22歳で旅立った愛猫 最初の発作から最期の日までの134日、宝物のような日々
今年6月、22歳で旅立った猫がいます。20代で出会って、30代、40代と人生の大半を共に過ごしてきた飼い主の女性に、忘れ得ぬ思い出とともに、とくにシニアになって心がけたこと、エンゼルタイムと呼ばれる“最期の貴重な時間”について振り返ってもらいました。インスタにポストされた愛にあふれる動画もご紹介します。
キャラに合わせて呼び名を変えて
「会えなくなって2カ月経ちますが、いまだに不思議な感じ。人生の半分近く、結婚生活がそのまま“彼女と過ごした時間”でもあるので……」
まみさんが、初夏に逝った愛猫コツオちゃんについて、穏やかな表情で語ってくれた。
コツオちゃんと出会ったのは、22年前にさかのぼる。新婚1年目のことだ。
「夫の転勤先で、(たまたま入ったお店に)、ロシアンブルーのメスの子猫がいて、目が合ったとたんに『ニャー』と鳴き、その瞬間『ママー』と呼ばれた気がして連れて帰りたいと思ったんです。私は子どもの頃からたくさんの猫と暮らしてきましたが、夫は犬が好き……でもすぐにメロメロになりました」
まみさんは初め、「ココ」と名付けたが、そこから2度ほど名を変えたそう。
「2文字(同じ字がつながる)の名は迷子になる子が多いと聞いて、コッティに。ところが気が強く、眼光も鋭く“番長”タイプ。コッティという感じじゃない(笑)。それで、コツオと呼ぶようになりました」
コツオちゃんの武勇伝はいろいろある。忘れられないのは、生後半年過ぎに、照明にぶらさがったことだそう。まみさんはそのせいで、予定していた資格試験を受けられなくなってしまったのだ。
「出がけに、リビングからガシャーンと大きな音が聞こえて。慌てて駆けつけると、コツオがダイニングテーブルの真上のつり下げ照明に飛び乗り、照明器具ごと床に落下していたんです。電球の破片が飛び散り、本人は大パニック。私もパニック!そこまでおてんばな猫は初めてみましたね。幸いけがはなく、試験も半年後に受け直しましたが(笑)」
生まれる前から子どもを“感じて”いた
コツオちゃんは女王様気質でもあるし「ひとりっ子タイプ」と感じ、猫の仲間はずっと迎えなかった。そんなコツオちゃんに人間の”弟“ができたのは、12歳の時だった。
「妊娠中から産まれる前まで、コツオは私のおなかの上に乗って寝ていたんです。息子の胎動も感じていたと思います。息子は動きの激しい子で、おなかの中からコツオのことをポンポンたたいてました(笑)。初めて会った時、『コレがおなかの中からアタシを蹴ってたにゃんねぇ!』と思ったかも」
コツオちゃんは、赤ちゃんを自然に受け入れ、いつも「危険がないように」じっと見ていた。まみさんが長男を叱ると、どこかから走ってきて「まあまあ」といわんばかりに母子の間に入ったり、「おかぁ、こわっ」と逃げていったり。
「息子が生まれた後、私とコツオとは“女同士”という感じでつながっていましたね。男の子って大変よね!なんて、コツオによく話しかけていたものです」
長男とともに、コツオちゃんは順調に健康に過ごし、18歳まで病気らしい病気はしたことがなかった。歯もとても丈夫だった。
「歴代の猫たちをみても、長生きは遺伝によるところが大きいと思うのでコツオのパパ、ママに感謝ですが……18歳を過ぎて腎臓の数値が悪くなった時に、ああついにか!と思いました」
できる限り自然に、エンゼルタイムを過ごす
ゆったりした暮らしのなか、コツオちゃんは19歳、20歳と年を重ねていった。20歳を過ぎると、全身の数値が悪くなり、少しずつ痩せていったが、気丈さは変わらず。「起きたー」「ごはーん」「おみずー」と、大きな声でまみさんを呼びつけた。
21歳から先生の指示でステロイド薬など飲んで、寒くないように気を付けて、2021年の12月20日、うれしい22歳を迎えた。
だが喜びもつかの間、翌年の1月31日、コツオちゃんは初めての発作に見舞われてしまった。「息が止まる思いだった」とまみさんが振り返る。
「朝起きてリビングにいくと、フードや水の容器、猫ベッドまでひっくり返って暴れた形跡があり、コツオが動けないまま横たわっていました。本人もとても混乱し、触るとシャーと威嚇するほど」
