病んだ老猫との日々は親密で幸福な時間だった 「生まれ変わって、またおいで」
寒い夜に夕食の鍋に誘われたことから、野良生活をやめて、絵かきのいっとくさんと暮らし始めた三毛猫ねぎ。ふたりの楽しい共同生活は続くが、やがてねぎに老いが忍び寄ってくる。発病、介護、そして別れ。それもいっとくさんにとっては、ねぎと出会えたしあわせを刻みつけてくれる日々だった。前編に続く、いっとくさんとねぎの物語の後編です。
病を得て老いゆく、ねぎ
2歳の頃に家に入ってきた元野良のねぎの美貌は、年と共にろうたけていった。10歳過ぎの年増になっても、雄猫たちからのモテモテぶりは相変わらずだった。だが、15、6歳あたりから、庭にくる雄猫からのデートの誘いに応じることが少なくなっていく。
18歳になった頃の夜、パソコンに向かういっとくさんのひざに乗ってきたねぎが、ふっと軽い。かかりつけの病院へ行って血液検査をしたが、原因がよくわからないまま、体重は減り続ける。病院を変えて、甲状腺機能亢進症と腎臓の薬を処方された。
薬をご飯に混ぜるとそっぽを向く。世の猫たちに絶大な人気の液状おやつに混ぜるといいと聞いたが、煮干しなどの固いものが好きなねぎは、この軟弱なおやつが大嫌いなのだ。岩絵の具をすりつぶすための乳鉢で薬をすって、パテ状の栄養缶詰に混ぜ、朝に夕にシリンジで口の脇から飲ませた。
いっときは、体重が1キロ台にまで落ちてしまった。なんとか持ち直したものの、すっかりスレンダーになって、風に吹かれるように歩く姿は妖精猫のようである。
「若い猫がデートの誘いにやってきたときは、鳴いて僕を呼びつけました。『追っ払ってちょうだい』と。もう雄猫には興味がないようでした」
病んだねぎは、毎日一度は「抱っこして」と要求した。抱いてやると、のどをゴロゴロと鳴らし続けた。夜になると、「散歩に行こう」と誘う。家のすぐ目の前に小さな児童公園があって、夜は誰もいない。ベンチにふたり並んで座る。10分ほどたつと、ねぎは満足した風で「帰りましょ」とばかり、先だってスタスタと家に向かうのだった。
どんなわがままも聞いてあげるから
歯槽膿漏から、目の下におできができた。皮膚がんの一種のようだと診断されたが、年齢から、切除手術はしないことにした。
「ねぎ、あと何年かはがんばって生きなさい。どんなわがままも引き受けるから」と言うと、おできの上の美しい瞳は「そうするわ」と言うように、見つめた。
「ねぎは確かにわがままな猫でしたが、僕が風邪をひいたときなんかは、一切わがままを言わなかった。賢くわきまえた猫でした」
22歳を過ぎた去年の春には、体重がまた2キロを切った。歯槽膿漏を悪化させないために、2週間に一度、抗生物質の注射をしてもらいに行く。それで、食べることもなんとかできるので、体重はキープできた。
コロナ禍のためステイホームが続く日々は、ふたりをいっそう親密にさせた。
朝起きるとまず、ねぎのおなかが上下していることを確かめる。ねぎが鳴くのは、朝の薬の時間だ。次に鳴くのは、昼過ぎだ。「抱っこして」の要求である。ちょっとすると、また鳴く。「下ろしてよ、お水飲みたいんだから」と。夜9時の薬の時間にも鳴く。
「彼女からお呼びがかかるまで、僕は自分の仕事をします。高齢猫の世話は、介護と子育てをいっぺんにやっているみたいなもの。高齢猫は、親であり、子であり、恋人でもあり。どれもかけがえのない存在で、その3つの役割を同時にやってくれている。だから、お世話は、とても幸福な時間でした」
とうとう別れのときがやってきた
夏が過ぎ、秋が過ぎた。ふたりが共に過ごせる最後になるだろう冬が来た。12月に入ってからはガクンと食欲が落ちたが、それでも、トイレに行くことも、水を飲みに行くこともできていた。
24日にトイレに行くことができなくなり、寝ていたホットカーペットに粗相をした。いっとくさんは、「クリスマスプレゼント」と言って、新しいカーペットを敷いてやった。30日に病院に行くと、帰るときに院長先生がねぎに声をかけた。「また、来年ね」。その励ましがうれしくて、いっとくさんもねぎに言った。「2021年まで生きようね」
大みそかは、もう目を開けることもしないねぎに「あのときは楽しかったねえ」と思い出をたくさん語りかけて過ごした。
元旦に、起きると、ホットカーペットの上にねぎがいない。ハッとしたら、布団の傍らで寝ていた。元気な頃は、真夏でも一緒に寝たがったから、最期もそばで寝たかったのだろう。
正月の2日は、ずっと寄り添っていた。眠るねぎの頭をそっとなでて「ありがとね」というと、ねぎは、びっくりするほどはっきりあごを引いて、うなずいた。
「3日の朝も変わりはなかったので、僕は隣に寝転んで本を読んでいました。すると、何度か大きな息をしました。手を握ると、しっかりと握り返しました。そうして、何度目かの大きな息の後、旅立ちました。2021年まで生きるという約束をちゃんと守って」
2歳で入り込んできてから、ちょうど21年と2カ月だった。体をなで続けながら、そっと話しかけた。
「ねぎ、また、生まれ変わっておいで。生まれ変わって、お父さんの猫になりなさい」
また、きっとどこかで会える
火葬までの数日間は、ふだん通りに頭をなで、話しかけた。ねぎは、そこで、ただぐっすり眠っているようだった。思わず口からもれた。「お前は、死んでも可愛いな」
想像していたような、耐えきれないほどの悲しみやつらさは襲ってはこなかった。悲しみがうっすら混じった、静かな幸福感の中にいっとくさんはいる。
「思えば、ねぎが病気になってから5年間、僕は、そしてきっとねぎも、『死』という別れの一点を見て生きてきました。その時にけっして後悔しないよう、毎日毎日精いっぱい楽しく過ごしました。それができ、いい見送りもできた幸福感の方が、寂しさよりも強いのかもしれません。ねぎが、この父を悲しませまいと長い時間をかけてお別れをしてくれたこともあります」
とはいえ、何でもないときに、ふと涙がこみあげる。買い物に出て、ねぎの好きそうな魚を見たときとか、餌皿にちょうどいいものを見つけたときとか、ただ歩いているときとか。
「ねぎの身体はもうありませんが、今もしっかりとつながっている確信があります。ねぎと出会ったのも、ずっと前からの約束だったのかもしれない。きっとまた、生まれ変わったねぎに会える。一目見て、僕はすぐに気づき、その子も僕だとすぐにわかるでしょう。だから、今ちょっと寂しいくらい、なんでもありません」
そういえば、ついこの前のこと。明け方、寝床のすぐわきに、3色のかたまりのようなものがいる。すぐにねぎだとわかったので、「よう」と言って抱きかかえ、「何やってんだよ」と聞くと、かたまりは答えた。「今度は何色に生まれ変わるか考えてる」
笑って、目が覚めた。5時だった。
「『ねぎ、早いから、もう少し寝るからな』と声に出して言いました。ねぎは、まだまだ僕を楽しませてくれるようです」
白い小さな砂糖つぼの中に、ねぎのお骨は入っている。春になったら、埋葬するつもりだ。
「ねぎ、おはよう」「じゃ、行ってくるよ」「ただいま」「予報は今夜雪だけど、降らないよな、ねぎ」……ねぎとのしあわせな会話は今も続く。
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