歌舞伎町で出会った野良猫のたにゃ(たにゃパパさん提供)
歌舞伎町で出会った野良猫のたにゃ(たにゃパパさん提供)

人生を諦めかけた男性が歌舞伎町で出会った白猫 支え合う生き方を教えてくれた

“人生どん底”だった男性が、歌舞伎町で一匹おおかみとして生きていた野良猫「たにゃ」(オス/推定10歳以上)と出会い、支え合って生きる様子がTwitterで反響を呼んでいる。投稿者の男性にお話を伺った。

(末尾に写真特集があります)

互いに“どん底”

――たにゃさんとの出会いを教えてください。

 たにゃと出会ったのは、2019年。場所は歌舞伎町のど真ん中にある月極駐車場でした。ただでさえ治安の良い場所ではないのですが、そこはとくにガラの悪いエリアで、それまでは野良猫なんて1匹も見た記憶がありません。

 駐車場は、経営している飲食店に通うために契約していました。当時はコロナウイルスで大打撃を受けた直後。それまでは業績が良かったこともあり、どんどん事業拡大を進めていたのですが、一気に売り上げはゼロに。株主や出資者に「なんとかしろ」と追い込まれる日々でした。

 自分で言うのもなんだけど、僕はそれまで楽観的に生きてきた明るい人間だったんです。でも、追い込まれすぎてダメになっていた。当時は店を開けたって誰も来やしないのに、「何かできることをしなくては」と、毎朝4時半に起きてお店に行って掃除。アルバイトを解雇したのでひとりきりだけど、「こんな大変な時期に休んでる場合じゃないでしょ」って、ランチの仕込みをして、夜も遅くまでバーを営業して、という生活でした。

 明日のことなんて想像できないから、明日が来るのが怖くて、怖くて。何も楽しいことなんてなかった。うつ病になって、「もしここで死んだら、周りの人もここまで追い込まれていたとわかってくれるんじゃないか」と考えることすらありました。

 そんな時に出会ったのがたにゃ。僕はもともと犬派だったんですが、車から降りて、駐車場にちょこんと座っているたにゃと目があった瞬間、「俺と同じだ」と思った。かっこいい言い方をすると、隙間に入ってきたっていうのかな。

 たにゃはほそくて、汚れていて、僕の顔をじいっと見てきました。腹が減っているんじゃないかと思って、急いで近くのコンビニで猫の餌を買ってきたのを覚えています。

たにゃパパさんが「隙間に入ってきた」と語るたにゃさんのまなざし(たにゃパパさん提供)

たにゃが生きる理由になった

――たにゃさんとの出会ったことで、どんな変化がありましたか?

 その日から、たにゃに会うのが僕の日課になったんです。「たにゃ」と言う名前は、僕が勝手につけたもの。自分の名前から1文字とりました。何度か通ううちに僕のことを覚えて、駐車場の真ん中で「たにゃーっ」と呼ぶと、どこからかやってきましたね。でもね、長年、野良猫として生きてきたと思うので、けして人懐っこいわけではなく、ごはんをあげても僕が遠くに行ってから食べていました。

 そのころよく、「最悪この野良猫と田舎に行って、古民家でも借りて一緒に暮らそうかな」なんてことを妄想しました。僕も忙しくてお風呂に入ってないし、たにゃも薄汚れていて、お互いヨレヨレで、なんかもう、一緒にいるのが自然な気がしていたんですよね。

 気づけば、たにゃは完全に僕の生活の一部になっていました。たにゃとの逃避行を想像する時間は、心身ともにギリギリの生活になってからはじめてできた「仕事やお金のことを考えない時間」でした。たにゃに会いに行くという目的ができたことで、大げさだけど「生きる理由」ができた気がしたんです。

雨の日も休みの日も、たにゃのもとに1日も欠かさず通った(たにゃパパさん提供)

協力者とともにたにゃを保護

――そこまで大きな存在になっていたのに、すぐに保護しなかったのはなぜですか?

