映画監督 犬童一心と犬 野良犬の記憶
僕たちは同じだ 幼き宝石の時間
最近、野良犬を見ない。
野良猫は見ることがあるし、馴染(なじ)みもいて、勝手に名前をつけ挨拶(あいさつ)を交わしたりする。
「マーブル、また昼寝かあ」
最近は、近所にいる白、黒、グレー、大理石のような色の猫とよく会うので夫婦で親しくしている。昔は、そんな犬もいたなあと思う。
私の生まれは東京の世田谷。子供の頃はまだ森や畑も多く、まさに郊外の住宅街だった。
小学生のある時期、近所に馴染みの野良犬がいた。何の変哲もない、白というか茶というか、雑種だった。すでにつけた名前が曖昧(あいまい)なのだが、会えば、「あ」と思い、目が合えば名前を呼んだ。神社で友達と遊んでいてそいつがやってきたりすると、みんなで駄菓子を与えたりもした。そんなに年をとっては見えなかったが、もう十分に大きかったので「飼いたいなあ」などという声も出なかった。何となくいつもフラフラといて、近所のあちこちに佇(たたず)んでいる目立たない野良犬だった。
名前すら記憶の彼方(かなた)なのに、そいつとの忘れられない思い出がある。
多分、4、5年生の頃だ。夏休み、いつもの学校のプールの時間となり、水着を持って家を出た。出たのだが、その日は泳ぎたくなかった。今よりずっと自由人だった小学生の私は、迷うことなくサボった。サボって何をするかというと、クワガタを探しに行った。近所の農家や、畑の周りに植わるクヌギの木など目ぼしいところを回る。
何カ所か回って、農家の方が持つ雑木林に差し掛かる頃天気が暗転、急に大雨が降り出した。通り雨だ。慌てた。周りには特に建物がなく、目の前のクヌギの下に逃げ込んだ。すでにズブ濡(ぬ)れになっていたし、枝ぶりはいいが、隙間からいっぱいの雫(しずく)が垂れてきてもはや諦めの境地となり、雨に濡れることが気持ち良くさえ感じ始めた。そんなとき、ふと見ると、少し離れたクヌギの下に、そいつもいた。濡れた野良犬が静かにうずくまり同じように雨宿りをしていたのだ。
目が合った、何となくただ見つめあった。このときの感じをどう説明すればいいのか。
一言で言えば、同じだと思ったのだ。この雨の下で、今、僕たちは同じだ──。
雨はすぐにやんだと思う。なぜなら、晴れた日差しの中で、私は、すぐ自分の頭の上にいたノコギリクワガタを見つけたからだ。そのときの「やったー!」という喜びは大きく、記憶はそっちにスイッチして、野良犬の記憶は消えている。
あの野良がどうなったか?
中学になり、映画館通いが始まり、神社にも行かなくなり、クワガタにも興味を失い、自分の町から気持ちが離れ始めたのと共にその犬のことも忘れてしまった。
ただ、あの雨の中、目が合って、今、同じだ、と思えたあの時間は宝石のように胸にある。
(朝日新聞タブロイド「sippo」(2016年10月発行)掲載)
犬童一心(いぬどう・いっしん)
1960年東京生まれ。映画監督。主な監督作品に「金魚の一生」「二人が喋ってる。」「金髪の草原」「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」「のぼうの城」など
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