86歳女性の“家族”は9歳の犬 周囲が支え、生きがいに

潤子さんに抱かれるパク
潤子さんに抱かれるパク

 介護や食事のサービスを受けながら、ワンルーム・マンションで暮らすように自由に生活できるサービス付き高齢者向け住宅。そこで86歳ながら、犬を飼い始め、ペットロスから脱した女性がいる。だが、高齢者が犬と暮らすには課題も多く、周囲の支えも必要だ。その生活ぶりを取材した。


(末尾に写真特集があります)


 神奈川県逗子市の高台にあるサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)。佐久間潤子さん(86)は、ジャックラッセル・テリア「パク」(オス、9歳)と一緒に暮らしている。


「夕方になる前に、パクちゃんのお散歩にいかない?」


 休日、母の部屋を訪れていた長女りかさん(58)が声をかけると、「ちょうどいい時間ね」と、潤子さんが準備を始めた。帽子をかぶり、コートをはおる。その間に、りかさんがパクにリードをつけて、キャリーバッグに入れる。全館「ペット可」だが、エレベーターで下るまでは犬をバッグに入れるルールになっている。


 リードを持つ潤子さんのすぐ横を、りかさんが歩く。目ざすは坂の途中にある公園だ。

 

パクを散歩させる潤子さん
パクを散歩させる潤子さん

「『はな』の時は遠くの川べりまで行ったんですが、今はご近所が多いんですよ」と潤子さん。


「はな」というのは、昨年4月に15歳で亡くなったメスの飼い犬、ウエルシュ・コーギーのこと。潤子さんの夫が溺愛していたが、2011年に夫が亡くなり、潤子さんは2013年に「はな」とともに戸建て住宅から、この施設に越してきた。

 

 

◆「私には家族がいない」

 その「はな」と死別してから1か月で、「パク」がやってきた。りかさんが説明する。


「『はな』が死んだ後に、母が『ダディも、はなも、いなくなって一人ぼっちだ』と悲しんだんです。娘たち(私や妹)がいるじゃないと言ったら、『あなたたちには家族がいる。私には、もういない』と。母にとっては、犬の『はな』が唯一の家族だったんですね」


 毎日泣く母親の姿をみて、りかさんは「はな」にそっくりなぬいぐるみを買ってみたが、慰めにもならなかったという。それまで散歩や世話など“犬中心”に動いていた生活のリズムが途絶え、床に伏せることも多くなり、生きる意欲をなくしたように見えた。


「このままでは母は寝たきりになると思い、よき相棒となる新たな犬がいないかと思いたったんです。といっても、母も高齢なので、おとなの小型犬を探しました」


 動物保護団体のサイトで、パクチーと仮の名前を付けられた可愛いジャックラッセル・テリアを見つけた。「甘えん坊さん、犬にしつこくしないマイペース」とあった。りかさんは潤子さんと一緒に会いに行った。パクチーは潤子さんの腕に静かに抱かれ、その途端、潤子さんは満面の笑みになった。1か月ぶりに見せた笑顔だった。

 

前の飼い主と別れた後、9歳で第二の人生をはじめたパク
前の飼い主と別れた後、9歳で第二の人生をはじめたパク

「パクチーは若い2匹の犬と、1人暮らしの方に飼われていたのだけど、その方が病気で飼えなくなって、保健所に収容された。他の2匹はもらい手が見つかったが、9歳のパクチーはもらい手が見つからず、殺処分されるリスクが高いので保護団体が引き取ったと聞きました。母との相性がいいので、“パクちゃん”として、お迎えすることになったんです」


 ただし、9歳とはいえ、ジャックラッセル・テリアは活発な犬として知られる犬種。それでも、母の回復への期待をパクに託した。保護団体も娘がサポートすることを条件に譲渡を承諾した。

 

 

◆しつけが出来ていない犬

 こうして犬との生活を再開した潤子さんは、パクを可愛がり、以前と同じように、朝夕の散歩、フードなどの世話を生き生きと始めた。潤子さんは自立しているが、週3日はデイサービスに出かけ、週1、2日は娘と食事や温泉を楽しんだりする。


 りかさんは、潤子さんに笑顔が戻り安心したが、パクにはちょっと困ったこともあった。「座れ」や「待て」など基本的なしつけができていなかったことだ。「待て」の合図もきかず、我慢ができない。散歩中に犬を見つけると興奮した。


