“闇”から救出の元繁殖犬サルーキ 安心できる家族に迎えられ

お気に入りのソファの上でくつろぐアディ
お気に入りのソファの上でくつろぐアディ

「犬がいると知らずに家にあがったお客さんが、“ソファいっぱい”に寝そべる姿に気づき、ワッと驚くことがあるんですよ。そのくらいおとなしいのよ」


 サルーキの「アディ」(オス、10歳)と暮らす酒井恵子さん(62)が明るく言う。傍らで安心してお腹を出して寝ている姿は微笑ましい。だが、酒井家に引き取られるまでの生活は、かなりシビアなものだった……。


(末尾に写真特集があります)


 サルーキは、スリムな体付きと、耳やシッポなどにある長い毛が特徴的な大型犬。中東原産で、7000年前から、古代エジプトの王家などで飼われていたといわれる犬種だ。


「アディ」はもともと神奈川県内のブリーダー宅で、繁殖犬として飼われていたが、そのブリーダーが急死した。家族の男性が犬を継いだものの管理がずさんで、繁殖仲間やボランティアらによる救出が始まったのだという。


 一方、酒井家はそのころ、新たな犬を家族に迎えたいと思っていた。


「以前、シェルティ(シェットランドシープドッグ、中型犬)を2匹飼っていたんですが、続けて亡くして2年ほど経ち、犬がまた欲しいと思った時期でした。次に飼うなら“買う”のではなく、引き取りたいなと思い、周囲に声かけして探していたんです。そんな中、知り合いのペットシッターさんが、『貰い手を探している大型犬のサルーキがいる』と教えてくれました」


 大型犬のため引き取るには条件があった。幼い子どもがいない、一戸建てに住んでいる、犬を飼ったことがある、家人の留守が少ない……酒井家はクリアしていたが、恵子さんは経験のない大型犬の飼育の想像がつかず、「無理無理」と、いったんは断っていた。

 

初めて家に来た日。「連れてきた」と写メを家族に送ると「でかっ」「大丈夫か」と返事が戻った。アディも少し緊張の面持ち
初めて家に来た日。「連れてきた」と写メを家族に送ると「でかっ」「大丈夫か」と返事が戻った。アディも少し緊張の面持ち

「ところが、1、2週間後、主人が夕食時に『その犬、行き場があるんだろうか』と言い出して。どうもサルーキについて調べたらしいんです。『え、飼っていいの?』と聞くと、『君がいいなら』と。それでペットシッターさんと、別のサルーキの繁殖関係者と、ブリーダー宅に見に行くことにしたんです」

 

◆目を背けたいような光景


 だが、見たのは、とんでもない光景だった。数軒先から異臭が漂い、家にあがると、大きな犬が3匹、2階からドドーッと下りてきた。犬たちはひどく汚れ、特に一番小柄な黒っぽい犬はあばら骨が浮き出るほど痩せていた。


「3匹は兄弟でしたが、散歩に連れ出すと大興奮。しばらく散歩していないようで、すごい力でリードを引っ張りました。どの犬も体にコブがあり、管理する男性は『去勢してコブを取ったら連絡して渡す』というので、その日は帰ることにしたんです」(体が細い犬種のため、硬い床で寝てばかりいると、皮膚が硬くなったり褥瘡ができたりする)


 また出直そう、と一同は車に乗りこんだ。だが、走り出してすぐ「いつ去勢するんだろう」「本当にするかな」「心配だ」という話になり、車を停止させた。


「あなた自分で去勢費用を出す気はある?」


 そう同行者に問われ、恵子さんは即答した。


「ある、私がする。引き取るなら今日だわ!」


 すぐさまブリーダー宅に戻り、「今、引き取りたい」と申し出た。管理する男性は「どれ?」と尋ねた。恵子さんが一番小さな犬を選ぶと、男性は犬を抱きあげ、車の後部にぞんざいにボンと置いた。あるはずの血統書はなく、誕生日の説明も二転三転した。


「物のように置かれた瞬間、この犬を幸せにしなきゃっ、て思いました。車中で言ったんです。『今から君の“家”が変わります。ウチの子になるので、よろしくね』って。不思議なことに、その言葉が分かったかのように、家に着いて玄関を開けたら、どんどん部屋に入っていき、真っ直ぐソファに飛び乗ったんです」

 

