劣悪な環境から救出された黒猫「夜空」 月明かりのような存在に
多頭飼育崩壊の相談を受けた福祉関係者がその家に立ち入ったとき、猫たちは積もり積もった糞尿の上を一斉に逃げ出した。そんな中、1匹だけ、足元に駆け寄ってきた若い雄の黒猫がいた。喉元や脇腹をかみちぎられた痕のある子猫もいるような劣悪な環境。その黒猫は片目の視力を失っていた。保護されると、その風貌から「夜空」という名前をもらい、譲渡先の家族に月の光のようなあたたかさをもたらした。
「夜空」のように美しい黒猫
2019年夏のある日。千葉県の湾岸にある町に暮らす福網彩乃(ふくあみ・あやの)さんは、譲渡先募集サイトで保護猫たちの写真を何気なくながめていた。ふと1匹の黒猫に目がとまった。
その猫は、安心しきった表情で保護主の膝の上に抱かれていた。やや長毛の漆黒の毛並み。右目は金色がかったオレンジ色。青に乳白色が混じった左目のほうは、視力はほとんど失われているようだった。だが、彩乃さんの目がその猫に吸い寄せられたのは、「かわいそうな子」という感情からではない。そのあどけなさを、あるがままの風貌を、心からかわいいと思ったのだ。
サイト上の保護主の説明には、こうあった。
「名前=夜空。推定3歳の雄猫。募集経過=非常に不衛生な多頭飼育崩壊現場から保護しました。性格・特徴=ものすごく甘えん坊でごろすりちゃんです。ふわふわの毛並みも気持ち良いです。夜空色の美しい毛並みに、金色の満月のような右目、左目は雲がかかったようです。性格もよく、鳴き声も可愛いです。小さい頃の風邪が原因なのか、左目の表面が白濁していますが、日常生活に問題はありません」
長所を余すところなく伝え、この子をしあわせにしたいという思いがギュッと詰まった紹介文だった。
すでに家には保護猫が2匹
そのとき彩乃さんは、「可愛い子だなあ」と思っただけで、家に迎えようとまでは思わなかったという。母の敬子(けいこ)さんと暮らす家には、すでに2匹の保護猫がいたのだ。
7年前、初めて家に迎えたさび猫の「てんちゃん」は、彩乃さんの以前の職場に居着いたノラだった。上司が「保健所へ持ち込むか、公園に捨てる」と言っているという噂を耳にして、緊急保護した。当時は寮生活だったので、寮にこっそり一泊させた後、母に迎えに来てもらって、実家の猫にした。犬は飼ったことがあるが、猫とは縁のない一家だった。
5年前にやってきた長毛の「一之丞」は、たまたま通りがかった工事現場で、ぐしゃぐしゃの目をして、ぐったりとしゃがみ込んでいた子猫だった。母猫の姿は見当たらず、そばにいた2匹のきょうだいとともに保護。2匹に譲渡先を見つけ、いちばん弱っていた子猫「一之丞」を残した。
新入りが来たとき、先住猫のてんちゃんは食欲を失くしたり吐いたりで、大変だった。幼い一之丞はてんちゃんに遊んでほしいのに、近寄らせてもらえないまま大きくなった。そんな気難しくナイーブなてんちゃんがいるのだから、3匹目は難しかった。
3匹目に迎えたい!
だが、サイトで目にした「夜空」という名の黒猫が、心から離れなかった。名前も、写真も、紹介文も。その後の譲渡会でも希望者が現れないらしく、何度見ても、「譲渡先募集中」の情報サイトに載ったままだ。
3匹目は無理かと思っていた。だけど、もしかしたら、3匹目を迎えることで、一之丞には遊び相手ができ、てんちゃんにはその分余裕が生まれて、いいバランスが生まれるかもしれない。そう考えた彩乃さんは、母に打ち明けた。
「お母さん、じつは、サイトで見た可愛い保護猫がずっと気になっているんだけど……。やっぱり障害があったり、見た目が普通でなかったりすると、もらい手はいないのかな」
敬子さんは答えた。
「じゃあ、その子に会いに行ってみる?」
夜空が参加する予定の次の譲渡会は、9月8日。彩乃さんは勤務の日だったので、敬子さんと、県内に住む彩乃さんの妹が、譲渡会に出かけた。
帰ってきた敬子さんは彩乃さんに言った。
「いい子だったよ。おとなしく抱っこもさせてくれたし。あの子なら、2匹とうまくやっていけそう。トライアルを申し込んできた」
遊び盛り、元気印の猫だった
2週間後に家にやってきた夜空は、譲渡会での「おとなしそう」という印象をくつがえした。元気印そのものの猫だったのだ。
「トライアル中に多少の問題があったとしても、うちの子にするつもりでした」と、敬子さんと彩乃さんは口をそろえる。夜空の元気ぶりにも目を細め、すぐ正式譲渡を申し込んだ。
3段ケージハウスで2週間過ごした後、夜空はフリーに。てんちゃんと顔合わせしたときも「フウ~!」と言われただけで、一之丞とはすぐに仲良くなった。
保護情報では3歳くらいとのことだったが、獣医さんの健康診断では「2歳以下かも」との見立て。まだまだ遊び盛りなのだ。劣悪な多頭飼育の中、よくこの天真爛漫さを失わず、生き延びていたものだ。
「保護主さんが付けてくださった『夜空』という仮の名は、あまりにもすてきで、この子にぴったりなので、そのままにしました」と、彩乃さんは言う。夜空を振り向かせるために「よぞくん、よぞくん、よぞよぞく~ん」という愛情ソングまで作った。「迎えたからには最後まできちんと責任を持ちたい」と、3匹それぞれ保険に加入しているという。
おとなでも、障害があっても
「よく食べ、よく遊び、よく甘えます。片目の視力だと距離感がとりにくいのか、高い場所へのジャンプに失敗してドタッと落下したことがありました。でも、まったくめげず、その後は、別のルートで飛び移るという賢さ。猫ってほんとうにすごい」と、彩乃さん。
3匹は、2階の彩乃さんのベッドの上で、射しこむ陽を浴びて過ごすことが多い。てんちゃんは、まったり。一之丞も可愛がる相手ができてうれしそうだ。
かつては犬派だった敬子さんも、3匹の様子に「寝てても起こしたくなるくらい可愛い」と言う。
夜空は、彩乃さんの家に、金色の月の光のような穏やかなあたたかさを持ってきた。そして、「おとなの保護猫も、障害を持つ保護猫も、先入観なく迎えてもらえますように」と願いながら譲渡活動を続けている人たちにも、大きな励みを与えている。
危険がいっぱいの外暮らしでなければ、障害を持つ猫たちにとっては、人間からの「生きていくのが大変そう」「かわいそう」「見ていてつらい」といった同情は何の意味もないだろう。
片目、いや両目の視力がなくとも、猫たちは、いつだって、心の目で光射す方を見つめ、今ある能力をフルに使って生きているのだから。
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