歯みがき教室のスライドに登場した、病院猫の「ララ」(津田さん提供)
歯みがき教室のスライドに登場した、病院猫の「ララ」(津田さん提供)

苦戦する飼い主を助け動物の健康を守る 愛玩動物看護師が始めた歯みがき教室

 愛玩動物看護師など動物看護職の方々にお話を聞く連載。前回に続き、小儀動物病院で現在愛玩動物看護師として働く津田幸宏さんのエピソードです。病院で、飼い主向けの歯みがき教室を開く津田さん。たったひとりで始めた手作りの教室は、歯みがきが苦手なたくさんの飼い主を励ましてきました。

(末尾に写真特集があります)

恩師から届いた一通のメール

 津田幸宏さんが動物病院で働き始めて5年ほどたったある日のこと。一通のメールが舞い込んできた。差出人は、卒業以来ごぶさたしていた専門学校時代の先生。メールの内容は、動物医療関係者なら誰もが知るある学会で、発表してみないかというお誘いだった。男性ではめずらしくこの仕事を続けていることから、白羽の矢が立ったらしい。

「せっかくもらった話。やってみよう」

 自分の現状をテーマに話すことになり、これまでの動物の看護師人生を振り返りながら、何カ月もかけて原稿を作成。大勢の聴衆を前に発表を行った。

「発表する前は緊張していたけれど、やったあとはすごい達成感と開放感がありました」

 だが収穫はそれだけではなかった。発表を機に、他の病院で働く同業者たちと知り合えたのだ。同じように頑張る、男性の動物の看護師もいた。たった1日の出来事を境に、世界は予期しなかった形で一気に開けていった。

歯科処置で、手術の助手を務める津田さん。動物の歯科の手術は、全身麻酔をかけて行うため、安全に終えられるよう細心の注意を払う(津田さん提供)

歯みがき教室プロジェクト始動

 情報や刺激をもらえる仲間たちと交流を続ける中、病院内で、飼い主を対象とした「歯みがき教室」を開いている人がいるとの情報を耳にする。

 じつはその頃、津田さんの病院でも、犬のしつけ教室を行っている先輩がいた。

「こうした教室は、飼い主さんと距離が近い動物の看護師だからできること。あこがれを持って見ていました」

 もともと「専門的な分野で活躍したい」との思いから、手術や救急、歯科のスキルをみがき活躍していた。だが、自分の得意分野のひとつである歯科の知識を生かして教室が開けるとは、それまで考えつかないことだった。

「自分も歯みがき教室をやってみたい」と、院長に直談判。許可を得ると、さっそく構想を練り始めた。

 プログラムの構成は、前半はパワーポイントで作ったスライドを見せながらの座学、後半は犬・猫の歯の模型と歯ブラシを渡して、実際に歯みがきにトライしてもらう実技とした。

 集客用のポスターやちらしも手作りする。院内でたったひとりで立ち上げたプロジェクト。だが他のスタッフも、子犬・子猫の飼い主にちらしを渡してくれるなど応援してくれて、実現へと進んでいった。

津田さんが制作した歯みがき教室のポスター。口の中を表現したデザインがユニーク(津田さん提供)

