「だれを待つの?」と歌われた忠犬タロー、駅前に銅像を建立
はぐれた飼い主に会うため、17年間JR石岡駅に通い続けた犬がいた。2キロ離れた石岡市立東小学校にすみつき、児童がつけた名前が「タロー」。地域の人に可愛がられた。その物語を語り継ごうと、住民の有志が銅像を駅前に作り、15日に除幕式を開いた。
「主人を待って、毎日駅に通った立派な犬。タローに代わって厚く御礼申し上げます」。式典であいさつしたのは、銅像を作った「忠犬タロー顕彰会」の顧問、橋本千代寿(ちよじ)さん(96)。タローが東小で暮らした17年のうち8年、校長を務めた。
銅像は、街並みに顔を向けた形で据えるのが一般的だが、あえて街に背を向けた。駅を見続けたタローの姿を再現するためだ。
■小学校に迷い込む
顕彰会によると、タローは1964(昭和39)年、東小に迷い込んだ。しばらくすると、朝夕2回の駅通いが始まった。待合室に座り、改札を通る客をじっと見る。誰かを捜しているようだった。
普段は児童から給食をもらい、なじみの食堂でごちそうになった。テレビで紹介され、77年に童謡「タローは今日も」が作られた。
♪おしえておくれ いつからだれを だれをまつーのか タロー♪
■街の人に愛され
茨城国体があった74年、行政は野良犬を駆除しようと、道路に毒物入りの食べ物を仕掛けた。橋本さんらが「タローの通り道には置かないで」と頼み込んだ、という話が伝わる。
そうした周りの気遣いにもかかわらず、飼い主との再会がかなわぬまま、81年に生涯を終えた。
ところが2009年、朝日新聞の記事がきっかけとなり、飼い主が名乗り出た。行方市の女性。5歳当時、幼稚園に通うため、鹿島鉄道(07年廃線)玉造町駅で一緒に乗り込み、石岡駅ではぐれたのだった。元の名前も分かったが石岡の人にとっては今も「タロー」のままだ。
顕彰会の事務局を担い、寄付金集めに奔走したのは、東小の元校長の佐藤信夫さん(77)。「タローを見守った人たちを誇りに思う。このお話こそ地域の宝です」」
(青瀬健)
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