あごをクッションに乗せるのが「らくちん」
あごをクッションに乗せるのが「らくちん」

◆引き取って分かったこと

 

 だが、どう育ったか分からないため、コミュニケーションには不安もあった。引き取った翌日、アディを動物病院に連れていくと、栄養失調だと告げられ、さらに獣医師から、こう言われたという。


「この犬はいろいろあったね。でも、犬は前向きな動物です。後ろを振り向かず、過去のつらかったことは忘れ、よいことを覚えていきます。しばらくは長期の留守をしないで面倒をみてください。そうしたら絶対に応えてくれる」


 恵子さん夫婦は旅行の予定をキャンセルし、アディとじっくり向き合った。そうするうちに、だんだんとアディのことがわかってきた。トイレは室内でしたことがないらしい、飢餓感が強いのか袋を食い破って吐くまで食べることがある、虐待を受けた経験があるのか棒やほうきを見るとブルブル震える、閉じ込められたためかハウスを怖がる……。


「平日は私と散歩に2度行き、土日は主人が散歩に連れていきました。主人は2時間もかけてアディの思うままとことんつきあったんです。そして3週間後に動物病院に健診に行くと、獣医さんに『すいぶんよい信頼関係が築けましたね。もうこの子はあなたたちの犬です。目がこの前とぜんぜん違う』と言われました。それがすごく自信にもなりました」


 一緒に歩くことで、アディの緊張がほぐれていったのだ。ただ、恵子さんは、ずば抜けた跳躍力や、時速60㎞以上で走れることなど犬種の特徴をよく把握していなかったために“失敗”もした。

 

家の庭で遊ぶアディ。見守っていないとフェンスを越えてしまう。
家の庭で遊ぶアディ。見守っていないとフェンスを越えてしまう。

◆アディ脱走事件

 

「数回、脱走しました。目を離した隙にウチの庭の柵を飛び越えて3軒先まで行ったり、庭の柵を擦り抜けて道路に出たり。一番ドキドキしたのは、家に来て4か月目。神奈川の七里ヶ浜にサルーキが数頭集まるというので、アディを連れて行ったんです。そこには兄弟『ダル』(同じブリーダー宅から保護された)もいて、2匹で喜んで遊んでいました。だいぶ慣れたので、リードをつい外したら、『アディ』が『ダル』を追いかけて……」


 2匹は猛スピードで砂浜を走り、階段を駆け上がって国道に出てしまった。恵子さんはダルの飼い主と一緒に追いかけたが、どんどん遠ざかる。2匹は車の間を縫うように国道を横切り、さらに江ノ電の線路を渡り、坂道を駆け上がった。「アディ」に追いかけられて怯えた「ダル」は、今の家に戻ろうとしていたのだ。


「道行く人に“あっちあっち”と教えられて、ゼエゼエいって坂の上の家に向かいました。すると『ダル』だけが門を飛び超えて家に入り、『アディ』は踵を返して坂をトボトボ下りてきました。アディも門を軽々飛び越えられるはずなのに、人の家に入っていけないと思ったのか。ほっとするやら、愛しいやら……」

 

恵子”ママ”に甘えるのが好き
恵子”ママ”に甘えるのが好き

 この4年間で、アディの体重は6㎏増えた。シッポや耳の毛が伸び、おどおどする様子も消えて落ち着いた。数日ならよそに預けて、夫婦で旅行もできるようになった。変わらないのは、アディが散歩好きなこと。だがそれは、恵子さんに限られる。


「独立した息子が家に帰って、アディを散歩に連れて出そうとすると、10mも歩かずに立ち往生。最近は夫との散歩も渋々で、私との散歩だけノリノリ(笑)。周囲に聞くと、どうも“ママっ子”のサルーキが多いみたい。でもそんなところも可愛いね、とみんなで話しているんですよ。家族の中に犬がいる、その幸せをあらためて、かみしめています」

藤村かおり
小説など創作活動を経て90年代からペットの取材を手がける。2011年~2017年「週刊朝日」記者。2017年から「sippo」ライター。猫歴約30年。今は19歳の黒猫イヌオと、5歳のキジ猫はっぴー(ふまたん)と暮らす。@megmilk8686

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この連載について
ペットと人のものがたり
ペットはかけがえのない「家族」。飼い主との間には、それぞれにドラマがあります。犬・猫と人の心温まる物語をつづっています。
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