どうしてもまた会いたい 愛猫の死が教えてくれたのは「私の人間らしさ」だった
いつか来るペットとのお別れの日――。経験された飼い主さんたちはどのような心境だったのでしょうか。
2023年2月に雑種の愛猫のめめちゃん(享年14歳)をお見送りした、画家のそらみずほさん。めめちゃんとの生活や病気について、また大切に育んできた命を失って気づいたことをお聞きしました。
この子を絶対に幸せにしようと誓った
――めめちゃんを飼うことになった経緯を教えてください。
私がひとり暮らしをしていたとき、めめの母猫が家に住み着いて、こたつの中で5匹の赤ちゃんを産みました。そのとき、2匹が猫風邪をひいてしまったのですが、病院に行ったときには手遅れで、めめだけ後遺症で目の白濁と脳障害が残りました。引き取り手が見つからなかっためめを「私がこの子を絶対に幸せにする」と決めて飼い始めました。
――目の白濁や脳障害は生活に支障はありましたか?
目の白濁は日常生活に影響はありませんでした。脳障害は、多少影響があったと思います。普通に歩けましたし、食事もできましたが、頭を上下に動かしたり、病院を異常に嫌がったり、私以外の誰にもまったくなつかなかったのも、それが理由かもしれません。
乳腺腫瘍から肺転移で亡くなった
――めめちゃんはなぜ亡くなったのでしょうか?
乳腺腫瘍(しゅよう)から肺に転移して亡くなりました。乳腺腫瘍が見つかったのは亡くなる前年の6月です。
――どのような治療をされましたか?
腫瘍が見つかった同じタイミングで、めめが馬尾(ばび)症候群で起き上がれなくなったんです。過去に避妊手術の全身麻酔で命が危なくなったことがあるので、手術は考えませんでした。
その後、腫瘍が1センチになったときに、また病院へ行き、専門家に相談をしたのですが、やはり脳障害や年齢のことを考えると手術はしないほうがいいということで、ペット用のサプリメントのコルディや、D-フラクションなどを服用し始めました。
しかし、同じ時期に肺転移も発覚したので、動物病院で水を抜いてもらう処置もしました。その時に、めめが今まで見たことないくらい取り乱して……。「やはり病院は無理だな」と、酸素発生器をレンタルし、自宅のこたつを酸素室にして生活していました。
――それがめめちゃんのための最善の選択だったのですね。
最期まで動けたので。水を抜く処置を続けたらもうちょっと生きられたかもしれません。でも、どちらが苦痛かを考えたときに、病院へ連れていかない選択をしました。私のために長く生きてもらうことよりも、めめが嫌がることはしたくない、幸せに残りの猫生を過ごしてほしいと思ったからです。
死に向き合い人間らしい感情に気づいた
――そらみずほさんにとって「死に向き合う」とはどういうことだと思いますか?
とてもむずかしい質問ですね……。私が考える「死」は、避けられない自然の摂理で、全ての命に平等に訪れる定め、だからあらがおうとしてもどうしようもないものでした。けれどいざ実際にめめの死が間近に迫ると、「もう少しだけ一緒にいたい、めめが死んでしまうなんて耐えられない、なんとか奇跡が起きて助からないかな……」と思ったんです。そんな人間らしい感情が、私の思考とは関係なく溢れ出て止めることができませんでした。
そしてめめが亡くなったとき、「めめ、またね」と自分が言った言葉に自分で驚いてしまいました。勝手に「またね」って出てきたんです。「どうしてもめめにまた会いたい」という、とても人間らしい感情が、私の中に強くあるんだという発見でした。
ペットロスからまだ抜け出せていないので、死に向き合うことへの答えにはなっていないかもしれませんが、いつかこの問の答えを言葉にできる日が来たらいいなと思います。
<取材を終えて>
めめちゃんを亡くして3カ月のそらみずほさん。涙を流しながら「偶然出会った小さな命でしたが、私にとってめめの存在は本当に大きな宝物でした」とお話ししてくださいました。
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。