英国人がつないだ命 高齢犬になって、幸せをつかむ
大阪の新興住宅地に住むイギリス人夫婦は、英語教師をして生計を立てながら、30年以上も犬や猫の保護活動をしている。すぐに新しい飼い主が見つかる犬や猫もいるが、ネットワークが広くないため、いつまでも手放せない子たちもいる。保護犬のラスティもその1匹だった。
元旦にかかってきた電話
2005年の元旦のことだ。ジュリアン夫妻のもとに、警察から電話がかかってきた。野良犬を捕獲したのだが、預かってくれないかと。保健所(現・大阪府動物愛護管理センター)は、正月休みで、警察も持て余していたのだろう。与えるドッグフードもない。夫妻は迷わず引き取ったそうだ。
「日本の法律は甘い、イギリスでは犬を捨てたら刑務所に行かねばならない。それに、昔の日本では犬を番犬として飼う人が多かった。やっと最近、犬や猫をMy Pet(家族)と思う人が増えてきました」
夫妻は、犬をラスティと名付けて飼育した。当時、推定3歳か4歳だったラスティは、とても元気な犬だったという。夫妻が暮らす住宅ではラスティを飼うことができず、奈良にある別宅で飼い、仕事の帰りにご主人が世話をしてきたそうだ。引き取り手が現れないまま10年ほど経過し、ご主人が重い病気で入院したのを機に、ラスティを預かってくれる人を探した。
ジュリアン夫妻と同じ町に住む上村夫妻に、その話が舞い込んだ。上村夫妻は愛犬家として知られ、数匹の犬と暮らした経験がある。長年連れ添った黒のラブラドールレトリーバーのアトムくんを亡くしてちょうど100日目、上村夫妻はラスティを預かることにしたそうだ。
保護ボランティアの規模と限界
上村さんが預かった当初、ラスティは人にも犬にも心を開かなかった。攻撃性はないが、関心を示さなかったのだ。10年間、一軒家でひとりぼっちで暮らしてきたため、人にも犬にも、どう接していいのか分からないようだったという。15歳という高齢で、耳も聞こえず、目もあまり見えていなかった。
保護していたとはいえ、ジュリアン夫妻の場合、時折開催する小規模なバザーだけが資金源。ラスティは粗末に扱われていたわけではないが、被毛の量が少なく、ツヤもなかった。ブラッシングをしようとすると、噛みつこうとしたという。
犬や猫の保護団体は、規模に大きな差がある。賛同する人をたくさん集めて、バザーなどで収入を確保し、ドッグフードやペットシーツ、おやつなどの寄付を得られる団体もある。一方で、ジュリアン夫妻のように、寄付を受けず、ほとんど個人の力だけで保護活動をしている人もいる。
町の人に愛されて心を開く
それでも、ラスティに攻撃性がなかったことが幸いした。すぐに一緒に散歩に行く友達ができ、会う人がなでてくれるようになった。
「私たちが留守にする時は、仲間がラスティのご飯や散歩など面倒をみてくれました。そうしているうちにラスティも、だんだん人や犬に慣れていったのです。日中は庭にいるのですが、家の前を通りかかる人に名前を呼ばれると、嬉しそうに駆け寄って、フェンス越しになでてもらっています」
最初の1ヶ月ほどは、よく吠えていたが、その後は心を開き、意思表示をするようになったそうだ。夜7時になるとご飯を要求、10時半には家の中に入れてくれと言い、朝6時半になると庭に出たいと吠える。フードを変えると、みるみる毛艶が良くなった。関節用のサプリメントももらっているという。
「最後のひとときだけでも幸せにと思うのです。庭仕事をしていると、ツンツンと鼻でつついてくるようになって、本当に可愛い。皆さんがおやつを持ってきてくれるので、それも少しずつ食べるようになったんですよ」
預かるだけのつもりだったが、我が子のように可愛がっている上村夫妻。現在、どうやってシャンプーをしようか、町のみんなで思案中だという。
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