その日、ハチワレの野良猫は私のひざから降りなかった(4)
白黒のハチワレ猫に出会って以来、私は猫をなでるために例のアパート前に日参していた。ハチワレは昼でも夜でも、そこにいた。
(末尾に写真特集があります)
通い始めて3日目ぐらいに、たまたまアパートに住む女性と話す機会があった。そこでアパートの飼い猫かと聞いてみた。
「違うの、野良よ。すごく人に慣れているでしょう。1年ぐらい前に、このあたりに現れてね、そのときは赤い首輪をしていたけど、とれちゃったみたい。オスで、去勢済み。だから間違いなく元飼い猫よ。その駐車場が縄張りで、いつもアパートの前で見張っているの。来たときは痩せていたけど、皆が餌をやるから太っちゃってね」
アパートの階段の下には、キャットフードが散らばっていた。彼女が「縄張り」と呼んだ、車20台ほどが駐車できる砂利敷きの駐車場には、ときどき車止めの上にウェットフードが山盛りになっていた。焼き魚の残骸が落ちていることもあった。
ハチワレが駐車場で鳴くと、ガラガラと窓が開く音がし、かつお節がかかった白いご飯が空から降ってきた夜もあった。
ハチワレの人慣れ具合は、スーパー裏の空き地に出没する「にゃーにゃ」の比ではなかった。道路に転がってなでられるのが好きで、なでる手を止めると不満そうに鳴く。最初は「猫はやっぱり茶色でないと」と違和感を感じていた白黒の柄も、先が曲がった短いしっぽと合わせて見れば、どこかユーモラス。コロコロ転がる様子は愛らしく、動くぬいぐるみのようだ。そして別れるときは、必ず曲がり角まで見送りにくるのだった。
このころ私は、野良猫の存在が地域に引き起こす社会問題について、インターネットの記事や本を読んで、ある程度理解していた。無責任に野良猫に餌付けしてはいけない。わかってはいたが、ハチワレがいつもおなかをすかせているのは明らかだった。後ろめたさを感じつつも、ハチワレに会いに行くときはドライフードを携帯していた。
小さなプラスチックの器にフードを入れて道路脇に置くと、ハチワレは猛烈な勢いで食べる。空腹が満たされるとゆっくりと顔を洗い、私の後をついてまわる。私が駐車場の車止めに腰をおろすと、ひざの上をのぼったり降りたりする。気がすむと、砂利の上に行儀よく座り、そのままじっとしている。
ひざの上に座りたいのかな? どうしたらよいのだろう? そんなとまどいも、日が経つにつれて消えた。陽の光を浴びながら、猫と並んでぼんやり過ごす時間は心地よかった。
駐車場には、ほかの野良猫も何匹か現れた。その中には「にゃーにゃ」や、私が住むマンションの塀の上に来ていた「あのこ」も混じっていた。彼らが視界に入るや否や、ハチワレはそれまでの甘えた様子とは一変、姿勢を低くしてうなり、牙をむき、今まさに飛びかからんとするポーズで「シャーッ」と威嚇する。猫たちが退散すると、何ごともなかったかのように「ほなー」と鳴いた。
猫が威嚇をするのは、自分の縄張りや身を守るためだ。生き抜くためには、古タイヤにたまった雨水さえ飲む。雨水を飲んだ後、苦しそうに嘔吐するハチワレを見たときは、胸が痛んだ。猫は動くぬいぐるみなどではない。
ハチワレを抱き上げることができるのか試したことがある。驚くほど簡単に持ち上がったので、だらーんと4本の脚を下げた体勢のまま、停めていた自転車のカゴに入れると、すぽっと収まった。すぐさま飛び降りたが、逃げはしなかった。
季節は秋から冬へと移行していた。私はウールのコートを着ていた。車止めに腰をおろすと、ハチワレはいつものようにひざの上にのぼり、その日は降りることなく、ひざの上で丸くなった。
コートがぬくぬくして気持ちいいのかな。そう考えながらゆっくりと上下する体をなでていたら、小さな寝息が聞こえてきた。涙がこぼれた。私の心は決まった。
【前の回】初めてハチワレ猫をなでた 曲がり角で見つめあった夜(3)
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