穴澤賢流「しつけ」の方針 犬に厳しくしても意味はない?
先代犬の富士丸、いまは保護犬の大吉と福助と暮らすライターの穴澤 賢さんが、犬との暮らしで悩んだ「しつけ」「いたずら」「コミュニケーション」など、実際の経験から学んできた“教訓”をお届けしていきます。
やんちゃ坊主だった福助
この連載で、大吉と福助には「しつけ」はほとんどしていないと書いたことがあるが、初めて犬と暮らしている人の中には、「しつけ」に悩んでいる人もいるのではないか。そこで今回は、私流の「しつけ」の方針をまとめておこうかと思う。
まず、現在の大福はどうかというと、叱ることなどまったくない。散歩でリードをぐいぐい引っ張ることもなければ、仮にリードを落としたとしてもどこへも行かない。置いてあるオヤツを盗み食いすることもなければ、犬が届く高さのテーブルに食材を残して席を外したとしても、何もしない。つまり何の手もかからない。それを厳しく「しつけ」たのかというと、ほとんどしていない。
ではなぜそんな「良い子」になったのかというと、自分で学んだんだと思う。もちろん子犬の頃からずっとそうだったわけではない。とはいえ大吉は子犬の頃から優等生で、悪さといっても留守の間にティッシュを全部引っ張り出す程度で、可愛いものだった。
対して福助は極悪で、迎えた当初は保護されたときのトラウマからか人恐怖症(※)で、抱き上げることすら困難だった。それに変に気を遣うのが面倒臭くなり、雑に抱っこしたりかみたければかめと接したりしているとなぜか人恐怖症を克服したが、それからが大変だった。
トイレの場所は覚えない、壁紙は食い破る(賃貸だったのに)、本棚から本を引っ張り出して食い破る、クッションは食い破る、あげくの果てにはソファを2脚も破壊してくれた。
(※野犬だった子犬福助を保護した職員さんは何も悪くありませんし感謝しています)
叱ってもやめないから対策を
そんなときに強く叱ったかというと、あまり叱っていない。帰宅すると寝室の枕を食い破ってベッドは羽毛まみれになっていたときは一応「何やってくれとんじゃボケー!!!」と怒鳴ったりはしたが(ビビションとビビリウンチをされて逆に慌てた)、内心では「そのうち落ち着くだろう」と余裕でかまえていた。
かといって、破壊ばかりされたら困るので、叱ってやめさせるというよりは、本棚の前にギターのハードケースを置く、かじられそうな柱や角には100円ショップでステンレス定規を大量に買ってきて角という角にベタベタ貼るなど、防御する策を考えたりしていた。
それでソファを防御するのを忘れていたら、見事に食い破られたときは「やるなお前」と関心さえした。そのうちひとつのシングルソファは富士丸のお気に入りだったからショックだったが、そんなことは子犬福助は知らないから仕方ない。そういうときにソファを買い替えたところで同じことになるから「落ち着くまで待とう」と思っていた。
反省して態度を変えたのは私の方
なぜそんな余裕があったのかというと、富士丸と暮らした経験があったからだ。ハスキーとコリーのミックスだった富士丸は体重30キロの大型犬で、幼い頃の力はすごかった。犬ぞりのごとくリードは引っ張るし、いくつものクッションを食い破ってくれた。子どもの頃から家には犬がいたが、大人になって全責任を背負うのは富士丸が初めての経験だった。
性格は温厚で、攻撃性もなく、一緒にいるときはとても「いいやつ」だった。悪さをするのは決まって留守番で、ソファベッドまで食い破ってくれた。
実家にいた犬は破壊なんてまったくしなかったのに(ずっと玄関にいたから出来ないといえば出来ないが)、なぜ富士丸はなんでも壊したがるのか。なぜ叱ってもまた同じことをするのか。なぜ言うことを聞いてくれないのか。さみしいのは分かるが、働かないと生きていけない。なぜそれを分かってくれないのか。そう思い悩んだ時期もある。
でもそれは彼が3歳半になった頃に、自然と落ち着いた。それで初めて分かった。どんな犬もやんちゃな時期があり、それは自然に落ち着くということを。しかも、自分がいたらなかったことにも気がついた。あれやるな、これやるな、ばかりで彼の要求には十分答えていなかったのだ。だから富士丸もうっぷんがたまっていたのだろう。
それが分かって反省してからは、富士丸のことも尊重し、出来るだけ一緒にいる時間を増やし、旅行するようになった。そうして暮らしていると、5歳になる頃には表情を見ただけでお互い何を考えているのか分かるような「特別な関係」になっていた。
「あれ」以外は自由にさせる
そんな経験があるから、福助がどんなに悪さをしても余裕でかまえていられたのだ。犬も幼い頃はやんちゃな時期がある。自分を振り返ったって、親の言うことなんて聞かない時期があったし、今でも立派な人間だなんて思えない。だから大吉と福助は、自由にさせている。
これは別に甘やかせばいい、と言いたいわけではない。かまない、リードを落としてもどこへも行かない(危険だから)、といった最低限のことは覚えてもらう必要があるけれど、信頼関係が出来れば、あとは好きにすればいいと思っている。そうしていても、今の大吉と福助のようになっている。犬は賢いから、自分で学ぶ。
ただひとつ、彼らがどれだけ嫌がっても、定期的に動物病院に行き「血液生化学検査」だけは受けてもらうことにしている。彼らの健康管理をするのは飼い主としての責任だと思っているからだ。
犬も話せば分かってくれる
だから特に幼い頃だが、叱るくらいなら、口にしたら危険な洗剤などを遠ざけたり、飛び出さないように玄関にゲートを設置したり、そういうことに労力を割いた方がいいと思う。
あと、犬も話せば分かってくれる。3〜5歳くらいになると、犬は飼い主の言っている言葉の意味をだいたい理解する。言葉は分からなくても、表情と口調でこちらの意図が伝わるようになる。
福助は外で犬と会うとガウガウモードになるタイプだったが、弱いくせに意気がっているのが分かるから、ある日ガウガウするのを止めた後、彼の目を見て「それ、いい加減にしてくんないか」と真剣な表情で言うと、それ以降ピタリとやんだ。
私はお手本ではないからね
私の「しつけ」に関する方針はだいたいこんな感じだ。ただ、今回こんな話を書いたのは「こうすればいいよ」という意図ではない。参考になればそれはそれでいいが、別に全然違っていいと思っている。なぜなら、人間の家族関係がそれぞれ違うように、犬との関係も人それぞれでいいと思っているからだ。
ついついそれを忘れがちだが、親兄弟の距離感が各家庭でみんな違うのに、「犬と飼い主の関係はこうあるべき」という幻想に捕らわれてしまう。それゆえ、犬は飼い主の右側を歩くとか、私は群れのリーダーでないといけないとか、司令はすべてコマンドでとか、そういう軍隊っぽい接し方になる飼い主も多い。
私たちが、ふとのぞいてみたい店に立ち寄ったりするように、犬だってあちこち匂いを嗅ぎたいし、英語でなくても言葉は理解出来るし、飼い主をリーダーなんかじゃなく「おとうちゃん」、「おかあちゃん」と思っているだけなのだ。
叱ったり、厳しく接する前に、自分は彼らの要求にちゃんと応えているだろうか(もちろんすべてかなえるのは無理だけど)、という問いを頭のどこかに置いておけばいいだけ。犬を迎えた者の責任として。そうすれば、自分と犬との「特別な関係」が築けるのではないかと思う。
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