「とくに柴犬を見ると、ワーッとなって。なにかトラウマがあるのかもしれないわね。ごはんを待てないのは、他の犬にとられる、という思いでずっと来たからかしら」と潤子さんはいう。

 

「一生懸命遊ぶことで、どんどん心も通じ合ってきた」とりかさん
「一生懸命遊ぶことで、どんどん心も通じ合ってきた」とりかさん

 パクがやって来た頃、訓練所に2週間程預けてトレーニングしてみたが、あまり効果はなかった。さらに、事故が起きた。


 昨秋、夕方の散歩中に、別の犬と鉢合わせになり、パクが急に動き出した。そのため潤子さんは転んで、膝の骨にヒビが入るをけがした。その1カ月前にも、夕方の散歩で、つまずいたことがあった。


 施設スタッフから「飼うならもっとずっと小さな犬がいいのではないか」という意見があがった。高齢者が1人で暗い中を散歩したら危ない、という声も近所から出たそうだ。


 りかさんは悩んだ。前に飼い主と別れたパクに同じ思いをさせたくない。母がパクに抱く愛情を終わらせたくない……。そのため周囲に理解してもらうことも必要だった。


「近所で犬を連れた方ひとりひとりに声をかけて、パクが吠えたりしてご迷惑をかけていませんか、と聞いて回りました。その後、訪問リハビリの先生に、散歩中の母の動きをみていただきました」

 

 

◆関係者で話し合い

 けがから2か月経ち、施設の会議室で「潤子さんがどうしたらパクと今後も幸福に暮らせるか」を話し合う担当者会議が開かれた。参加者は、りかさん、施設スタッフ、ケアマネ、ヘルパー、2カ所のデイサービスの管理者、訪問リハビリ担当者だ。そこで、自費サービスによる散歩の付添いについて意見が交わされた。


 りかさんが振り返る。


「リハビリの先生が足腰の状態について、怪我が治って一人で歩けるようになったが、もしパクがひっぱったら危ないので、『この先は誰かのサポートが必要だ』と伝えました。するとヘルパーさんが『散歩のサポートはちょっと怖い』と仰ったんです」


 それに対し、訪問リハビリの担当者は、「実際に一緒に散歩したら怖い状況になることは一度もなかったし、この2カ月で潤子さんを支えなければならないようなこともなかった」と言い、ヘルパーも納得したそうだ。


「私も娘として『転んだのは暗くなってからで、昼間は転んだことない。母は物忘れがあるけれど、わけがわからないことをするわけでない』と伝え、ヘルパーの付き添いのない日は自分が毎朝、散歩にきて、夕方の散歩の応援も有償で頼むことを約束しました」


 こうして周囲の理解を得ながら、潤子さんはパクとの生活を続けられることになった。大変かと思うが、りかさんは笑顔でいうのだ。


「母の生きがいは犬との暮らし。リスクはゼロにできないので、それを軽減したうえで本人の希望を叶えられればと思う。犬はお金がかかるし、ぜいたくなんじゃないかという人もいるでしょう。でも母の場合は老化の予防になっていると思うんですよ」

 

前は「はな」と比べることもあったけど、今は「パク」が大事な家族よ
前は「はな」と比べることもあったけど、今は「パク」が大事な家族よ

 りかさんが近所に挨拶をして回る中、新たなしつけの先生と出会い、今年になってトレーニングを再開したという。イギリス風のしつけ方はパクに合ったそうだ。


「預けるのではなく、公園で母と一緒に習うのですが、『待てができるようになれば飛びかかりも抑えられる。そういう希望をもってやってください』と言われて勇気が出ました。一生懸命向き合って遊ぶことで、パクも9歳にして変わりました。ねっ、パク」


 そういって、潤子さんがパクとゆっくり歩く姿を見守った。

藤村かおり
小説など創作活動を経て90年代からペットの取材を手がける。2011年~2017年「週刊朝日」記者。2017年から「sippo」ライター。猫歴約30年。今は19歳の黒猫イヌオと、5歳のキジ猫はっぴー(ふまたん)と暮らす。@megmilk8686

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この連載について
ペットと人のものがたり
ペットはかけがえのない「家族」。飼い主との間には、それぞれにドラマがあります。犬・猫と人の心温まる物語をつづっています。
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