「吾輩」はスーパー猫 奥泉光さん・いとうせいこうさん対談
■漱石 没後100年
漱石のデビュー作「吾輩は猫である」をどう読むか。「『吾輩は猫である』殺人事件」の著書もある作家の奥泉光さんと、作家・クリエーターのいとうせいこうさんが公開対談「文芸漫談」で、「猫」が書かれた背景や、漱石の作品に通底する「孤独」の問題を縦横に論じた。
2人は1905年に「猫」が発表された背景に注目した。1900年に渡英し、03年に帰国した漱石。神経衰弱に悩みながら英語教師をしていた。いとうさんは「高浜虚子という治癒能力のある編集者が『ホトトギス』に書かせると、みるみる治って、ばんばん作品を生み出す」「自己治癒からの小説が、こういう愉快なものだった」という。「連載が終わったときにはもう、作家漱石の誕生」と奥泉さんが応える。
「吾輩」は偉そう、しかも博識、外国語も漢文もできる。すごいのに……「猫なんだよ!」と2人が声をそろえると会場は爆笑。偉そうな上から目線のアイロニーは「吾輩性」、いつくしみや温かいユーモアは「猫性」。そこに「語りの落差」がある。吾輩性と猫性がうまく出ているのは、吾輩がネズミを捕ろうとするシーンで、ぼけてつっこむを繰り返しているという。いとうさん「教養のすべてを入れて、楽しんで書いている」、奥泉さん「台所の描写が美しい。漱石は自分の持つ言葉の世界を費やしている」、いとうさん「起こっていることはトムとジェリー。でもこんな風に書く人はいない」。作品論、漱石論を次々と繰り出す。
人間の言葉がわかり、手紙も日記も読め、読心術も出来る。そんな「スーパー猫」なのに言葉は話せない。「漱石自身っぽい。コミュニケーションの齟齬(そご)がある」といういとうさんに、「漱石の基本的テーマは孤独。……コミュニケーションしようとして失敗する、そういう孤独」と奥泉さんは解説する。漱石の作品に通底する「孤独」はすでに「猫」に表れている。猫仲間がいたのに、3章以降は登場しない。猫の三毛子たちが登場する2章までが一番好きだから、三毛子亡き後、吾輩が「かわいそうでかわいそうで」と奥泉さんは思いを込めた。
(岡恵里)
sippoのおすすめ企画
「sippoストーリー」は、みなさまの投稿でつくるコーナーです。飼い主さんだけが知っている、ペットとのとっておきのストーリーを、かわいい写真とともにご紹介します!
LINE公式アカウントとメルマガでお届けします。