っていて、たまたま車窓から目に入った川沿いの風景にひかれて下車し、コンビニで飲みものとつまみを買った。

 からだの不調のこと、親の病気や介護のことなど少し深刻な内容を語りあうには、ちょうどよい場所だった。広々とした水辺の風景は気持ちを和らげてくれた。 

 酔いもまわり、すっかり暗くなったので駅まで戻ろうと、バス停でバスを待っていたときだった。

 足元で「ニャー!」という声がした。見ると、小柄な茶色い猫が、目を丸く開いてこちらを見上げていた。

 友人はしゃがみ込み、手を伸ばした。猫はその手を伝ってぴょんと友人のひざに乗り、丸くなった。友人がなでても逃げようとはせず、むしろくつろごうとしているかに見えた。

「きっとお腹が空いてるんだよ!」と友人は嬉しそうに声を上げ、猫を地面におろすと走り去った。戻ってきたときには水とキャットフードを入れたコンビニの袋を手にしていた。

草むらの猫
「ここは僕んちだけど、なんかご用ですか?」(小林写函撮影)

 猫は、猛烈な勢いでフードを食べる。

 食べながらも、チラチラと奈美さんと友人に視線を送る。その様子は「行かないでね、見ててね」とでも言っているようだった。

味わったことのない感情

 薄汚れた毛の様子から、おそらく野良猫だろう。雄か雌かは、奈美さんたちにはわからなかった。 

 野良猫に対する奈美さんの印象はよくなかった。実家では、花壇や庭に糞尿をまき散らされる被害に何度もあった。空腹なのではとフードをあげても、用がすむとさっさと立ち去って、常に警戒心に満ちた眼差しで物陰から人間の様子を伺う。人には決して懐かない、そう思っていた。

 だが、目の前の猫は違っていた。

 お腹がくちても2人のそばから離れない。すねに体をこすりつけてきたり、ぴょんぴょんと跳ねまわり、可愛らしい声で鳴く。

 これまで味わったことのない感情が、奈美さんの心に沸いた。

 猫と戯れ、何本かバスを見送ったとき、「この猫を引き取ろう」と決めていた。

3カ月飼い主が現れなければ

 猫の名前は、出会った場所の駅名にちなみ「ろくちゃん」にした。

 ろくちゃんは、借りている事務所で飼うことに決めた。夫は、ペットとの暮らしを望まない人だった。ただし事務所はペット不可の物件であるため、引っ越しが必要だ。転居先を見つけ、落ち着くまでの間は、実家の母親に預かってもらおうと考え、その場で電話をした。

 すると「猫は拾得物なので、まずは警察に届けなければ。それが世間のルール」と言う。

 一瞬、鼻白んだが、確かに、人馴れしている様子から、飼い猫の可能性がゼロだとは限らない。

 警察に連絡をすると、ほどなく3人の警察官が段ボール箱を抱えて現れた。

 警察官からはいくつかの質問ののち、飼い主が現れなかった場合に引き取りを希望するか否かを問われた。「責任を持ってそうします」と答え、書類にサインをした。

追いかけっこする2匹の猫
「公園に誰もいないから今日は僕らが追っかけっこさ」(小林写函撮影)

 ろくちゃんを乗せたパトカーが去って行くのを見送り、一抹の寂しさを感じつつも、心は満ち足りていた。

 3カ月間、飼い主が現れなければ、ろくちゃんは奈美さんの猫になる。3カ月あれば、事務所もペット可の物件に移転できるだろうし、猫と暮らすためのさまざまな準備もできる。

 家族である動物たちについて愛おしそうに話す友人たちの顔が浮かんだ。自分にも同じような感情があることがこそばゆく、ちょっと嬉しかった。

信じられない気持ちで

 翌朝、警察署から電話があった。

 若い婦人警官の声だった。

「ろくちゃんが憔悴して動かないんです」

 昨晩の元気に飛び跳ねる様子を思い、信じられない気持ちで話を聞いた。

 今朝からほとんど食事も水も摂らずにぐったりしている。警察署で預かれるのは数日間だけで、その後は動物の保護管理のシステムが整っている収容場所に移すことになるが、ろくちゃんの今の状態であれば、すぐにでも奈美さんが引き取って世話をすることも可能、とのことだった。

「わかりました。引き取りにうかがいます」と奈美さんは答えた。

 世話をする場所については、これから考えようと思った。

【次の回】バス停ですり寄ってきた猫 ずっと一緒にいられると思ったのに…獣医師からの重い言葉
【前の回】愛猫の体に不調が出たら、見直すのは私の生活 1人と1匹うまく暮らせる方法探して

※この記事の写真の猫は、ろくちゃんではありません。ろくちゃんと同じように外で暮らす猫たちです。

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。

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この連載について
動物病院の待合室から
犬や猫の飼い主にとって、身近な存在である動物病院。その動物病院の待合室を舞台に、そこに集う獣医師や動物看護師、ペットとその飼い主のストーリーをつづります。
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