「吾輩」の名前は「猫である」!? 中島国彦

「猫」一章には、「筋向(すじむこう)の白君」「隣りの三毛君」「車屋の黒」と、何匹もの雄猫が出てくる。二章には、愛らしい、「二絃琴の御師匠さんの所(とこ)の三毛子」も登場する。いずれも毛の色と名前が対応する。漱石が最初に飼った「福猫」は、鏡子夫人によると、全身黒ずんだ灰色の中に虎斑(とらぶち)があったというが、3代目の猫を漱石が描いた大正3年の「あかざと黒猫図」=写真、神奈川近代文学館蔵=の印象も強く、作中の「吾輩」を黒猫と思い込んでいる読者も多い。では、作中に「黄を含める淡灰色に漆の如き斑入(ふい)りの皮膚」と描かれた「吾輩」を、何と呼んだらいいのだろう。「坊っちゃん」の「狸(たぬき)」「赤シャツ」「うらなり」などは風貌(ふうぼう)からきたあだ名だが、「吾輩」は毛の色や姿からは名が付けにくい。雑煮を食べて踊っていると、女の子から「猫も随分ね」と、あきれられるだけだ。

漱石自筆の猫画「あかざと黒猫図」=神奈川近代文学館蔵

 しかし、この名前が無い「吾輩」も、実は二章では名前で登場する。三毛子は、「あら先生、御目出度(おめでと)う」とあいさつし、車屋の黒は、「おい、名なしの権兵衛(ごんべえ)」と馬鹿にして言う。御師匠さんの下女は、「野良」とにらみつける。いずれも、名前を発する主体の価値認識から生まれたもので、こうした呼び名も一つの名前である。

 漱石は、晩年に飼った犬に、「ヘクトー」という古代の勇将の名を付けた。しかし、最初の飼い猫については、明治41年9月の死亡通知に「辱知猫義」と書き、ご存知(ぞんじ)の猫が、という言い方をしている。夏目家の猫がどう呼ばれていたかの記録は見当たらないが、小説の中では、単なる「猫」という、ある意味で透明な、無名で自由な存在であったことは、この作品を考える上で大切だ。言わば、「吾輩」は、名前が無いのではなく、立派に「猫」という名前で作中に生きているのである。

(中島国彦 早稲田大名誉教授)

朝日新聞
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