軒先に突然現れた子猫たちが人生を左右 猫の洋菓子に込めた思い

 猫をかたどったケーキやクッキーなど、手作りの洋菓子で人気の女性パティシエがいる。その波乱に満ちた人生を左右したのは、軒先に突然現れた子猫たちだった。ブランド名は、その猫の名前から付けられている。

(末尾に写真特集があります)

 神奈川県川崎市にある3階建ての一戸建てが、郁子さんの自宅兼菓子工房だ。母と3匹の猫と一緒に暮らしている。3匹はいずれも郁子さんが保護した猫だ。

 迎えてくれた郁子さんのシャツや靴下には猫のイラストが描かれていた。それを見ながらお母さんが微笑む。

「何から何まで猫ね(笑)。昔は犬が好きだったのに、気付いたら猫派になって」

「確かにそうね。本当に不思議……」

 郁子さんは今日まで9匹ほどの猫と暮らしてきた。その人生を左右したのは、最初に飼った猫たちだった。

3歳のヒカルを抱くお母さんと9歳のハチを抱く郁子さん「昔も今も猫が大好き」
3歳のヒカルを抱くお母さんと9歳のハチを抱く郁子さん「昔も今も猫が大好き」

突然現れた猫の兄弟

「29歳で結婚して、3年目の秋でした。朝、家の外で変な声がしたので、見てみると、勝手口に生まれたばかりの子猫が4匹いました。胎盤とへその緒がついた状態でしたが、とにかく命を助けたくて動物病院に連れて行ったんです」

 母猫の生み捨てなのかわからないが、こんな状態は見たことがない、と獣医師に言われたそうだ。子猫4匹のうち2匹は死に、キジトラの2匹はかろうじて助かった。この先どうなるかなと郁子さんが戸惑っていると、獣医師は思いがけないことを口にした。

「3カ月も育てれば譲渡先が見つかりますよ、と言われて、哺乳瓶とミルクを買いこみ、その日から猫育てが始まりました。助かった2匹はキジ模様の男の子でした」

 動物があまり得意でなかった夫も、幼い命を家で育てることに同意してくれた。子猫には「バンディ」と「ミュー」という名前を付けた。ミューはバンディに比べて、小さく弱かった。

「ミューは、3日で目が開いたんです。大きな目で、眼球の裏に腫瘍があって押し出されたのかもしれない、と先生に言われました。血尿も出たので通院しながら、3時間おきの授乳をして。夜中にキョンキョンの『夜明けのMEW(ミュー)』という歌を歌いながらミルクをあげたなあ……。がんばって生きようね、という思いでいっぱいでした」

若き日のバンディとミュー(1995年頃)
若き日のバンディとミュー(1995年頃)

夫婦のすれ違い

 懸命に世話をした甲斐があり、ミューは視力に支障なく無事に1歳を迎え、2、3歳の頃にはバンディと体の大きさも変わらなくなった。そのかわいらしさに夫も猫好きになり、夫婦で猫の保護活動をして飼い猫も増えた。だが、ミューは3歳半の頃、悪性リンパ腫を発症した。

「結婚6年目のその夏、ミューが不調なので猫にかかりきりになりました」

 ゆるがない関係だと思っていたが、だんだんとすれ違いが生まれ、家庭内別居の状態になった。そのはざまにいたミューは闘病の末、4歳7カ月で力尽きた。ミューの葬式に夫は現れなかった。

ハロウイン用のチョコケーキ
ハロウイン用のチョコケーキ

お菓子作りを支えに

 郁子さんは主婦の傍ら、実家でピアノを教えたり、趣味でお菓子作りをしたりして気を紛らせた。甘い香りのお菓子を焼くと、心が癒されたという。

「たまたま雑貨店に行った時、かわいい猫のケーキの型を見つけて、まとめ買いしました。アメリカンケーキの教室に通い、猫の世話をしながら、家で朝から晩までお菓子を焼いていましたね」

 やがて、「離婚」を考えるようになった。別れたら好きなことをして生きていきたい……そう思った郁子さんは、ケーキ店でアルバイトを始めた。

「家で焼いた猫のお菓子をバイト先におやつとしてよく持って行きました。そうしたらシェフが店に置いてあげると言ってくれて。そのお菓子に『ミュー』と名付けたんです」

 離婚が成立し、郁子さんはバンディや他の猫を連れて実家に戻った。代官山で評判のパイとケーキの教室「松之助N.Y.(ニューヨーク)」に通い始めた。すると腕を見込まれ、「新たな出店時に焼き手として残ってほしい」と言われたのだった。

「そのまま松之助のオープニングスタッフとして働くことになりました。『ミュー』はその後も知人に頼まれると個人的に焼いていたのですが、ある時、依頼を受けて送った先がたまたまデザイン事務所の社長さんで、『これはかわいい、仕事にしたら?』と言われ、ホームページやロゴ作りを引き受けてくれることになったんです」

郁子さんが結婚時代に保護したラブはもうすぐ20歳「皆を見守ってきたの」
郁子さんが結婚時代に保護したラブはもうすぐ20歳「皆を見守ってきたの」

ブランド名は愛猫の名前から

 そうして今から9年前、郁子さんは愛猫の名をつけたブランド『BAN&MYU』を商標登録した。思いが深いだけに、有名店のお菓子としてではなく、細々とでも自身のブランドとして世に出したかったのだという。

 商品は猫型チョコケーキにホワイトチョコで模様を描いた「ミュー」(400円)、ちびネコクッキー(378円)、肉球サブレ(173円)、ネコサブレ(140円)など。様々な季節のバージョンを作る。

「今も週3日ほど松之助のスタッフとして働き、『ミュー』を店に置いてもらっていますが、基本はネット販売です。先日ペットイベントでお菓子を売った時には、会場にバンディとミューの写真を飾りました。バンディも数年前に旅立ちましたが、2匹に見守られながら、お菓子の味も見栄えも前より進化したと思います(笑)。いろいろなことがあったけど、お菓子を焼いてる時がいちばん楽しい」

 作りだめをせず、注文を受け、そのつど焼く。「ひとつひとつ、心をこめたいんです」

 そう話す足元で、飼い猫のハチがニャーッと鳴いた。

 猫の焼き菓子はほんのり甘く、食べる人を優しく包む。

 

猫の焼き菓子の問い合わせ先
「BAN&MYU」のHP

藤村かおり
ペットライター。小説等の創作活動を経て90年代後半から、ペットの取材を手掛ける。2011年~2017年週刊朝日記者、2017年からsippoメインライター。丹念な取材と独自の目線から、動物と人の絆、動物と共に生きる人の心をすくい取る記事に定評がある。ペット関連の著書に『長寿猫』『明日にアクセス』など。現在は保護した黒猫、キジ猫と暮らす。

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この特集について
ペットと人のものがたり
ペットはかけがえのない「家族」。飼い主との間には、それぞれにドラマがあります。犬・猫と人の心温まる物語をつづっています。
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