大けがの子猫、“安楽死”からまさかの復活 「生きていた!」
茶トラの小さなノラ猫は生きることを諦めませんでした。大けがをして何日も動けなかったときも。病院に運ばれたものの、容体が悪すぎて安楽死の処置をされたときも。
(写真・文 佐竹茉莉子)
きなこちゃんはもうすぐ13歳。賢そうな眼を持つ茶トラの雌猫だ。後からやってきた3匹の保護猫たちのやんちゃにタジタジしながらも、のんびりマイペースに暮らしている。
そんなきなこちゃんの猫生は、じつは、12年前の冬にいったん終わっていた。いや、終わったはずだった。
今のきなこちゃんのしあわせは、「奇跡」そのもの。それも、起こりえない3つもの奇跡が重なって、小さな命は救い上げられた。
安楽死やむなし
12年前の真冬のある日。都内の動物病院に、ノラらしき瀕死の子猫が保護主の手で運びこまれた。ガリガリにやせ細り、潰れた右前足はすでに壊死(えし)が進んでいた。交通事故に遭い、何日も自転車置き場の隅で、飲まず食わずのまま動けずにいたらしい。推定生後5ヶ月の体力では、生きていたのが不思議なほどだった。
治療をめぐる保護主との話し合いで、院長はこう説明した。「容体は、とても悪い。生きる道が残っているとすれば、肩からの切断手術しかないが、そもそも手術に耐えられる体力があるかどうか。手術は、その後の治療も含め、かなり高額になります」
最終判断をするのは、飼い主もしくは保護主だ。「安楽死」という苦渋の決断を受け、院長は処置を施した。当時勤務医だった小林充子(みつこ)先生も立ち会い、注射の後に子猫の息がすっと途切れたのを二人で確認している。
生きていた!
翌朝、早番出勤した小林先生は、掃除のためにオペ室に入った。きのう短い猫生を終えた薄幸な子猫が、今は苦しみから解放されて白い小箱に入り、お寺での供養を待っている。
「ミー」と、あえかな鳴き声が聞こえた。信じられない思いで箱を開けると、なんと、きのう安楽死を見届けた子猫が、うっすら目を開けて光射す方を見上げているではないか。「アタシ、死にたくないの」と言うかのように。
報告を受けた院長も驚愕した。ありえない奇跡が3つも重なっていたからだ。
小林先生は言う。
「まず、1番目の奇跡は、衰弱しきった子猫の命が尽きなかったこと。安楽死処置をしなかったとしても、朝までもたない容体でしたから。2番目の奇跡は、処置をされたのに、生きていたこと。そんな例は聞いたこともありません。3番目の奇跡は、処置からたとえ生還したとしても、脳の酸欠により麻痺などの後遺症が必ず残るものなのに、それがなかったことです」
こんなにもひたすらに生きようとしている子猫に、再処置などできようか。この子の生命力なら、もしや大手術に耐えてくれるのではないか。
「手術が成功したら、うちで面倒を見て、譲渡先を探そう」と、全スタッフ一致で決まった。
「うちにおいで」
右肩先からの大手術にも、小さな命は耐えた。傷口もふさがり、日に日に元気になった子猫は、2度望まれてトライアルに行ったが、いずれもその日のうちに戻ってきた。
「(3本足が)不憫すぎて見ていてつらい、というのが戻された理由でした。子猫が自信をなくしてしょんぼりしているのを見て、うちに迎えることに決めました」と、小林先生は微笑む。
きょうだいと共に段ボール箱入りで捨てられていた先住猫の「まあこ」ちゃんが「仕方ないわ」といった感じで受け入れてくれた。
一人娘の優奈さんが「きなこは、自分の右前足がないことに気がついてないんじゃないかな」と言うように、日常に何ら支障はなく、家猫としての平和な生活が始まった。
きなこちゃんの5年あとにやってきたのは、目も開いてない小ささで、路上の「拾得物」として警察に保護されたキジ白のオス猫「あんこ」くん。小林先生が東京・駒場に開いた動物クリニックに持ち込まれたのだ。
3年前、まあこちゃんを見送った後には、茶トラのやんちゃ盛りの兄弟「みるく」と「くるみ」がやってきた。本誌2017年1月号「子猫がやってきた!」特集に登場の、京都で保護されたガリガリのノラ4兄弟のうちの2匹である。
あんこも、みるく・くるみも、それぞれに、命が消えかかるところを救われた小さな奇跡の持ち主だ。
猫たちは、いつだって、奇跡と隣り合わせに一途に生きていて、「出会えた奇跡・寄り添い合う奇跡・今を生きる奇跡」を私たちに教えてくれる。奇跡とは、諦めないことなのかもしれない。
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。