 保護することは何度も考えました。でもたにゃは生粋の野良なので、触るどころか近づけもしない。「もしあいつの具合が悪くなりいき倒れることがあるなら、どさくさに紛れて保護できるのに」と頭の片隅で考えていましたね。いつもきっかけを探していました。

 あるとき、いつものように駐車場に車を止めたら事務員さんに、月極契約を解約するよう言われたんです。聞くと、駐車場が取り壊されるというから、焦りました。「この安全な場所がなくなったら、あいつにもう会えないかもしれない」と。その瞬間、腹をくくってね。

 まず、ひとりで保護しようとしたんですが、当時、猫のことなんて何も知らない僕は、安全に保護する方法がわからず、そこで、TwitterでSOSを出したら、「昔、新宿で保護猫活動をしていた」という方たちが名乗り出てきて、保護に協力してくださったんですよ。

駐車場が取り壊されると知り、Twitterでヘルプを出した(たにゃパパさん提供)

 そのうちのひとりが言うには、たにゃは「昔、新宿で一斉TNR(野良猫の避妊・去勢を済ませて地域に戻す活動)をした時の残党じゃないか」と。たしかにあいつは桜耳(TNRした印、V字型にカットされた耳)です。もしそうだとしたら、10歳以上にはなるということ。仲間の猫がどんどん減るなか、本当にひとりで頑張ってきたんだなあと思うと、込み上げてくるものがありましたね。

たくさんの応援に驚いた

――その後、無事に捕獲されたのですね。

 いろんな方の力を借りて、2022年の9月22日、たにゃは無事に保護できました。Twitterの方にもたくさん協力していただいて。みなさんいろいろ教えてくれるだけじゃなく、「お金送ります」とか「ごはん送ります」とか言うんですよ。驚きますよね。一匹の猫のためにこんなにしてくれる人がいっぱいいるなんて、Twitterをするまで知らなかったものですから、日本て捨てたもんじゃないな、なんて思いました。

 現在のたにゃは、最初の頃よりもだいぶリラックスしてくれていますよ。保護した当時はずっと隠れていて、ごはんも僕がいないときに食べていた。「自由に生きていたのに、連れてきてしまってごめんな」と思ったこともありました。

 いまも相変わらず触れはしないし、一緒にも寝てくれないけど、たにゃが寝ているところに僕が行ってももう逃げませんよ。一緒にいることがだいぶ自然になってきたのかな。ごはんも遠慮なく催促してくれるのがうれしいんです。

――たにゃパパさんご自身は、たにゃさんと暮らしてどんな変化がありましたか?

 一番変わったのは、帰宅が早くなったことですね。たにゃは、ごはんはともかく、トイレはピカピカじゃなきゃダメ。もちろん出張のときだってトイレ掃除のために飛んで帰ります。どこまで日帰りしたか……? 一番遠いのは熊本県ですね。熊本から日帰りできるなら、日本中どこだってできる。これからもたにゃのトイレのために帰りますよ(笑)

 それから、たにゃはテレビの音が嫌いだからテレビを捨てました。人と会うときにつけていた香水もやめた。せっかく同居人として認めてくれたのに、違う匂いがすることで「あいつ以外も帰ってくる部屋なんだ」と思わせたくないんです。

触れなくても、信頼の気持ちは伝わってくる(たにゃパパさん提供)

――どん底だったたにゃパパさんは、たにゃさんとの出会いに救われたんですね。

 たにゃと出会って生きる理由ができて、一番大変な時は乗り越えられました。それからTwitterでは、たにゃをきっかけにいろんな人とつながって、いろんな考えに触れて、それまで想像もしていなかった考え方や生き方に出合えました。

 いままで「自分のため、いい暮らしをするため」と思って頑張ってきたけど、自分だけじゃなくて、助けを必要としている人に寄り添いたいと思えるようになったんです。

 だから今後は、フードロスとか子ども食堂とか、飲食業界で自分がやってきたことをいかして、誰かのためにできることを考えています。こういう変化も全部たにゃと出会ったからですね。これからは男同士で支え合っていきながら、新しい試みが成功したら、たにゃの銅像でも建てようかな(笑)

近づけば「シャー!」。でも、固い絆で結ばれているふたり(たにゃパパさん提供)

原田さつき
広告制作会社でコピーライターとして勤務したのち、フリーランスライターに。SEO記事や取材記事、コピーライティング案件など幅広く活動。動物好きの家庭で育ち、これまで2匹の犬、5匹の猫と暮らした。1児と保護猫の母。猫のための家を建てるのが夢。

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