17年一緒に過ごした猫「くま」が逝った 別れのとき、鼻先をなで耳の感触を確かめた
なんの準備もしていなかった。お茶を入れて、ネットで火葬場を調べる。獣医師会が案内している寺の焼き場に午後の予約をいれた。
花で飾ってあげたい
1週間の看病で居間は荒れていた。掃除機をかけて床を水拭きし、すっきりと整える。
近所の八百屋で棺にする段ボールをもらい、並びの花屋へ寄った。
猫が死んだからきれいな花で飾ってあげたい、と言い終わる前にのどが詰まる。顔なじみの店主は、盛りは終わりだから、といろんな花を余分に束ねてくれた。
まもなく以前の同居人たちが到着した。くまの思い出話をしながら棺の中に一本一本、花をたむける。
くまのキリッとした表情の写真もプリントして、寺へ向かった。
火葬炉へ入れる前に、五分間のお別れの時間があるという。
鼻先や額をなでる。肉球や耳の感触を確かめる。平べったくなったおなかに顔をうずめる。
くま、ありがとう。お別れなんだね。一緒にたくさん、楽しかったね。
焼いているあいだに境内を散歩すると、風が抜けて気持ちいいところだった。朝、ぼんやりした頭で探したにしては上出来だ。
手をつないでダンスしているような
焼き場へ戻ると、くまが横たわったそのままの姿に骨は整えられていた。
担当の青年が、これは背骨、これは尻尾。立派ですねえ、と丁寧に説明してくれる。くまの喉仏は恋人たちが手をつないでダンスをしているようなかたちをしていた。
帰宅するとドアノブに花束がかかっている。ミニミニを引き取ってくれた友人が届けてくれたのだった。すぐに電話をして今日を報告する。
長生きしたね。仕事がない日の晴れた朝にいくなんて、さすがくま。なんでもいいからくまについて話していたかった。
悲しみすぎるのはいけない。重たい体から解放されたことは、きっと喜ばしくもあるのだから。
さっさといこうとしているなんて
くまが死んだ翌週、通っている気功へ行った。
先生は「視える」ひとで、動物にも施術をして会話もできる。行くたびに話を聞くのも楽しみだった。
猫が死んだばかりで、と言うと、いまならまだ会えるよ、と見てくれた。君が悲しんでいることを心配しているよ、なんて言われたらどうしよう。
ところが先生は頭を触りながら言った。
「左側にいる。あれ? そっぽ向いているね。声をかけたら振り向いたけど、あんまり興味ないみたい。もう、いきかけているんだね」
笑ってしまった。さっさといこうとしているなんて、くまらしい。あるいは、それは先生の優しさだったのかもしれない。
くまはもう十分に生きたんだ。それはくまも私も知っている。
17年間。いつでも勝ち気で、よく食べた。カラッと明るい性格は見習うところがあった。
一緒にいろいろ乗り越えた同志だった。
くまの骨も、庭のスンスン畑に埋めた。ゆっくりと土に馴染んで、もうすぐ野菜に生まれ変わるだろう。
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(今回が最終回です。ご愛読いただき、ありがとうございました)
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