映画監督 犬童一心と猫(4) 象のはな子のこと
必ずそこにいた存在の大きさ
5月26日はWOWOWのドラマ「グーグーだって猫である2」の第4話のダビングをしていた。ダビングとは編集済みの画に、音を整理して音楽をのせていく、まさに完成に向けての最後の作業だ。
と、ふいに、隣でネットのニュースを見ていたプロデューサーが言った。「はな子、亡くなりました」。私は、唖然としたまま何も言えない。はな子とは、東京都武蔵野市の井の頭自然文化園にいるアジアゾウ。日本最高齢の69歳だった。「グーグーだって猫である2」には重要な役で出演してもらっていた。
ダビングは今まさにそのはな子の登場シーンに差し掛かろうとしていた。私は、思った。「ああ、とうとうその時がきたか」。しかも、このタイミングで。
私は、大島弓子さんの名作エッセー猫漫画『グーグーだって猫である』を映画で1度、ドラマで2度映像化している。その全てにはな子は登場する。
ドラマの主人公、少女漫画家・小島麻子は長く吉祥寺に住み、その街を心から愛している。はな子は同じ街で共に日々を過ごし、死を抱え生きる仲間として多くの示唆を与えてくれる存在。訪れれば変わらずそこにいてくれることに、心から感謝している。
第4話でも、麻子は突然訪れた人生の岐路に出会い、心に大きな揺れを抱え、その身は自然とはな子の元に向かう。
実は、撮影を開始する数カ月前からはな子は、ゾウ舎の中から運動場にあまり出なくなっていた。私は井の頭公園のすぐそばに住んでいるので、その園内放送を日々聞いている。最近は「本日、はな子の観覧時間は体調管理のため、2時までです」などという放送が随時流れていたのだ。公園の周りに住む者皆が気にかけていたのではないだろうか。
撮影日の数週間前からプロデューサーに聞かれていた。「もし撮影当日にはな子が外の運動場に出ていない場合、撮影の予備日をどうしましょうか?」。僕は答えた。「当日、はな子に起こっていることを、麻子はそのまま受け取ることにしようよ。だからその日にしか撮らない」
撮影日、麻子役の宮沢りえさんと共に、はな子のもとに向かうと、やはりはな子の姿はなかった。運動場は空で、いつも遊んでいたプラスチックのホースが水飲み場にぶらんと下がり、風に揺れている。その空白と化した画は、逆にはな子の存在の大きさを感じさせてくれた。
帰りがけ、ふと見ると、ゾウ舎の隙間から、はな子がこちらをじっと見ていた。運動場への境界線ギリギリに立ち、じっとしている。正直に言えば、私は「ああ、これでお別れかもしれないな」と思った。
5歳の幼稚園の遠足での出会い。それから50年、必ずここにいてくれたことへ感謝の気持ちが溢れた。麻子と一緒だった。サヨウナラはな子。
(朝日新聞タブロイド「sippo」(2016年6月発行)掲載)
犬童一心(いぬどう・いっしん)
1960年東京生まれ。映画監督。79年、高校時代に撮った「気分を変えて?」がぴあフィルムフェスティバルに入賞。主な監督作品に「金魚の一生」「二人が喋ってる。」「金髪の草原」「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」「グーグーだって猫である」「のぼうの城」などがある。
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