「ああ、ここに来てよかった」(小林写函撮影)
「ああ、ここに来てよかった」(小林写函撮影)

「帰ってくるまで元気でいてね」 愛する高齢猫、その時は近くとも日々は穏やかに

「パス」をキャリーバッグから部屋の中に出す。パスはよろよろと、でも警戒する様子もなく歩き、腰をおろした。伯母の家から持ってきたフードを出すと落ち着いて食べ、猫トイレで用を足し、以前からずっとこの家にいるような様子で丸くなって目を閉じた。

 まるで「ミケ」からバトンを渡されたようだと、利恵子さんは思った。

(末尾に写真特集があります)

人馴れした野良猫「パス」

 祖母の代から猫好きの家に生まれ育った利恵子さんが、これまで家族で面倒を見てきた猫の数は50匹余りになる。家の庭に現れた猫たちに避妊去勢手術をしてリリースしたり、家の猫にしたり。事情があって飼えなくなった猫を知人から引き取り、天寿をまっとうさせたこともあった。

 パスは、伯母の家にご飯を食べにくる野良猫だった。メスで、不妊手術をしたのは伯母だったが、年齢は不明だった。

「パステス三毛」と言われる淡い3色の毛色を持つ三毛猫なので「パス」と呼んでいた。

 人に慣れており、伯母の家の玄関でご飯を食べ、ブラッシングをしても嫌がらなかった。

 パスは近所のアパートの住人からもご飯をもらっていた。世話をしてくれる人がおり、外暮らしが長く健康そうだったので、保護しようとは利恵子さんは考えなかった。長年猫と暮らしてきた伯母も、病気を患ってからは、家で飼うことは控えていた。

パスを自宅に連れて帰る

 2021年11月のある日、伯母の家にいた利恵子さんが庭を見ると、信じられないような姿のパスが目に入った。

 前回見たときよりもずいぶん痩(や)せていた。にもかかわらず、腹部はパンパンに膨れていた。首をかしげ、顔は目やにと鼻水で汚れ、歩みはよたよたとおぼつかなかった。

 利恵子さんはすぐにパスを抱きかかえて伯母の家にあったキャリーバッグに入れた。そのまま、近くの動物病院へ向かった。

「パスです。今日は写真撮るから、利恵ちゃんが朝シャンプーしてくれたの」(小林写函撮影)

 獣医師の見立てでは、パスは15歳は超えているとのことだった。採血の結果に特に異常はなく、腹部が膨らんでいるのは先天的な大腸肥大だろう、とのこと。猫風邪用の抗生剤をもらい、そのままパスを、両親と暮らす自宅に連れて帰った。

 自宅には「キジ」と「ひとみ」という名の推定8歳のキジ白の兄妹と、「ルル」という推定16歳のメスの猫がいた。3匹は、両親の居室がある1階で過ごしており、利恵子さんは2階の自室でパスを隔離し、世話をすることにした。

「利恵ちゃん、今日はいつもより盛りが多いわね」(小林写函撮影)

 パスをキャリーバッグから部屋の中に出す。パスはよろよろと、でも警戒する様子もなく歩き、座り込んだ。伯母の家から持ってきたフードを出すと落ち着いて食べ、猫トイレで用を足し、以前からずっとこの家にいるような様子で丸くなって目を閉じた。

 まるで「ミケ」からバトンを渡されたようだと、利恵子さんは思った。

ずっと元気だったのに

 この部屋には、2カ月前までミケという名の三毛猫がいた。利恵子さんがペット飼育不可の都心のマンションで1人暮らしをしていたときに面倒を見ていた地域猫だった。転職を機に両親の家に戻ることになり、引き取った。

 そのミケが2カ月前に急死した。ずっと元気だったのに、ある日、食事を終えた途端に倒れ、そのまま目を開けなかった。

 悲しみとショックを引きずったまま、利恵子さんは過ごしていた。だがパス来たことで、前を向くための新たな任務を授かったような気がした。

 パスは甘えん坊の猫だった。利恵子さんが自室でくつろいだり仕事をしたりしていると、肩までよじのぼってきて前脚で頭をつつく。寝ているときもベッドにのぼってきて顔にあごを乗せた。

