一軒家に居ついた流れ者の猫「くま」 私の家に迎えることに
共同生活をしていた家に猫がやってきた。20年近く前のことだ。庭の熊笹の茂みから現れたので「くま」と名づけた。年齢はわからないが成猫だ。人慣れしていて誰にでもなついたから、どこかで飼われていたのかもしれない。同居人のひとりは、坂の上の住宅街で何度か見かけたことがあると言う。
友人が集まり暮らす一軒家
くまは玄関や窓の隙間から自由に出入りをした。リビングと五つの部屋があり、気分によって寝る場所を変えた。そんな暮らしが気に入ったのか帰り道がわからなくなったのか、いつのまにかすっかり居ついてしまった。同居人たちはみんな猫が好きで、餌は交代で誰かが買ってきた。
出入りが多い家で、居間にはいつも誰かがいた。知らない物同士が集まるシェアハウスではなく、昔からの友人が集まり大きな一軒家で暮らしていた。ミュージシャンや映像作家、 絵描きや写真家志望。そんな若者ばかりが住んでいた。誰かが移転するときは、そのまた友人をつないでもらい住むというルールがあった。
みんなでお酒を飲んでいると、くまも誰かのひざの上に乗り、輪に加わった。朝になって居間へ行くと、昨夜そのまま寝入ってしまった人の上に毛布がかかり、その上にくまがちょこんと寝ている。
旅に行くときは見送りに
くまはよく狩りをした。スズメやネズミなどの獲物をくわえて戻り、目の前にぽとんを置く。「さあお食べ」なのか「こんなの獲れた」のどちらかはわからない。よしよし、とくまを褒めてから亡きがらを庭に埋める。いつのまにか下駄箱の隅っこやベッドの裏に置いてあるから、たまに誰かの悲鳴が聞こえた。
くまは誰にでも心を開いて、つきあいも良かった。同居人の誰かが旅へ行くときは駅の改札まで見送りに行った。不思議なことに猫の勘が働くのか、長旅から戻ったときは途中のコンビニまで出迎えてくれる。みんなで近所のすし屋へ行くと、店の前で待っていて一緒に帰る。交通量はそれなりにあったから、よく事故にもあわずに無事でいてくれたと思う。
その頃は完全室内飼いという言葉すら知らなかった。くまはいつのまにか居ついた流れ者の猫だし、たぶん全員にとって「誰かの猫」だった。それでも年に1度は予防接種のために動物医院へ連れていった。先生は毎回「10歳は超えているだろうなあ」と言った。雌猫で、おそらく不妊手術済みであることも教えてもらった。
4キロ離れた私の家へ
やがて、みなで暮らした家の契約が終わり解散することになった。ひとりは地方へ移住、ひとりは旅の多い生活に、ひとりは実家暮らしで猫がだめ、ひとりは…と、消去法でくまは私の家へ来ることになった。
4キロほどの距離へ引っ越して、しばらくは家の中に閉じ込めて過ごした。共同生活のあいだの11年間、自由に出入りをしていたくまは外へ出たく出たくて、昼も夜も鳴き続けた。人間の都合で木登りや狩りの喜びを突然奪ってしまったのだから無理もない。
考えたあげく、以前のような生活ができるか不安はあったが、しばらくは注意を払いながら窓をあけて出入りさせた。こっそりあとをつけるとそう遠出はしていない。幸い家の周辺は細い路地が多く車の通りも少ない。はじめのひと月、くまは今までのように自由に出入りをして暮らした。そしてある日、戻らなかった。
餌をもらっている後ろ姿をみて
帰り道がわからなくなってしまったに違いない。以前に暮らした家の方角へ戻ろうとしたかも知れない。祭りの日だったから屋台のお好み焼きのかつおぶしの匂いにつられたのかも知れない。チラシを電柱に貼りポスティングをし、近所を探して毎日歩いた。
くまを飼うことへの覚悟が足りなかった。まだどこかで人ごとだったのかもしれない。どれだけ 出たがっても出してはいけなかった! 無事に見つかったら、これからはぜったいに外へは出さない。仕事をしていても頭の中はくまのことばかり。気がつくと「くま」とつぶやいている。
1週間後、公園で似た猫を見かけたと連絡をいただいた。少し離れた公園で数匹の野良猫にまじって餌をもらっている後ろ姿を見つけて、ようやく保護した。再会に私は泣いたが、くまはぼんやりしていた。一週間のサバイバル生活で私のことを忘れてしまったのかも知れない。
毛並みはボサボサしていたが、元気そうだった。冬でなかったこと、公園に猫の餌やりボランティアさんがいてくれたことに助けられた。この件で、あらためてくまを飼うことの決意をした。
外へ出たがれば、首輪にひもをつけて庭で日光浴をさせることにした。 土の匂いを嗅いで、気持ちよさそうにゴロンと寝転がる。陽の光を浴びると骨に良いのは人間と一緒だ。念のために精密検査をすると、血液の数値やレントゲンの結果に問題はない。歯や骨の様子から察するに12、3歳ではないか、 と先生の見立てだった。それからの時間を考えると、くまは20歳を超えている。
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