骨折して雨の車道にいた子猫 「新しい日常」を生きる相棒になる

 5月のある雨の朝、夫婦で仕事場に向かう途中、車の信号待ちの時にふと隣の車線を見ると、雨にぬれた子猫がはいつくばっていた。動物病院の検査では、後ろ脚の大腿骨の骨折が見つかる。子猫は新しい家族として迎えられ、同伴出勤ですくすく育っている。

(末尾に写真特集があります)

「車道に子猫がいる!」

 朝からの雨だった。多田秀行・千恵さん夫妻は、車で自分たちの店に向かっていた。10時にお客の予約が入っているのだ。ハンドルを握っているのは秀行さんで、片側2車線ある大通りの左車線を走っていた。赤信号で停車したとき、ふと右車線を見た秀行さんは、驚いた顔を妻に向けて言った。「そこに子猫がいる!」

 幸い、右の車線は車が走ってなくて、2~3台がゆっくりと後ろに続いて停まっただけだった。すぐさま、ハザードランプをつけて路肩に車を停めた。後続車に手ぶりで「すみません」と伝えながら、千恵さんは子猫を保護した。

タオルハンカチでくるんだ小さないのちは、ひんやりとぬれそぼって、小刻みに震えていた。雨に煙って前方が見えにくい朝だったし、ぬれたアスファルトの上の小さなキジトラは目立たず、秀行さんが気づかなければ、ほどなく死んでいただろう。

 予約客があるので、まずは店に向かう。千恵さんにお湯シャワーで洗ってもらい、ドライヤーで乾かしてもらっている間、子猫はされるがままでおとなしかった。洗面台は清潔で大きく、千恵さんの洗い方は手際よく優しかった。ふたりの店は、美容室だったのである。

シャンプーしてもらってさっぱり(ただのびようしつ提供)
シャンプーしてもらってさっぱり(ただのびようしつ提供)

 子猫は生後ひと月半ほどの女の子で、1歩歩くたびに転んだ。よく見ると、後ろ左脚がおかしい。秀行さんが仕事をしている間、千恵さんが動物病院へ子猫を連れて行った。

 獣医さんの診断は、「後ろ左脚の大腿骨折あり。生まれてまもなくの骨折で、曲がったまま骨がくっついてしまっている。小さすぎて手術は無理」とのことだった。ノミもおなかの虫もいないので、ノラではなく、捨てられた子と思われた。

台風とコロナ禍の町で

「ただのびようしつ ∞Tao」は、海のすぐそば、南房総館山市の八幡神社の交差点角にある、12坪ほどの小さな店だ。横浜の美容室で働いていたふたりが、千恵さんの生まれ故郷の館山市で新しい暮らしを始めたのは、4年前のことだった。

 薬局だった店舗を自分たちでリノベーションして、「誰もが訪れやすい、気持ちのいい空間であるように」と願い、2017年のクリスマスに開店。「ああ、さっぱりしたわ」と喜んでくれるなじみ客が増えていった昨年秋。2度の台風が南房総に大きな爪痕を残した。見慣れた家並みががれきとブルーシートだらけになった。

 町をあげて再生へ取り組むさなか、今度はコロナ禍の自粛が襲う。町の誰もがさまざまに不安を抱えて、それでも行く手に光を見つけようと懸命に模索していた。秀行さんたちも、完全予約の営業体制で、自粛後のスタートを切ったばかり。そんなときに、拾った子猫だった。千恵さんは言う。

「保護したものの、今は子猫どころじゃない、という思いでした。早く譲渡先を見つけなくちゃ、とSNSで知り合いに呼びかけ続けました」

小さなぬいぐるみに寄りそって、ぐっすり眠る(ただのびようしつ提供)
小さなぬいぐるみに寄りそって、ぐっすり眠る(ただのびようしつ提供)

「うちの子にしよう」ストンと決めた

 秀行さんは子供の頃から猫と暮らしていたが、千恵さんは初めて。ぬいぐるみに寄りそって眠る姿を愛らしいと思いつつ、手元に残すまでは考えなかったという。

 拾って数日後。もらい手が見つかりそうになったものの、話は流れた。そのとたん、千恵さんは「うちの子にしよう」とストンと決めたという。秀行さんは、黙っていたが、「なんで譲渡先を探すんだ?」と思っていたそうだ。「だって、僕たちがこの手で保護したんだから。それって、うちの子にするってことでしょ」と笑う。

 映画「風の谷のナウシカ」に登場するキツネリスに似ていたので「テト」と名づけた。まだ幼いのでひとりにしてはおけず、予約が入ったときは店に同伴する。

 猫アレルギーのお客さんの時にはケージから出さないが、「きゃ~!カワイイ」と歓声で迎えてくれるお客さんが断然多い。歩き回って遊ぶうち、骨折の後遺症はわからないほどに回復してきた。

明るみのほうを見つめて

 店は、通り側が全面ガラス張りで、テトちゃんは、日差しの中が大好きだ。その目はいつも明るい方を見つめている。骨折したり、捨てられたり、幼いながら大試練を2度も体験した。前と同じ形の脚ではないけれど、ちゃんと歩ける。

しっくい壁、たっぷりの植物、波音のBGMなど、心地よさにこだわった店内
しっくい壁、たっぷりの植物、波音のBGMなど、心地よさにこだわった店内

 テトちゃんが店にいることで、多田夫妻とお客さんとの会話も弾む。「お互い大変だけど頑張りましょうね」というエールを笑顔で交わし合う。コロナ禍でいや応なしに始まった「新しい日常」だけど、自粛のおかげで気づいたことはたくさんあった。自分からやろうと思えたことこそ楽しんでやれることなのだ、とか。

 工夫しながら、業種を超えて手をつなぎ合い、できる限り「これまで通り」を続けたい。南房総の波音のような、ゆったりと心地よいリズムで。

「ゆったリズムの相棒には、猫はぴったりだったかも」と、秀行さん。

「小さなぬくもりが、ふわっとそばにいるっていいものですね」と、千恵さん。

 寝起きのテトちゃんが可愛いあくびをして、ふたりの顔が思いきりほころんだ。

只今、同伴出勤、店内で保育中
只今、同伴出勤、店内で保育中

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佐竹 茉莉子
人物ドキュメントを得意とするフリーランスのライター。幼児期から猫はいつもそばに。2007年より、町々で出会った猫を、寄り添う人々や町の情景と共に自己流で撮り始める。著書に「里山の子、さっちゃん」「猫だって……。」など。Webサイト「フェリシモ猫部」での「道ばた猫日記」連載は10年目。

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猫のいる風景
猫の物語を描き続ける佐竹茉莉子さんの書き下ろし連載です。各地で出会った猫と、寄り添って生きる人々の情景をつづります。
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