「この山の別荘にはお母さんと一緒に毎年夏に来たんだ」(小林写函撮影)
「この山の別荘にはお母さんと一緒に毎年夏に来たんだ」(小林写函撮影)

「自分が助かるために犠牲にはできない」 自身の肺がんを押して愛猫「ルイ」を思う

 叔母は同年9月に入ってから激しい咳に悩まされるようになった。我慢の限界となり病院を訪れたところ間質性肺炎を起こしており、血中酸素濃度が85パーセントをきっていた。

「入院しなければ命の保障はない」と告げられたが、「猫がいるから帰宅する」と叔母はごねたようで、主治医から私のところへ電話がかかってきたのだった。

(末尾に写真特集があります)

叔母の愛する「ルイ」という猫

「叔母さんの容態がかなり悪いので即入院していただきたいのですが」

 2024年9月のある夕方、叔母が通う大学病院の医師から電話をもらったとき、私がまず思ったのは「ルイ、どうしよう」ということだった。

 ルイ(19歳、オス)は、私の実家の近くで一人暮らしをしている87歳の叔母の愛猫だ。叔母は外資系企業に社長秘書として勤務しながら独身で通し、退職後、生後7カ月のルイを保護団体から迎えた。

 ルイは賢く活発だが、気性が激しく、気難しい猫だった。人は好きで、私が叔母の家に遊びに行ったときも自分から近づいてきてかまってほしそうな様子をする。

 だが、こちらが調子にのってなでていると急に虫の居所が悪くなるようで、「やめろ」と言わんばかりに本気で引っかいたり噛みついたりしてくる。それは叔母に対しても同様だったが、ルイのちょっと扱いにくい性格が、叔母にとっては愛おしいようだった。

「こんにちはルイです。そう、この家の王様です」(小林写函撮影)

 ルイは慢性腎臓病の末期だった。叔母は、自宅から徒歩5分の動物病院にかれこれ7年近く週3回、ルイを皮下点滴に連れて行っていた。ルイの数値はかなり悪く痩(や)せてはいたが、最近では食欲も安定し元気に過ごしていた。

「病気のルイをおいて、入院はできない」

 叔母に初期の肺がんが見つかったのは2024年の春だった。説明を受けるため、親族代表として私も病院に呼ばれ、主治医からは、手術での切除をすすめられた。だが叔母は「病気のルイをおいて、1週間も入院することはできない」とかたくなに拒否した。

 入院中、ルイは動物病院に預けるしかないだろう。だがルイの性格と、過去に入院させたときには大暴れをした経験から、激しいストレスになることは明白だ。今のルイにとっては命にかかわる。

「自分が助かるために小さな命を犠牲にすることはできない。ルイは、私にとっては子ども同然なんです」という叔母の訴えに主治医も折れ、通院で放射線治療を行うことになった。

「皆の者集まったか」(小林写函撮影)

 だが手術と抗がん剤治療に比べ、放射線単独での肺がん治療は効果が薄い。

 叔母は同年9月に入ってから激しい咳に悩まされるようになった。我慢の限界となり病院を訪れたところ間質性肺炎を起こしており、血中酸素濃度が85パーセントをきっていた。

「入院しなければ命の保障はない」と告げられたが、「猫がいるから帰宅する」と叔母はごねたようで、主治医から私のところへ電話がかかってきたのだった。

 私は「ルイのことは、なんとかするから」と言い、電話口で叔母を説得した。

シッターを依頼する

「なんとか」といっても、方法は考えていなかった。

 その日の夜、私は妹に連絡をしてルイの様子を見に行ってもらった。妹は、私より叔母の家に近いところに住んでいた。

 妹と、ルイの世話について電話で話し合った。ペットシッターに頼むという方法もあるが、問題は週3回の通院だ。

 叔母が毎回、ルイを捕まえてキャリーバッグに入れるのに悪戦苦闘している様子は知っていた。手術入院を主治医からすすめられた際、私が「シッターさんに通院をお願いしたら」と進言すると、「私だって手こずるのに、他人にできるはずはないでしょ」と一蹴された。

