「僕らの話なんだけど、まだあんまり出てこないみたいね」(小林写函撮影)
「僕らの話なんだけど、まだあんまり出てこないみたいね」(小林写函撮影)

変わっていく周囲の反応とやわらぐ職場の雰囲気 TNR活動がもたらしたもの

 1匹の野良猫「ミー」を保護した経験から、野良猫の一生に思いをはせるようになった会社員の一恵さんは、「外で暮らす猫のためにできることはないか」と考えはじめた。

 一恵さんの会社は、食品倉庫をテナントに貸し、管理を行っている。そこでは、構内に現れる猫たちが問題になっていた。たまたま、猫の保護活動を行うボランティア集団のリーダーKさんに話したところ、TNRを行うことを提案された。

 一恵さんは会社に掛け合い、実施の許可を得て、TNR活動に携わることになった。

(末尾に写真特集があります)

猫の捕獲からはじまった

 まずは、構内の倉庫裏に誰かが作った段ボールハウス内で生まれた2匹の子猫と、その母猫を保護することになった。子猫たちはひどい猫風邪をひいているという話だった。

 Kさんは、初老の男性Mさんを連れて現場に現れた。これまで数百匹の猫を保護した経験がある、大ベテランの保護猫ボランティアだ。

 会社側からは、一恵さんと、猫たちに餌をあげている男性が参加した。この「餌やりさん」と呼ばれる人の協力が、捕獲の際には重要だという。一度捕獲に失敗した猫は、捕獲器を覚えていて簡単には入らなくなる。確実に捕獲するためには、前日の餌を抜いて猫を空腹にし、捕獲器に仕掛けた餌を食べてもらう必要があるからだ。

 餌やりの男性は「猫たちがいなくなると寂しいけれど、安全な環境で生活できるようになるなら」と喜んで手を貸してくれた。

天井に猫
「モフです。こういう所に潜んでいると昔を思い出すんだ」(小林写函撮影)

 彼から猫たちが隠れている場所や習性を聞き出し、Mさんは機敏な動きで捕獲器を仕掛けた。すると、2匹の子猫のうちくいしんぼうの長毛の猫は、仕掛けられた餌につられてすぐに入った。続けて、母猫も難なく捕まった。

 警戒心が強いもう1匹の子猫は、積んであったパレットの中に隠れてしまった。Mさんは、パレットにぴったりくっつけて捕獲器を置き、反対側の穴から子猫を巧みに誘導。子猫は、自然な流れで中に入り、Mさんはすぐに捕獲器にカバーをかけた。猫の恐怖心をやわらげるためだった。

野良猫や地域猫に理解ある動物病院へ

 猫は3匹とも動物病院に連れて行かれる。そこはMさんが懇意にしている獣医師が院長を務め、野良猫や地域猫に理解があり、扱いに慣れているところだった。

 たとえば注射器での投薬の際、薬液を吸い上げる際に使った針は必ず新しいものに交換する。針は真新しいほうが鋭いため皮膚に刺さりやすいからで、治療経験のない外猫の負担を減らす配慮しているのだと聞いた。

 捕獲には、会社の人間として立ち会うだけのつもりだった一恵さんだが、猫の保護にはさまざまなプロがかかわることを知った。驚くと同時に感動を覚えた。

戻った猫たちの世話に駆け回る日々

 不妊・去勢手術後に構内に戻ってきた猫の世話は一恵さんの担当だ。

 おもな仕事は食事当番で、ちょっとした団地ぐらいの広さのある構内に作った4か所の餌場を、フードを積んだ自転車でまわる。器を洗ったり、餌場が汚れていたら掃除をするのも一恵さんの仕事で、土日にも行う。

2匹の猫
「背中がかゆいからって僕の頭でかくのはやめてよ」(小林写函撮影)

 1週間に1回程度、餌場に設置したトレイルカメラの映像も確認する。TNR済みであることを示す「耳カット」が施されていない猫が映った場合はKさんとMさんに連絡をとり、捕獲を依頼する。捕獲には常に立ち会い、どの猫がいつ捕獲され、不妊・去勢手術を受けたか、どの猫が引き取られ、また構内に戻されたかの記録をとり、会社に報告するための資料をつくった。

少しずつ変化していく周囲の反応

 自分から立候補したとはいえ、通常業務もこなしたうえでのことで、時間も体力もとられる。猫を保護する活動が行なわれることは、テナントにも伝えられていた。中には「猫と遊んでいるのが仕事なんだ」と嫌味をいう人もいた。気分が落ち込むことや、土日に会社に行くのがきついと思うこともあった。

 それでもモチベーションを保てたのは、用意した餌を一心不乱に食べ、満足そうにしている猫たちの姿を映像で確認できたから。そして多くの人が好意的で、協力的だったからだ。

白い猫
「あれ?前にも後ろにも行けないよ」(小林写函撮影)

 上司は、餌代はもちろん、猫に関することで時間外勤務になったときは、残業代をつけてくれた。

 それまで「猫の餌やり反対」「早く処分を」と唱えてきた人々が、自転車で構内をまわる一恵さんに「よかったね、猫たちを助ける方法がみつかって」と声をかけてくれるようになった。

 倉庫から荷物を運び出す荷役や、トラックのドライバーなど、これまで言葉を交わしたことのなかった人からも「実は俺も猫の世話をしてるんだ」と話しかけられた。警備員は「これで子猫が交通事故で命を落とす現場を見なくてすむ」と安堵の表情を見せた。

 驚いたのは、現場で猫問題の処理にあたっていた犬派のTさんの変貌ぶりだ。食品を扱う会社が率先して猫の面倒を見ることに異議を唱えていたのに、「人、猫、車に注意」という看板を立てたり、構内で過ごす猫たちが雨露をしのげるためようにと、丈夫な猫部屋をつくってくれたりした。

TNRがもたらしたもの

 猫が憎い人は誰もいない。

 猫が「害獣」である以上、構内でおおっぴらにかわいがることはできない。預かっている食品を猫から守るためには、猫を追い払うか、亡くなるのを待つほかない。皆、そう考え、へたに情をかけないようにしていたのだと一恵さんは感じた。

 TNRという選択肢が現れ、誰もが救われたような気持ちになり、それは構内全体の雰囲気をやわらかくした。

 猫の数は徐々に減った。餌場を与えられた猫は構内をうろつくことがなくなり、TNRをはじめて1年が経つ頃には、あらたに子猫が生まれることもなくなった。

 会社のTNR活動とは別に、一恵さんにはもう一つ、猫との物語がある。
TNR活動をはじめた当初に保護をした、段ボールハウスで生まれた兄弟猫のことだ。

「チビ」「モフ」と名付けたこの2匹を、一恵さんは譲渡先がみつかるまで世話をすることにした。

(次回、5月13日公開へと続きます)

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宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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