遅くなる心臓の鼓動を感じながら 「水丸さん」に感謝の気持ちとまた会おうと言い続けた
モデルとして活躍する松田珠希さんと保護猫・水丸さんのいとしくておかしい、ふたりの日常。コラムの最終回です。
5月1日に水丸さんは亡くなりました。
あちらで元気にしているかしら?
今でも大好きなフミフミしてるの、こないだ夢で見たよ。
水丸さんの慢性腎不全の症状が悪化したのは3月。世の中の深刻さと共にみるみる体調が悪くなった。
毎日嘔吐が続き、食欲もない。
腎臓2つのうち、機能していたのは1つ。その1つもかなり危うかったのだけど、病院に行ってレントゲンを撮ってもらうと、何やらそこに影が写っていると言われた。
水丸さんがもう長くないということは、なんとなく分かった。
補液や点滴をしてもらうと吐き気は少しおさまるので、外出を嫌がる水丸さんを無理やり毎日病院へ連れて行った。
ヘトヘトの水丸さん。
点滴の針は病院から帰宅した後もずっとつけたままなので、腕を振ったりかんで外そうとしたり、とにかく嫌そうだ。きっとすごく痛かったんだと思う。
毎朝病院に行き、夕方まで入院する日々。
その結果、水丸さんが私を嫌い始めて距離を取るようになった。
今まで一緒にベッドで寝ていたけれど、ある日別の部屋で寝るようになり、朝が来て私が起き出すと、彼女は隠れてしまうようになった。
帰ってくると必ず玄関に走って迎えに来てくれたり、お風呂から上がるとドアの前で待っていてくれたり、いつも家中ついて来てくれた水丸さん。
あんなに仲の良かった私たちの関係性は、崩れてしまっていた。
このままお別れすると思うとゾッとした。
残りの時間の過ごし方を考えた末、私は病院に行くのをやめた。
日常が戻り、安心した水丸さんは、また私と一緒に寝てくれるようになった。
数日後、食べるのもやめ、水を飲むのもやめ、5月が始まった日、午後2時ごろに彼女は亡くなった。
腎不全の子が亡くなるまでの過程をなんとなくネットで調べていたのだけど、まさにその通りになった。
嘔吐が増え、トイレが難しくなり、何も口にしなくなり、できる子は口内炎ができて、よだれが出始め、けいれんをたまに起こす危篤となり、最後に大きなけいれんが始まって、亡くなる。
危篤状態の10時間ほどの間、水丸さんの目はずっと開いていたけど、何も見えてないようだった。
これが本当に最後だと分かるような、とても大きなけいれんがはじまる。
私は遅くなっていく心臓の鼓動を指で触っていた。
感謝の言葉と、また会おうということを何度も言い続けた。
心臓が止まるのを指でしっかり確認した。
みるみる水丸さんは硬直していくけど目は開いたままだった。
完全に硬直した彼女の体は抜け殻という言葉がぴったりで、ひとつの命が終わったとはっきりわかった。
私、あんなに泣いたのは子供の頃以来かもしれない。
その日はとても天気が良く、静かで美しい夕暮れだった。
固まった水丸さんを抱いてベランダで風に当たってみると、とても気持ちが良かった。
悲しみもあったけれど、不思議なほど落ち着いた気持ちと、謎の達成感があって、頭の中が涼しい。
私も死ぬときはこんな日がいいなと思ったりした。
気温が暑くなり始めていた時期だったので、2日後には火葬してもらった。
ネットで調べた出張火葬屋の男性は、この仕事をするべくして生まれてきたような素晴らしく誠実な方で、感動してしまった。彼の優しい人柄に少し元気をもらって、骨つぼの中の水丸さんに「よかったね」と言った。
そんな別れの日も意外と昔のことのよう。
2020年はもう少しで終わるようだ。
水丸さんの毛ばかりが集められていた掃除機の中のきれいなクリーム色のホコリたちは、もう普通の灰色になったし、黒は水丸さんの毛がついて目立つからと明るい色ばかり並んでいたクローゼットの中の服たちも、今はもう、半分くらい黒い服が占めている。
こうして時間は経ち、生活は変わっていく。
突然さみしくなってぽろぽろと涙が出てくる時も、正直まだありますが、人生に水丸さんと暮らした時間があった事実を心で確認するだけで、幸せな気持ちになります。
sippoに水丸さんとの生活が記せたことも大きな人生の財産です。
今まで水丸さんとのコラムを読んでくださった皆様、sippo編集部の皆様、優しい言葉をかけてくださった全ての皆様、すべての出会いに心から感謝します。
皆さんの家族との時間が、楽しく幸せな記憶であり続けますように。
本当にありがとうございました。
【前の回】まさかの一致に戸惑う私 保護猫「水丸さん」と同じ匂いのモノ
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