道端で拾った片目の子猫 第2の人生へ、元五輪選手の背中を押す

 北京五輪で日本記録を出した競泳選手が現役を引退した。その直後、道ばたで、片目をケガした子猫と出会った。家に迎えた子猫は、不自由を感じさせない愛らしい姿で、新たな人生へ歩み始める元気をくれた。

(末尾に写真特集があります)

 群馬県高崎市の山間に、競泳の元オリンピック選手、内田翔さん(31)の実家がある。そこで愛猫「ペロ子」(メス、7歳)が両親、祖母と暮らしている。

 翔さんは2008年、北京五輪の4×200メートルリレーで7位入賞。翌年には世界水泳の200メートル自由形で日本記録を出し、日本人初の4位入賞を果たした。大学卒業後も地元群馬県の飲料メーカーで働きながら、練習を続けたが、ロンドン五輪出場を逃し、2012年4月に現役を引退した。

 翔さんがペロ子と出会ったのは、その引退の翌月、5月だった。

幼い頃のペロ子。よく食べよく遊びすくすく成長した(提供写真)
幼い頃のペロ子。よく食べよく遊びすくすく成長した(提供写真)

車の前にフラフラと現れた子猫

 引退後、選手時代から勤務していた飲料メーカーで、広報から営業職にかわった。営業用のトラックに乗っていて、狭い路地に入った時、小さな動くものが見えた。ひいてしまいそうになり、車から降りて確認すると、子猫だった。

「近づくと逃げるかなと思ったら、フラフラしながら寄ってきて。でも鼻水が出て、目のあたりもグジャグジャで弱っていて」

「このままでは死んでしまう」。急いで段ボール箱にいれて助手席に乗せた。仕事の途中だったが、電話をして、すぐに動物病院に向かった。

 手当てを委ねて仕事に戻ろうとすると、獣医師に呼び止められた。「あなた、飼い主さんでいいですね? 飼い主がいない動物は処置ができないので」

「『よし、家族になろう』とその場で決めて、ケアをお願いしました」

 翌日病院に迎えに行くと、子猫はエリザベスカラーをつけていた。傷ついた右の眼は完治を望めず、「片方の目で生きていかないといけない」と告げられた。

   内田さんは体をペロペロと舐める子猫に「ペロ子」と名前をつけて、自宅に連れ帰った。

 母の百合子さんが、当時を振り返る。

「息子がペロ子を連れて来た時、汚くて驚いたのなんのって(笑)。でも猫は嫌いじゃなかったんです。子どもの頃は、はんてんを着て、猫をおぶってあげていたんですよ」

 百合子さんが食事やトイレの世話をし、父の良(まこと)さんはリードをつけて散歩をさせ、ブラシをかけた。ペロ子は片目が不自由であっても、元気すぎるほど動き回った。愛情をかけると、見違えるほど毛づやもよくなっていった。

「すごい生命力」「元気になって本当によかったよ」

 子猫はよくなつき、大きな夢を逃した家族の心を埋める存在にもなった。

父の良さん、母の百合子さん、翔さんと。「皆ペロ子に夢中」
父の良さん、母の百合子さん、翔さんと。「皆ペロ子に夢中」

将来を嘱望される選手に

 翔さんが水泳を始めたのは0歳の時。生まれながらに心臓が悪かった。「体や皮膚を強くする」と雑誌で知り、ベビースイミングクラブに入れたと、百合子さんが説明する。

「ビービー泣く赤ちゃんだったけど、水に入ると不思議と生き生きしていた。小学4年の時、自分から“選手コース”に上がりたいと言うので、夫と車で送り迎えして支えました。体が強くなると、記録が右肩上がりに伸びました」

 高校時代には、高校記録をいくつも出し、世界選手権代表にも選ばれた。鳴り物入りで競泳が強い法政大学に入学した。だが、そこで待っていたのは挫折だった。プレッシャーなどから体調を崩し、「フラフラしながら、駅のホームの先端にたたずんでいたことさえあった」という。

「水泳を辞めたい」と父に電話すると、高崎に帰ってこいと言われた。

「地元に戻ると、家族や以前のコーチに温かく迎えてくれて。それで元気になって、北京五輪に出ることができました」

 20088月の北京五輪。200メートル自由形は予選で敗れはしたものの、4×200メートルリレーでは日本記録を出して7位に入った。家族みんなで健闘を讃えたという。

 卒業後も社会人として地元の水泳クラブで練習を続け、次のロンドン五輪出場を目指した。だが、20124月の日本選手権で代表入りを逃し、引退を決意した。24歳だった。

楚々としたレディになりました
楚々としたレディになりました

「引退していなければ出会わなかった」

 翔さんは「もう一生懸命泳がなくていいんだ」「案外早くこの時が来たな」と、スッキリした気分だったという。だが、周囲の受け止め方は少し違った。母は無理をして笑って接してくれているようだった。

「自分だけで引退を決めてしまったので、周囲に迷惑もかけました。特に母は泳ぐ姿をもう少し見たかったんだなということに気づきました。オリンピックって、本人だけでなく、家族や関わっている人、みんなの夢なんですよね」

 引退直後は、親子で少し気を遣い合うような生活になった。そんな時、突然現れたのが、子猫のペロ子だった。その存在が家族の気持ちをやわらげ、つないでくれたという。

「父も母も溺愛して、ペロ子への思いは僕以上じゃないかな(笑)。独眼でもガツガツ食べて、跳びはねて強く生きようとする姿に、僕自身も元気をもらい、今後の人生も前向きにがんばろうと思いました。ものごとにはすべて“意味”があると思いますが、7年前に引退していなかったら、ペロ子に出会えなかったと、改めて思うんです」

 ペロ子と出会った1年後、翔さんは結婚して実家を離れ、第二の人生を歩んでいる。

「ペロ子には、親と一緒に長生きしてほしいですね」

 そういいながら頭を撫でると、負けん気の強そうなペロ子が、“任せて”とでもいうように、顔を前に上げた。

「4years.#大学スポーツ」で内田翔さんが連載中
スーパースターの入学なり 元法政大学水泳部・内田翔1
鳴り物入りで入学、スランプで絶望の淵に 元法政大水泳部・内田翔2
藤村かおり
ペットライター。小説等の創作活動を経て90年代後半から、ペットの取材を手掛ける。2011年~2017年週刊朝日記者、2017年からsippoメインライター。丹念な取材と独自の目線から、動物と人の絆、動物と共に生きる人の心をすくい取る記事に定評がある。ペット関連の著書に『長寿猫』『明日にアクセス』など。現在は保護した黒猫、キジ猫と暮らす。

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この特集について
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