 そして迎えた初めての開催日。いつもは「先生」である獣医師につく形だが、この日は津田さんが先生となり、ひとりで飼い主の前に立たねばならない。

「めちゃくちゃ緊張しました(笑)。『飼い主さん、ちゃんとわかってるのかなあ』とか、心配でしたね」

 だが、緊張を上回る感覚があった。津田さん自身が、思いがけず楽しかったのだ。

「人に教えるのが好きだと気づいたんです。『歯みがき教室は自分に合っている』と実感しました。ポスターとか作るのも好きだし、本当に楽しいことずくめでしたね」

「犬の歯は何本あるでしょう」

 実際に歯みがき教室がどのように行われているのか、少しのぞいてみよう。

 まずは、犬・猫の歯や、歯周病とはどんな病気かを説明し、歯みがきの大切さを理解してもらう。ただしお勉強モードで退屈させないよう、工夫をちりばめている。

「スライドは字ばかりにならないように、絵や写真も入れたり、スライドの枚数も多くして、終始変化をつけています」

 病気の話ではちょっと深刻な口調にしたりと、トークも一本調子にならないよう心がける。

「犬の歯は何本あるでしょう」

 ときにクイズも出して、参加者を巻き込む。ちなみに正解は42本、猫は30本だが、意外と知らない人も多い。

 大事にしているのは、参加者同士も自由に会話できる雰囲気作りだという。「うちの子はここができないのよね」などと、歯みがきを頑張る人同士、自然と会話もはずむ。終了後のアンケートにも、「情報交換できてよかった」と書く人もいて好評だ。

歯みがき教室のスライドに登場した、病院犬の「小雪」(津田さん提供)

 歯みがきは、動物自身が嫌がることから挫折しがちだ。そこで、歯みがきを嫌いにさせない方法として、「歯みがきをしたあと、おやつをあげてもいいですよ」と伝えると驚かれるという。人間のように、歯みがきは食後にするものと思い込んでいるためだ。

「犬・猫は人間と違い、虫歯になることはほぼありません。歯みがきの目的は、食べ物の残りかすの除去ではなく、歯周病の原因となる歯垢を取り除くことなんです」

 他のトレーニング同様、ごほうびにおやつを使って教えていいとわかれば、歯みがきのハードルはかなり下がりそうだ。

 口の小さな猫や小型犬には綿棒を使うアイデアも伝える。こちらも、「歯ブラシを使わないといけない」との固定観点がくつがえされる人が多い。

深刻な病気の予防に貢献できる

「歯周病が重症化すると、心臓や肝臓、腎臓などの深刻な病気になることもあります。それを防ぐ手段は毎日の歯みがきです」と語る津田さん。

 普段の仕事は獣医師のサポートが中心だが、歯みがき教室で飼い主に直接指導するのは動物の看護師である津田さんだ。その結果、飼い主が家で実践できるようになり、動物の病気の予防に貢献できることが、大きなやりがいとなっていると津田さんはいう。

 残念ながら歯みがき教室は、現在はコロナ禍につき休止中だという。遠くない日に再開できればと考えている。

参加者には模型を使って、歯みがきを練習してもらう(津田さん提供)

 飼い主と動物の役に立ち、自分のやりがいとなる教室の開催は、津田さんから見ればいいことだらけだ。そのため、「私も何か教室を開きたい」と、あとに続く人が出てくるのを内心期待していたというが。

「『私にはあんな笑いとれないです』とかいわれてしまって(笑)。僕はただ、自分が楽しんでやっているだけなんですけどね」

 津田さんの教室の完成度が高すぎたことが原因……かどうかは不明だが、今のところ乗り気ではないという後輩たち。

「開催の方法を聞いてもらえれば、教えていきたいですけどね」

 我こそは、と名乗りをあげる人材の登場が待たれる。

 今後の展望を尋ねると、「人に教えるのが好きだとわかったので、機会があれば専門学校の講師もやってみたいですね」とのこと。人生、どんな形で転機が訪れるかわからない。思いきって引き受けた学会発表をきっかけに、津田さんの活躍はこれからも広がってゆく。

(次回は8月8日に公開予定です)

【前の回】それでも次の患者はやって来るから つらくても動物の死と向き合う愛玩動物看護師

保田明恵
ライター。動物と人の間に生まれる物語に関心がある。動物看護のエピソードを聞き集めるのが目標。著書に『動物の看護師さん』『山男と仙人猫』、執筆協力に動物看護専門月刊誌『動物看護』『専門医に学ぶ長生き猫ダイエット』など。

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この連載について
動物の看護師さん、とっておきの話
動物の看護師さんは、犬や猫、そして飼い主さんと日々向き合っています。そんな動物の看護師さんの心に残る、とっておきの話をご紹介します。
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