突然訪れた愛犬との別れ 悲しみに沈んだ私が立ち上がるまで
イラストレーターの松尾たいこさんが、愛犬を亡くした経験をもとに描いた絵本「きっとそこにいるから」(集英社)を、26日に発売しました。ペットを失った悲しみとどう向き合ったのかを、松尾さんに聞きました。
人が大好きだった愛犬「いくらちゃん」
――絵本「きっとそこにいるから」は、ご自身の体験をもとに描かれたそうですね。
2018年8月に15歳で亡くなったケアンテリアの「いくらちゃん」との別れをもとにしています。私はもともと犬が大好きで、実家にはずっと犬がいましたが、自分で飼う犬は、いくらちゃんが初めてでした。約16年前、生後2カ月ぐらいのときにブリーダーさんから迎えた犬です。私は基本的に家で仕事をしているので、いくらちゃんとはほぼずっと一緒にいました。
――いくらちゃんは、どんな犬だったのですか?
犬も好きですが人も大好きで、ドッグランに行くと犬のところではなく、他の飼い主さんのところに行っちゃうぐらい。前脚を広げてお尻をあげて遊びに誘うポーズが可愛いかったです。
2011年の東日本大震災を機に、私は東京、軽井沢、福井の三拠点居住を始めたのですが、いくらちゃんも連れていきました。移動は平気で、いい子にしていました。新幹線に乗った時も、隣の席の人が犬がいることに気づかないぐらい。海が好きで、ジャバジャバと入るんですよ。福井ではよく海に行っていました。雪も好きで、軽井沢では積もった雪にずぼっと入っていましたね。
突然訪れた愛犬との別れ
――シニアになってからの様子は?
14歳ぐらいから、長いお散歩に行きたがらなくなりましたが、15歳になっても元気でした。これから介護をすることになるかもしれないな、とは思っていましたが、別れは予期していませんでした。
それが、2018年8月の朝、自分用のベッドにいたいくらちゃんを見たら、息をしていなかったんです。寝ているみたいだし、体は温かいし、夫に「亡くなってないから、心臓マッサージをして」と頼んで、してもらいました。そこからどれくらいたったのか、亡くなっていると分かって。どうしていいか分からなかったので、お世話になっていたペットホテルの方に連絡をしたら、葬儀の手配をしてくれました。
その日のうちに、いくらちゃんを毛布でつつんで、滞在していた軽井沢から東京に戻り、お寺で葬儀をして、火葬をしました。もう一日ぐらいお別れをしてからの方がいいのでは、とも言われたのですが、私は、亡くなっているいくらちゃんがそこにいるのが耐えられませんでした。どう言ったらいいんでしょう、目の前からいなくなれば、なかったことにできるというような、変な気持ちになっていました。
2カ月近く誰にも言えなかった
――葬儀を終えた後は、どんなことをなさいましたか?
亡くなった次の日に、いくらちゃんのものはすべて寄付しました。ペットシーツも、残った餌も、バリケンネルも、ベッドも、すべてです。まず東京の家にあるものを寄付して、その後、軽井沢、福井の家にあったものも、行ったその日に梱包して、寄付しました。目の前に置いておきたくなかったんです。「これはいくらちゃんが使っていたな」と思ったりすることが、耐えられませんでした。
――亡くなったことを、すぐにはお友達に言えなかったそうですね。
2カ月近く誰にも言えませんでした。そんな中、亡くなった次の日の朝に、いくらちゃんの絵が描きたいって思って。そこから1年間、毎日いくらちゃんの絵を描いて、スケッチブックは8冊になりました。
最初の1カ月は、泣きながら描いていました。そこからだんだんと泣かないで描けるようになって、こんな可愛い表情していたな、寝る時はこんなふうに横になっていたな、とか。私の中では、絵を描くことで自分の気持ちがだんだんおさまってきたのです。
笑いながら思い出したり描いたりできるようになったので、そろそろ友人にも言えるかなって。自分のブログに書いたのが、亡くなってから2カ月たったころでした。
余計な言葉は言われたくない、という気持ちもありました。「いくらちゃんもきっと幸せだったのよ」とか、「本当は大変な病気だったんじゃない?」「ちゃんと病院に行っていたの?」とか。だからFacebookでは友だち限定にして、「報告なので、いいね、だけを押してください」と書きました。
言葉が必要という方もいると思いますし、聞いた相手は何か言ってあげたいと思うのかもしれません。相手との関係性にもよりますよね。親友だったら言えることもある。言葉は助けになることもあるし、刃にもなります。だからこそ、今回の絵本は言葉を少なくしました。押しつけるようなことは言いたくないと思ったんです。
またどこかで会えるかな
――その後、変化はありましたか?
まだ悲しい気持ちだったので、積極的には出かけず、とにかく犬のことを考えないようにしていました。もともとインドア派なので、「今日も靴を履かなかったな」ということが結構あって。その時に、夫が散歩に誘ってくれました。そうするうちに、だんだんいくらちゃんの思い出を話しながら、散歩ができるようになりました。
神社に2人で行って、いくらちゃんのことを考えたときに風が吹いたので、いくらちゃんが合図をしてくれたような気がする、と感じることもありました。勝手な思い込みなんですけど、そういうことで自分としてはだんだん癒やされていきました。今は会えないだけで、まだどこかで会えるかなとか、時々は会いに来てくれているのかな、とか。
私は何年か前から、神社に関する仕事をしています。神社を巡っていると「光がきらっと差し込んできているのは、りりしい感じがするな。ここは男の神様の神社だけあるな」とか、神社ごとの特徴を、そういった現象から見るようになっていました。八百万の神とか、そういうものがあるのかもしれないと思えたところに、いくらちゃんが亡くなったので、それが重なって私の中で納得できました。
保護犬「うずめちゃん」との出会い
半年ぐらいたったころ、笑っていろんなことが出来るようになって。これから犬を飼うかどうかわからないけど、飼っても大丈夫だし、飼わなくても大丈夫だなって思うようになりました。
もし次飼うなら保護犬かな、縁があったら、と考えていました。そんな中、時々行くオイスターバーで働いている方の奥さんが保護犬を預かる活動をされていて、今度この子が来るんですよって犬の写真をみせてもらいました。すると会いたくなって。そこからはトントン拍子で進んで、昨年の夏、その犬を家に迎えました。名前は「うずめちゃん」です。
絵本は、私が経験したペットとの別れを元につくりましたが、ペットではなかったとしても、大切なものを亡くしたということでは、読んでくれた方に伝わることがあるのかもしれません。
悲しみの癒やし方は人それぞれ。立ち直り方もいろいろですよね。私のやり方が全部だとは思っていませんが、私と同じような方もきっといるのではないかと思っています。この絵本が、そういう方に寄り添えるもののひとつになれたらと思います。
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