病院に連れていくと、「(夜の間に)脳内で血管障害が起きたのかもしれない」と獣医師にいわれたそうだ。猫の時間は人の4倍の速さで進むが、この日を境に老いのスピードも4倍速になったという。
「思えば、あの日からエンゼルタイム(最期までの貴重な時間)が始まったのでしょう。数値をみて一喜一憂することもありましたが、目の前のコツオが穏やかに快適に過ごしているか、それを基準に考えるようにしました。夫や獣医さんとも話し合い、積極的治療はしないと決めたんです」
介護中にまみさんがよく思い出したのが、草や木のように「枯れるように逝く」という考え方だった。
「映画『おくりびと』が生まれるきっかけとなった、書籍「納棺夫日記」の著者、青木新門さんがつづってらしたのですが、『食べたい時に食べたいものを口にして、あとはうつらうつらと寝て過ごす。体は楽に逝けるように調整している。その寝息を聞きながら、家族は最期の時が近づいているのだと静かに悟る』と。この考えにとても救われました。コツオも無理なく、自然に枯れるように逝ければな、と」
コツオちゃんは3月にまた発作を起こし、一進一退を繰り返したが、まみさんはどんなに心が震えても、「平常心」を心がけた。自分が不安になったらコツオちゃんも不安になる気がしたからだ。
コツオちゃんは5月に体重が増えたものの、一日中寝ていることも多くなった。
最後のガールズナイト、彼女はこっそり空に
6月10日はまみさんの長男の11歳の誕生日だったのだが、この日、コツオちゃんは一緒に祝い、大好きなクリームをなめて満足そうだったという。
「きっと“ちゃんと見届けるにゃよ”と踏ん張り、この日までは大丈夫だろうと思っていました。翌11日は夫と息子が東北に野球を見にいき、その晩は、私とふたりきり。それが最後のガールズナイトとなりました……いろいろ思い出話をしたなあ」
――コッちゃん、つり下げの照明を落としたの覚えてる?あれ大変だったね。
――動物病院で(暴れて)、牙をパパの手のひらに差したこともあったよねえ。
――コッちゃん……ありがとね、一緒にいてくれてありがとう。ずっと大好き……。
並んでうとうとしながら、コツオちゃんと対話をしたまみさん。夜中3時にみた時、コツオちゃんは呼吸をしていた。朝5時にふと目を覚ますと、動かなくなっていたという。
「眠るように、こっそり逝ってしまいました。でもそれも彼女らしい。この世での使命を果たしたと思って旅立ったのでしょう。最初の発作から134日。最期の時までのこのエンゼルタイムは、寝不足続きでしたが、彼女と過ごした22年間でいちばん幸せで、いちばん意思の疎通が図れた宝物のような時間でした。そう思えることがまた、幸せです」
背中を押してもらって前を歩く
じつは、まみさんの家族はこの8月、2匹のオス猫を迎え入れたそうだ。いずれも保護猫で、インスタでつながりご縁のあった保護団体がレスキューした猫たちだ。
「関東の保健所に(売り物にならないという理由で)収容されたパニータと、倒産した移動動物園で働いていたパーニャ。男の子にしたのは、コツオに“永遠のお姫様”でいてほしかったからです」
2匹飼いにしたのは、コツオちゃんの闘病を経て、気づいたことがあったからだという。
「猫の具合が悪く心細い時に、やはり猫の仲間がいたほうが心強いのではないか。そんなことをインスタのシニア猫さんたちの介護を拝見して痛感したんです。だから次は複数飼いにしたくて……」
コツオちゃんがいなくなった時に家族でみんな泣いて、それぞれさみしい時間を過ごした。だがコツオちゃんに背を押されるようにご縁で結ばれた新たな子を迎え、今、長男は弟分たちの朝食係になり、夫も気持ちを切り替え、前を向いて歩き始めた。
もちろん、まみさんも。
「気づけば私以外はみんな男子。大運動会がすごい時とか、コツオに話しかけるんですよ。うるさくてごめんね、これだから男子はねーって(笑)」
■まみさんがインスタに投稿した動画
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。