花屋に迎えられた黒い子猫 商店街をお散歩、家族に笑顔もたらす
駅前の花屋に、黒い子猫が迎えられた。人懐っこい猫で、店番だけでなく、商店街を散歩して、一躍人気者になった。当時の花屋は、主を失ったばかりの大変な時期だったが、その愛くるしい姿が笑顔をもたらした。
東京・中野駅南口から徒歩3分。商店街の中に生花店「花月」がある。ひまわりや胡蝶蘭、トルコキキョウなど、色とりどりの花の向こう、店の奥に黒い猫の姿が見えた。
「この子がジジ。8歳のメスです。最近は2階の家で過ごすことが多くて、今日は久しぶりにお店に出てきたんですよ」
黒猫のジジは窓辺に座り、商店街を歩く人を眺めている。「ねっ、ジジ」と渡辺明恵さんが話しかけると、パタパタと尾を動かした。窓の向こうから、子どもが「猫ちゃんだ!」と顔を近づける。ガラス越しにジジも鼻先を寄せた。
花月は50年前、渡辺さんの夫の親戚が始め、夫が2代目店長だった。昨年から長男の学さんが3代目店長を務めている。
花屋の看板猫としての才能
渡辺さんがジジを迎えたのは、8年前の3月。吉祥寺で保護された子猫で、動物好きなご近所さんを通じて、「どう?」と紹介されたのだという。
まだ小さかったジジを引き取り、店内に3段ケージを置いて世話することにした。だが、あまりにも小さく、ケージからすり抜けてしまうこともあった。
「植物を食べたら大変だし、もし外に逃げたら……」。渡辺さんは心配したが、花や葉にはまったく関心を示さず、商品のキャットグラスをかじることもなかった。勝手に店の外に出ることもなく、店内で過ごし、“ここだよー”とひょっこり鉢の陰から現れるような子だったという。
「花には無関心だけど、人が大好き。これは看板猫の素質があるなと(笑)。自己顕示欲が強いのか、『私に気づいて』『花より私を見て』という感じでしたね(笑)。その頃、近所で喫茶店をしていた方が、毎日散歩に連れて行ってくれて、商店街でどんどん有名になっていきました」
店の主だった夫が急逝
ジジは、渡辺さんにとって2匹目の猫だ。27年前に花屋に嫁いで来た時には、夫の飼い猫だったアビシニアン「ため」がいた。
「『ため』は花をいたずらしたので、店に下ろすことはありませんでした。当時は犬も飼っていたので、花屋を手伝いながら、家で犬と猫の世話をしていました。『ため』は、ジジが来る1年前、21歳で亡くなったのですが、実はそのわずか半年後に、夫が旅立ってしまったんです」
夫は末期がんを罹っており、発見からわずか2カ月後、2010年8月に急逝した。
当時、長女は高校生で、長男は中学生。病床の夫は「自分に何かあったら花屋を閉めて、店舗を貸すといい」と家族に伝えていたという。
だが、それを聞いた長男は「僕が店を継ぐ。一人前になるまで、お母さんと店をやっていく」と決意表明。進路を変えて園芸高校、花の専門学校へと進み、卒業後は別の花屋で修業した。
その間、渡辺さんは一人で花屋を切り盛りすることなった。ジジを家に迎えたのは、夫の死から半年後。店を持続させようと、渡辺さんが必死で働くさなかだったのだ。
「市場に買い付けに行き、仕入れた花を水揚げしてディスプレイして……。商店街の仲間にも助けられましたが、ジジの存在も大きな励みになりました。自然と店に笑いと会話が増えたので」
ジジを見たお客さんが「うちも猫がいるのよ」「以前飼っていたんだ」と話しかけられることが増え、「こんなに猫好きが多かったんだ!」と渡辺さんは驚いたという。店のエプロンやスタンプ、伝票などに、ジジのイラストを入れると、猫のいる店として、書籍やテレビでも紹介されるようになった。
だが、成長とともにジジは家から店に降りるのを渋るようになった。
「家でのんびりしていたかったのかな。きっちり店番をしたのは2年くらいですが、ジジの印象が強かったようで、今も“猫の店”として覚えていてくださる方が大勢います」
久しぶりに散歩すると、歓声が
「ジジ、ちょっと散歩しようか」
渡辺さんがリードをつけて引くと、ジジは喜んで歩き出した。店の外に出ると、深呼吸をするようにクンクンと鼻を動かし、“勝手知ったる庭”というように、すたすたと歩いた。
数メートルほど歩くと、さっそく「あれ? ジジちゃん?」と向こうから人が寄ってきた。「懐かしいわ、変わらないわねぇ」。しゃがみこんで話していると、別に人から「えーっ、ジジちゃ~ん?」と声がかかる。
看板猫は引退しても、商店街では、まだまだ現役のアイドルだ。「嬉しいわね。ジジのこと、みんな覚えていてくれて」と渡辺さんの顔もほころぶ。
この日、長男は配達で店を出たり入ったり忙しそうだったが、店が終わると、毎晩ジジを膝に乗せてくつろぐのだという。
「ジジがいちばん好きなのは長男。新人店長を陰でしっかり支えてほしいな」
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