 しかし、猫風邪はよくならなかった。自宅近所の動物病院では抗生剤に加えてステロイドも処方されたが、改善されなかった。

 数カ月経つと嘔吐や下痢がひどくなり、急激にやせてきた。利恵子さんは、高度な医療にも対応している別の動物病院にパスを連れて行った。

「いただきまーす」(小林写函撮影)

 検査の結果、腹部の膨らみは大腸肥大ではなく、悪性リンパ腫の疑いがある、と言われた。

 これまで猫を何匹も看取ってきた利恵子さんだが、ここまで重い病名を聞くのははじめてだった。

 診察台に横たわっているパスの毛はつやがなくてもつれ、骨が浮き出ている。家に迎えたときは3kgあった体重が、半年で2kgまで減ってしまった。

 もうだめかもしれない、と利恵子さんは数日後の別れを覚悟した。

「帰ってくるまで、元気でいてね」

 それから1年半が過ぎた。パスは変わらず、利恵子さんの部屋で暮らしている。

 腹部リンパ節の細胞を取り出して検査を行った結果、腫瘍ではないようだった。だが腫れている原因は不明で、ほかの動物病院にも行ったが診断結果は変わらず、パスの年齢と体力では積極的な治療を行うことは難しかった。

 現在は自宅で薬とサプリメントを飲ませながら、緩和ケアを行なっている。

 パスは徐々に弱り、寝ているか起きているのかわからない状態でじっとしていることが多い。だが食欲はあるし自力で食べる。ペース状のウェットフードとスープ、鶏ささみしか口にしないし、太ってはいかないが、かなりの量を食べたがる。

 ただ、一度に量を摂取することができない。だから利恵子さんは、3種類のフードを毎日朝晩2回、水とともに器にずらっと並べて盛り、パスが気が向いたときに食べられるビュッフェスタイルにしている。薬は毎回、すり鉢で粉末状にし、スープの中に潜ませている。

「私たちはここで世話になった猫たちよ、ミケもルルいるわよ」(小林写函撮影)

 最近は、フードは用意してあるにもかかわらず、夜中と早朝に起こしにくるようになった。最初は眠気に勝てず「ごめん、寝かせて」と思いながらそのままにしていたら、利恵子さんのベッドの上で排尿した。以来、催促のたびに起き、新たな器にフードを出すようにした。

 毛づくろいをする元気はないので、常に顔が汚れている。気がついたときには利恵子さんが拭いてやる。最近は部屋中で粗相をするようになったので、床にペットシーツを敷き詰めた。

 毎日寝不足だし、医療費や介護費用も半端なくかかる。

 それでも、利恵子さんは苦だと思わない。

 夜、仕事で疲れて帰宅し、一息ついて自室で晩酌をはじめると、よたよたとパスが歩み寄ってくる。体力がなく、もう肩までよじのぼることはしないので、そのまま抱きあげてなでてやる。

 しばらくすると安心するのか、お気に入りの窓辺のクッションの上に自分から戻る。ふと視線を感じて目をやると、パスが利恵子さんをじっと見つめている。

 その表情が、かわいくて仕方ないのだ。

 今日が最後かもしれない。毎朝部屋を出るとき、利恵子さんは覚悟を決める。

 不安そうなまなざしを向けるパスに、「帰ってくるまで、元気でいてね」と声をかける。

(次回は12月21日公開予定です)

【前の回】事態が急変したあの日 目の前で倒れた愛猫、お尻からはぽたぽたと尿が漏れていた

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
あぁ、猫よ! 忘れられないあの日のこと
猫と暮らす人なら誰しもが持っている愛猫とのとっておきのストーリー。その中から特に忘れられないエピソードを拾い上げ、そのできごとが起こった1日に焦点をあてながら、猫と、かかわる家族や周辺の人々とのドラマを描きます。
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