 しかし妹は「プロなんだから、できるんじゃないの?」と言う。

 いったん電話をきり、しばらくすると妹からLINEのメッセージが届いた。「ルイを捕まえてくれそうなペットシッターをネットでみつけた」とのことだった。

「別荘の外で鳴く虫の声がよく聞こえる。夜なのにみんな遊んでる」(小林写函撮影)

 翌朝、約束をした9時に妹と叔母の家に行った。現れたのは、かっぷくのよい中年の男性だった。 

 名前はUさんといい、複数のペットシッターを抱えてシッティング業務を行う会社のスタッフだった。この会社では、なんらかの理由で飼い主がペットを動物病院に連れて行けない場合に代わりに捕まえ、動物病院に運ぶサービスも行っているとのことだった。

 彼の外見から私は思わず「捕獲専門の方ですか」と聞いたが、Uさんは「ちがいます、ちがいます」と親しみやすい笑顔で答えた。

「猫ちゃんの場合は、バスタオルで包めば、たいていは捕まえられます。隠れて出てこなくなるなど僕1人では対応が難しくなった場合は、もう1人スタッフを呼びます」とのこと。

叔母は安堵の表情を見せた

 私は、叔母とルイの事情をUさんに説明した。もし捕獲がうまくいったら叔母の入院中、毎日の世話と週3回の通院をお願いしたい旨を伝えた。

 ルイはUさんを警戒する様子もなく私たちの周囲をうろうろし、ダイニングソファの上に座った。

「ルイちゃん、はじめまして」とUさんはていねいにあいさつした。少し離れたところからルイの目を見ながら、しばらく話しかけていた。

 そして「最初は警戒されないように、素手でトライしてみましょう」と言い、Uさんは、ソファに座っているルイにゆっくり近づいた。ルイの前脚のつけ根あたりにそっと両手を入れて抱え上げるとルイは身動きもせずされるがままで、おとなしくキャリーバッグに収まった。

 私と妹は「すごい、すごい」と歓喜した。そして皆でルイを連れ、かかりつけの動物病院へ向かった。

「ねえお母さん、お母さんはおばちゃんの叔母さん???」(小林写函撮影)

 病院では院長のI先生からルイの病状について説明を受けた。

「この年齢と腎臓の数値で、ここまで元気な猫ちゃんは稀です。ルイちゃんの生まれながらに持っている生命力の強さと、Sさん(叔母の名前)が欠かさず週3回、点滴に来られていたからでしょう」とのこと。

 I先生は慎重にエリザベスカラーをルイに装着。Uさんが保定をし、ルイは暴れることもなく、皮下点滴はとどこおりなく終わった。だがルイをキャリーバッグに入れて扉を閉めようとしたとたん、ルイは「シャー」と威嚇し、Uさんに猫パンチを浴びせた。

 この行動については、叔母から以前聞いていた。「本当は、こんなことされたくなかったんだ」という抗議表明らしかった。

 Uさんには正式に叔母入院中のシッティングと通院を頼んだ。お金は当然かかるが、とりあえずは私がたて替えることにした。

 叔母の見舞いに行き、点滴中のルイの写真を見せると「よくできたね!」と驚き、安堵の表情を見せた。

 しかし、叔母の容態は悪化の一途をたどっていった。入院から10日目の夜、叔母はルイをのこして息を引き取った。

 後編に続く。

(次回は2月15日公開予定です)

【前の回】あの日の“儀式” 二人三脚で乗り越えたジェントルマンな愛猫「ちゃー」の糖尿病

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
あぁ、猫よ! 忘れられないあの日のこと
猫と暮らす人なら誰しもが持っている愛猫とのとっておきのストーリー。その中から特に忘れられないエピソードを拾い上げ、そのできごとが起こった1日に焦点をあてながら、猫と、かかわる家族や周辺の人々とのドラマを描きます。
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